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2011/10/24

■節子への挽歌1512:罪つくりの女

節子
奈良公園や法隆寺は人であふれていましたが、薬師寺や唐招提寺のある西の京は修学旅行もあまりいなくて静かでした。
それに場所の雰囲気も、あまり変わっていませんでした。
特に唐招提寺の周辺は前に節子と歩いた時と、大きくは変わっていないでしょう。
山門前のお蕎麦屋さんもまだ開いていました。
お客さんは一人もいませんでしたが、当時、お店でおそばを出していたと思われる女性が、おばあさんになってお店番をしていました。
節子がいたらきっと何か声をかけたでしょう。

今回、奈良を歩いて感じたのは、風景が大きく変わってきていることです。
節子と歩いた時のことを思い出せたのは、薬師寺から唐招提寺への道と猿沢の池だけでした。
風景が変わったせいか、節子がいなくなったせいか、わかりませんが、ほとんど場所の雰囲気が違うのです。
風景は自分の気持ちによって大きく変わって見えるものだと、改めて思いました。
節子ともしも一緒だったら、薬師寺から受けた印象も違っていたかもしれません。

これはなにも寺院だけの話ではありません。
あまり意識はしていませんでしたが、私の日常の風景もたぶん大きく変わっているのでしょう。
そして違った風景の中で暮らしていると、それがまた逆に私の意識を変えていく。
それはまた節子との関係においてもいえる話です。
節子が元気だったころも、私と節子の関係は変化していましたが、いなくなってからも、その関係性は変化しているわけです。
関係は深まっているのか、薄れてきているのか。
奇妙な話ですが、たぶん深まっているでしょう。
それぞれの時間が止まってしまっているのに、関係だけは深まって成長しているわけです。

節子がいた時には気づかなかったことに気づくこともあります。
欠点も長所も、新たな気づきがあるのです。
気づいたからといって、いまさらどうしようもないのですが。

別れが愛を深めることもあるようです。
元気だった頃に、なぜもっと愛さなかったのか、時々、そう思うこともあります。
節子は罪つくりの女です。

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