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2011/10/10

■節子への挽歌1499:夫婦的無意識

涙が出たせいか、挽歌が書けるようになりましたので、もう一つ書きます。

昨日、湯島で古希世代フェイスブック学びあいの会を開催しました。
高校時代の同窓生から提案があったので、フェイスブックで呼びかけたのです。
結局、集まったのは4人だけでした。
一人は節子もよく知っている乾さんですが、あとの2人は私の高校と大学の同窓生たちです。
大学の同窓生は店網と高橋。節子はそれぞれに会っています。
高校の同窓生は寺田さんですが、私もお会いするのが初めてなので、節子はもちろん会っていません。

私は、高校や大学時代の話を節子にしたことはあまりありません。
それに私は47歳で、会社を辞めてしまい、社会的なレールから離脱しました。
それ以来、官庁や大企業、大学などで活躍している友人たちとはあまり付き合わなくなりました。
世界がどんどんと違っていってしまったのです。
歳をとると、同窓会だとかメーリングリストとか交流が盛んになりますが、私はそれにもほとんど参加しません。
ですから、節子は私の若い頃のことを知りようもなかったのです。
一度、節子と一緒にハワイに行った時に、ポリネシアンセンターで大学の同級生だっ阿部夫妻に偶然に出会ったことがあります。
滋賀の大津で、結婚直後、「神田川生活」をしていた頃に、店網たちが来てくれたことがあります。
湯島にオフィスを開いた時に、高橋はワインを持ってお祝いに来てくれたことがあります。
私が本当に大学に通っていたことを節子が実感できる機会は、それくらいだったかもしれません。
大学時代の話を、私はしたことがほとんどなく、ましてや高校時代の話は全くしたことがないのです。
そう考えると、私たちはお互いのことを一体どのくらい知っていたのでしょうか。
あんまり知っていないのかもしれません。
しかし不思議なもので、大切なことはお互いに十分に知りあっっていた気がします。
私がどんな大学生だったかはたぶん節子はわかっていたでしょう。
何しろ私は子どもの頃から何一つ変わっていない、成長していないからです。

節子はどうでしょうか。
節子もたぶん私と同じです。
節子からきちんと聞いたことなどありませんが、私には子どもの頃からの節子のことが、手に取るようにわかります。

不思議なものです。
愛し合って一緒に暮らしていると、相手のすべてが共有化されていくのです。
集合的無意識からちょっと浮き上がったような、夫婦的無意識が生まれるようです。
それが、今の私を支えているのかもしれません。

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