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2011/10/04

■節子への挽歌1493:節子がいないので疲れます

節子
お風呂の湯ぶねで寝てしまいました。
最近、ちょっと疲れが溜まっているのでしょうか。
節子がいた頃に比べると、私の行動量は半分どころか、三分の一にも満たないでしょう。
にもかかわらず、疲労感は倍増しています。
充実感や達成感がないからかもしれません。

人は何かのために生きるのではなく、誰かのために生きる、というのが私の考えですが、その「生きる目標」を与えてくれた「誰か」がいなくなると、どうも生きる意欲が損なわれます。
意欲がないと、同じことをやっていても疲労感は違います。
本来はワクワクすることでさえ、時にむなしくなります。
ワクワクしないわけではありませんが、節子がいた頃とは何か違います。
「ハレ」の日はなく、毎日が「ケ」なのです。

節子はいつも私に言っていました。
「たまにはすこしゆっくりしたら」と。
いまなら節子はこういうでしょう。
「たまにはすこし急いだら」と。
それほど時間を無駄にしています。
だから忙しくなるのです。

充実感がないまま、疲労感が溜まっていきます。
お風呂に入っても身体を洗う気にもなりません。
そして今日は湯ぶねで寝てしまい、気がついたら15分も寝ていました。
あのまま眠り続けられたら、とも思います。
ちょっとあぶない兆候です。

生活が単調になってきたということもあります。
節子がいた頃と違い、いまや私が真ん中にいる生活ですから、どうしても私好みのものになります。
節子がいた頃の私たちの生活は、お互いに相手の生活に付き合っていましたから、生活に変化がありました。
その変化がなくなり、私の生き方をさえぎる人もいません。
さえぎる人がいなければ、あえて何かをやろうともしなくなるものです。
そして、ますます無気力になる。

伴侶を失った人はみんなこうなのでしょうか。
私の周辺には伴侶を失った人は少なくありませんが、その人たちも私と同じなのでしょうか。
ちょっと違うような気もします。
それとも本当は私と同じなのに、見栄を張って、しゃんとしているだけなのでしょうか。
まあ、私もこの挽歌を読んだりしなければ、しゃんとしているように見えるかもしれません。
しかし、本当は疲れきって、ようやく生きているというのが実態なのかもしれません。

節子に無性に会いたくなることが、時にあります。
今日は、その「時」です。
そう思いながら、この挽歌を書いていたら、急に節子がとても近くにいるような気がしてきました。
目の前にある節子の写真の温もりが伝わってくるようです。
節子が会いに来ているのかもしれません。
今夜は、夢に節子が出てくるかもしれません。
今日は早く寝ましょう。
長い夢が見られるように。

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妻への挽歌08」カテゴリの記事

コメント

佐藤様

 先日はコメントに対するブログでのお返事ありがとうございました。
 最後の「幸せ合戦」「さみしさ合戦」には思わず泣き笑いしてしまいました。そして(しっかり使っているのに)IT社会に少々批判的な私がインターネットの良い面に心から感謝しました。ない時代には起こりえない心の響き合いだったからです。

 また、最近の佐藤さんのブログの内容は共鳴することばかりです。
 二度と体験することはないと確信するあの二人のあたたかく、幸せな日々・・・。
 愛する人を失う前と今とは別人になってしまった自分・・・。
 自分の落ち度を嘆き、(私の場合、今までの自分が傲慢だったのではないかと思うほど、想像のみで思いやっていた)「弱い立場の人たち」と少しだけ気持ちが分かち合えると思えること・・・。
 出会いも別れも決まっていたのではないか・・・。こんなに早い「別れ」はもちろん決まっていてほしくはなかった。でも、私は出会ったときからこれは「奇跡」だと感じていましたから、思い起こすと「決まっていたこと」に符合することばかりにも思えます。
 彼に語りかけました。
 私が逝くときは、こんな私だけれど、あなたとのゆるぎない素晴らしい時があったことを誇りにして私はこの上ない幸福感に包まれて旅立つでしょう、と。その思いが今の私の生きる支えです。
 佐藤さんが結んだとおり、
 「ただ悲しむこと、悼むこと、思い続けること。 それこそが大切なことだと改めて思います。」

 「風情」のない世界については関連して思うことがありました。また、コメントさせていただきます。

 Patti

投稿: patti | 2011/10/05 06:19

佐藤様

毎晩、挽歌を読ませて頂いております。

以前にもコメントを差し上げましたが、僕は1年3ヶ月前、最愛の妻を癌で亡くしました。まだ43歳の若さでした。子供はいません。
妻を亡くして以来、半身を削ぎ落とされたような感覚を抱えています。

