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2011/10/01

■節子への挽歌1489:「何の風情もありません」

映画「一枚のハガキ」に関連した昨日のつづきです。
ハガキに書かれていたのは次の文章です。
「今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないので、何の風情もありません」
この言葉は、愛する人を失った人の共通の思いでしょう。
音羽信子さんを見送った新藤さんの真情のような気がします。

昨日、ほぼ10年ぶりに訪ねてきた人がいます。
後から変わっていませんねとメールが来ました。
しかし、私は変わりました。
見える人には見えるでしょうが、節子がいた頃の私と今の私は、ほぼ別人と言っていいでしょう。
愛する人を失った人ならきっとわかると思います。

何が変わったのか。
私にとっては「世界の風情」が変わりました。
世界にとっては「私の風情」が変わったと思います。

昨日は湯島のオフィスで、オープンサロンという、誰でも歓迎のお茶のみ雑談会をやりました。
節子と一緒に始めたものです。
節子がいなくなった後、止めていましたが、再開してほしいという声があったので再開しました。
しかし、形は同じでも、節子がいた頃とはたぶん似て非なるものです。
私にとっては、やはり「風情がない」のです。

「あなたがいらっしゃらないので、何の風情もありません」
とても、心に響く言葉です。
愛する人のいない世界は、驚くほどに「平板」なのです。
「風情」も「意味」もなにも感じられない。
ただそこにあるだけの世界になってしまいます。
「意味のない世界」を生きることは、疲れるものです。

映画の話に戻れば、主人公の知子(森川の妻です)は「風情」ある人生を取り戻します。
しかし、それを導いたのもまた、愛する伴侶だったのです。
それは示唆に富むメッセージです。
新藤さんがまた映画を創った意味が少しわかったような気がしました。

お祭もイベントも集まりも、風情はないかもしれませんが、風情がないと感ずる心の世界には、まさに「風情」がある。
一度、体験した「風情のある世界」はもしかしたら、自分では気づかないだけで、実はそのまま残っているのかもしれません。
つまり、「風情のないことを感ずる風情」です。
なにやら禅問答のようになってしまいましたが、「風情」という言葉が、いま心を覆っています。

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妻への挽歌08」カテゴリの記事

コメント

こんにちは~
いつも読ませていただいております。私もこの映画を観ました。
何の風情もありません~心に残りました。やはり、大竹しのぶさんの演技に圧倒されました。
最後は、少し違和感がありました。私なら~選ばない終わり方です。良い、悪いは解りません。
互根と言う言葉を思いました。陰と陽~
人間ってなんでしょうか。大事な人と別れるってなんでしょうか~2年経っても、心が辛いです。
ただ~風と言う漢字が好きです。かぜ・ふう・ とてもいい漢字ですね。余韻があって~
取り留めないコメントを申し訳ありません。佐藤さんの文章を読ませていただいて~心に風が
通っていくようです。ありがとうございます。

投稿: ライム | 2011/10/02 15:30

ライムさん
いつもありがとうございます。
映画の最後は私も違和感を持ちましたが、その反面少しホッとしました。

しかし、映画そのものはやはりいつもの新藤映画と同じで、時間が経つに連れて、その映像がいくつか浮かんできて、心をじわじわと刺激してきます。
やはり、重くて哀しいです。
しばらくはこの状況がつづくでしょう。

投稿: 佐藤修 | 2011/10/03 18:14

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