■節子への挽歌1519:悲しみと幸せ
今日は手賀沼のエコマラソンです。
わが家の下の道がコースになっています。
節子がいた頃は沿道まで応援に行っていました。
節子は応援の旗までつくったことがあります。
そんなことを思いながら、リビングルームから走っている人たちを見ていました。
今年も、たぶん私の知り合いも走っていたでしょう。
もしかしたら節子の主治医だったI医師も走っていたかもしれません。
節子がいなくなっても、世間の動きは変わりません。
時期が来れば地域の行事も、以前と同じように行われます。
そうした大きな流れの中で、私たちはそれぞれの役割を果たしています。
大惨事の場合は、行事を自粛したり中止したりすることはありますが、よほどの場合でなければ、何事もなかったように時間は流れていきます。
言い方があまりよくないかもしれませんが、住民の死もまた地域社会にとっては「一つの行事」なのかもしれません。
節子がいなくなった直後は、そうした自然の流れにさえ、ついていけなかった時期がありますが、いまはそうした自然の流れが逆に支えになっています。
そして、個人の生命や暮らしは、大きな生命の流れの中の一部なのだと実感できるのです。
しかし、伴侶を失うとその風景はまったく違うものになります。
その変化の度合いが、伴侶との関係を物語っているのかもしれません。
関係が深いほど、変化が大きいことは言うまでもありません。
人との別れの悲しさを味わいたくなければ、人を愛さなければいいでしょう。
愛する幸せと別れる悲しみは、たぶん比例しているでしょう。
結局はみんな平等なのです。
そう思えば、いまの悲しみは幸せの証でもあるのですが、そう思えるようになるにはやはり時間が必要でした。
私がそう思えるようになったのは、つい最近です。
そう思えれば、悲しみもまた幸せになっていきます。
愛する人を失っても、凛として生きる人もいるでしょうが、私にはそれができません。
みんなから呆れられるほどに、なよなよと生きています。
しかし、悲しみとか幸せと言うものは、たぶんそうした中にあるのだろうと思います。
節子と一緒の幸せと悲しみと一緒の幸せと、どちらがいいのか。
答えはわかりきってはいますが、あえて答を出さずに、問題のまま残しておこうと思います。
しかしようやくエコマラソンのランナーたちを素直な気持ちで見送れるようになりました。
ひがみながら「大きないのち」「大きなながれ」から逸脱しかけていた私も、少しずつまたもとの場所に戻りつつあるような気がします。
節子が元気だった頃と同じように、また素直に生きられればと思っています。
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