■前提になっている命題は正しいのか
時代が大きく変わる時には、当然の「常識」も問い質す必要があります。
TPP議論では、みんなが「貿易の自由化」「経済の自由化」は反対ではないといいます。
これまで、貿易の自由化に反対と明確に発言した人に出会っていません。
TPP反対論者も、自由化の流れは必然だという発想のようです。
私は、そこに大きな疑問を感じます。
もちろん私は「自由化」が無条件にいいとは全く思っていません。
第一、無条件に正しい命題などあるはずがありません。
財政政策、経済政策の前提にも、「成長戦略」が置かれているようです。
「新成長戦略」などという無意味な形容詞をつけた言葉もありますが、これもまったくおかしい話です。
その一方で、「持続可能性」などというのですから、私にはなかなか理解できません。
もういい加減に、「成長信仰」から抜け出たほうがいいでしょう。
以前、引用した「経済学の船出」の著者の安冨歩さんは、その本のなかで、「激しい労働と激しい消費との組み合わせの自己増殖が「経済成長」と呼ばれるものの正体」だと書いています。
労働と消費のいずれにも「激しい」という形容詞がついているところがポイントです。
私もこの言葉に同感ですが、そこには「私たちの生活が豊かになる」という要素はありません。
経済成長は、生活を豊かにすることとは無縁の話であることは、みんなそろそろ気づいてもいいようなものですが、学者の権威という「常識」に、これまた惑わされています。
原発問題で学者の実態はかなり明らかになったような気がしますが、まだ一般化はされていません。
学者もまさに「ピンきり」なのです。
それに、そもそも「知」なるものが大きく変わりつつあります。
パラダイムシフトなる言葉も、最近使われるようになってきていますが、相変わらず発想の前提は変わっていないのです。
パラダイムシフトとは、発想の前提を変えることですが、だれも経済のパラダイムなど変えようとしていないのです。
こうした事は、この2つの例に限ったことではありません。
言葉だけの着飾った議論は多いですが、新しい発想をしている人には残念ながら滅多に出会いません。
新しい発想は、必ずその人の生き方に現れますから、少し話せばすぐに分かります。
私は、一人称で語る人に耳を傾けるようにしています。
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