今回の挽歌はとても共感する部分がとても多かったです。

・奥様がいらした頃と比べると行動量が落ちているのに、疲労感が倍増している
・充実感や達成感がない
・人は何かのために生きるのではなく、誰かのために生きている。その「誰か」がいなくなると生きる意欲が損なわれる。
・「ハレ」の日はなく、毎日が「ケ」
・生活が単調。ますます無気力になる。
・本当は疲れきって、ようやく生きている。

他にも色々とありますが、とても共感しました。

僕も生きる気力を失いました。
僕にとっても、妻は生きる気力の源でした。
その生きる気力の源泉を失って、簡単に言えば、脚が一歩、前に出ない。
希死念慮もあります。なかなか実行に移せるものではありませんが…

今はただ、一日も早く彼岸に行きたいと念じつつ、毎日をただやり過ごしています。

投稿: ぷーちゃん | 2011/10/05 12:25

ぶーちゃん
Pattiさん
いつもありがとうございます。

実はこの日の挽歌は書いていて自分でもまとまらなくなった挽歌なのですが、お2人から同時にコメントをいただくとは予想外でした。
もしかしたらお2人も私と同じく、思考がまだ混乱しているのだろうなと勝手に想像しました。
混乱した思考同士が波長を合わせるのかもしれません。

ぶーちゃん
彼岸に行くべき時は必ず来ます。
急いではいけません。
私のほうが先行権があることをお忘れなく。

Pattiさん
風情に関するコメント、お待ちしています。

投稿: 佐藤修 | 2011/10/06 20:49

はじめまして~

奥さまへの挽歌が心に響いて コメント差し上げたくなりました

3歳年下の夫を天国に送って、早くも9年になります。

1年間は涙で目が覚め、2年目の立ち直りを期待したのに
2年経ったらよけい寂しさが募って。。本当に辛い期間でした。

息子達も32、31となり、二人合わせて主人であるような、
大切な存在を残していってくれたことは、大きな救いでした。

そんな私ですが、2年ほど前に、88歳の母を連れて タイのある都市で
暮らしております。何も分からない状態から、よく ここまで感謝な環境に
置かれたものだなあと、奇跡のような道筋を振り返ります。母は今、恵まれた
老人施設におり、私は同じ敷地内の一軒家を 教会の友人とシェアして
住んでいます。


クリスチャンのはしくれ。 ミッションスクール育ちの私にとって
信仰を持つような環境に置いてくれた両親にとても感謝していますが。。

平和な毎日に感謝しながらも、この数カ月、ちょっとした試練に
出会って、また同居の友人が2カ月帰国ということと重なって、
無性に寂しさが募ってきて。。自分の弱さをつくづく感じているところ
です。

私の場合は、いい歳をして。。と思われるかもしれませんが、寄り添って
生きる暖かい男性に また巡り合うことが大きな願いなのです。
同じような試練に会った方で、寂しさを分かち合いながら生きていける方が
どこかにいらっしゃることを信じたい。。でも、乱れたこの時代ですから
うっかりネットなど見ようものなら、とんでもなく不愉快な文章に出会ったりで
怖くなりますね。

かと言って、自分で何かグループを立ち上げる勇気もなく。。といったところです。

ブログを拝見して、この寂しさを分かち合えるだけでも とても癒される気持ちに
なりました。ありがとうございます。どうか、元気を取り戻してくださいませ。

初めてのコメントで、ダラダラ申し訳ありません。

お名前やハンドルネーム、よく分かりませんので、何も無しで、とりあえず
失礼をお許しください。

hana


投稿: hana | 2012/02/16 15:37

hana さん
ありがとうございます。

タイの大雨は大丈夫でしたでしょうか。

少し寂しいかもしれませんが、平安な毎日を楽しまれているようで、うれしいです。
他の人の平安な暮らしは、思うだけで自分も平安になれます。
その逆もまた、然りですが。

私も、この挽歌には時々、愚痴や悲しさ、辛さを書き込んでしまいますが、
ある意味では、それなりの元気と平安を取り戻してはいるのです。
ただ時々、無性に寂しくなる事はありますが。

hanaさんに、新しい巡り合いが早く来るように私も祈っています。
タイは、妻が元気になったら行く予定だったところの一つでした。

ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2012/02/17 10:17

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