■TPP論議を聞きながらラスキンを思い出しました
TPPの報道や議論を聞いていていつも思うのは、ほとんどすべてが「経済の土俵」でしか語られていないことです。
しかも、「お金の経済」の話です。
「開国」とはお金の世界での共通のルールを用意することだとみんな思っているようです。
私にはとんでもない話だと思えてなりません。
それは「文化」や「こころ」の問題です。
経済の活性化と生活の活性化とは、違います。
経済は「お金」の世界だろうと思われるかもしれません。
しかしそれは近代、それも近代後半の話かもしれません。
19世紀に、当時世界を覆いだしていた「経済学」の流れに異議申し立てしたのがラスキンです。
ラスキンの考える経済学は、私流の解釈では、「お金の経済」ではなく「愛の経済」です。
ラスキンは、当時主流となりつつあった経済学(ポリティカル・エコノミ-)を「商利経済学(マーカンタイル・エコノミー)」と批判し、社会を一つの家族とみなした、「愛」を基軸に置いた経済学を提唱しました。
価値論のない「手段的な経済術」ではなく、しっかりした「価値」を基本に置いた「目的的な経済学」といっていいでしょう。
ラスキンは、「価値とは生のことである」と言っています。
まさに「経世済民」の経済学です。
前者は権力とつながった金持ちになるための術ですから、その結果は格差社会ですが、ラスキンの目指すのは格差などのない「穏やかな社会」です。
私が経済を考える時の基軸は、ラスキンとイリイチ(サブシステンス経済)です。
ラスキンは、こう語っています。
「生なくしては富は存在しない。
生というのは、そのなかに愛の力、歓喜の力、讃美のカすべてを包含するものである。」
とても心に響きます。
当時の経済学(いまもそうですが)が前提に置いたのは「経済的人間」、ホモ・エコノミクスです。
そのもとで、「利己的動機」が公認され、それが「見えざる手」によって調和され、社会の冨は豊かになるとしたのです。
それが可能になるのは、根底に「愛」と言う人間性があるからだと私は思いますが(アダム・スミスもそう言っています)、その後の経済学を方向づける「経済的人間」からは「愛」は排除されていきます。
その結果、仕事も苦役になり、自然は資源でしかなくなります。
しかし、ラスキンの「この最後の者にも」や「「ごまとゆり」を読むと、そこにはそうした経済とは違った、「愛の経済」を感じられます。
TPPのことを書こうと思いながら、ラスキンの話になってしまいました。
ラスキンの話はまたいつか書くことにしますが、「お金の経済」のほかにも「愛の経済学」があることを知ってほしかったのです。
ちなみに、イリイチのいうサブシステンス経済においては、「愛」が重要な意味を持っていると思います。
お金持ちはともかく、多くの庶民は決してパンだけで生きているのではないのです。
また話がずれそうです。
TPPは決して産業や貿易だけの話ではありません。
文化や生活の話なのです。
前に、きこりに一本の枝をあげたために、山の樹木がすべて切られてしまったイソップの寓話の話を書きましたが、文化の崩壊は実に脆いものなのです。
ブータンもたぶん間もなく全く異質な国家になるでしょう。
開国の仕方を間違ってはいけません。
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