■節子への挽歌1518:老後の不在
節子
お近くのTさんご夫妻が近くのマンションに転居されました。
同世代だったので、自治会の活動などではご一緒させてもらっていましたが、節子がいたらもっと親密なお付き合いが出来ていたでしょう。
息子さんたちがもう独立されているので、最近は夫婦お2人の生活でした。
マンションのほうが暮らしやすいとお考えになったようです。
ご主人は、2階建てよりも平面で暮らせるマンションのほうが楽ですからと言っていました。
旅行などで長期間留守にする場合も、マンションのほうがいいでしょうし。
うらやましい気がしました。
私たちも、マンションでの老夫婦の暮らしを考えていたからです。
山と海が見えるマンションです。
しかし、そうした「老夫婦の暮らし」は、私たちには訪れませんでした。
私たちには、「老後」はなかったのです。
街中で老夫婦を見ると、正直、うらやましいです。
私にも、そして節子にも、体験できなかったことですから。
夫婦が一番ゆっくりできる時期はいつでしょうか。
おそらく子どもたちからも解放されて、何かにわずらわされることなく、2人だけで気ままに過ごす、老夫婦としての日常なのではないかと思います。
時にはそれぞれに、時には2人一緒に、気の向くままに過ごす暮らしです。
私も、節子も、その夫婦最高の歓びを体験できなかったのかもしれません。
しかし欲をいうのはやめましょう。
私たちは老夫婦としてではありませんでしたが、十分に2人の暮らしを楽しんだようにも思えるからです。
47歳で会社を辞めてからは、一緒の時間が多かったです。
今にして思えば、会社を早く辞めてよかったです。
そうでなければ、節子との関係は「ほんもの」にならなかったかもしれないからです。
私が会社を辞めてからの私たちは、いつも一緒でしたから、神様が嫉妬したのかもしれません。
そう思われても仕方がないくらい、私たちは愛し合っていました。
だからといって、老夫婦の暮らしを私たちから奪ってはほしくありませんでした。
まさにOh, my God!です。
いまごろ、Tさんたちは、新しいマンションで、お2人のゆったりした朝食を楽しんでいることでしょう。
私たちなら、間違いなくそうしています。
そんな時の節子の姿が、目に浮かびます。
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