■節子への挽歌1504:私たちは良い親ではなかったようです
節子
今日の夕食時は節子の話で持ちきりでした。
娘のジュンは結婚して近くに住んでいますが、毎日、わが家の庭にあるスペインタイル工房に仕事で出勤です。
そのため夕食はほぼ毎日、わが家で食べています。
パートナーは、柏でエヴィーバ!というレストランをしていますので、夕食時にはいないのです。
上の娘のユカは、私と同居しています。
ですからわが家の夕食は、私がいると3人で食べることになります。
なんだか代わり映えがしません。
今日はいくつか節子の話題が出ました。
その一つは、時々、娘たちから出てくる、子どもの頃、小遣いが少なかったという話です。
私も何回か聞きました。
2人の娘が共通して同じような体験をしています。
子どもの頃、同級生たちと遊びに行っても、いつも小遣いが一番少なく、みんなのようにお土産も変えなかったという体験です。
毎月の小遣いも、どうやらずば抜けて少なかったようです。
わが家では、子どもがお金を使うことには極めて消極的だったのです。
これは私たちに共通した文化でした。
お金がなかったからかもしれませんが、それだけではありません。
子どもがお金を使うことに、どうも抵抗があったのです。
それに、私も節子も、そもそもお金を使う文化があまりなかったのです。
まあ、それはそれで一つの考え方なのですが、娘たちにとって不幸だったのは、両親ともがお金に疎かったことです。
たとえば、今時の子どもたちの小遣いの相場を知らなかったのです。
ですからわが家の娘たちは、駄菓子屋でお菓子を買う経験もあまりしていないようです。
まあわが家の近くにはあんまり駄菓子屋などありませんでしたが。
小遣いが少なかったことから起こった、いろんな事件を娘たちは話してくれました。
節子がいたら、自分のせいであることなど忘れて、たぶん転げまわって笑うでしょう。
節子は、そういう人でしたから。
私は、そういう節子が好きだったのですが。
娘たちの話には、当然、私も登場します。
あんまり「良い父親」とはいえないようです。
たとえば、なけなしのお小遣いで私にウィスキーボンボンをプレゼントしたのに、このお菓子はあんまり好きじゃないな、と言われたと、ジュンが言います。
娘からのお土産は何でも喜ぶはずなのに、余計な一言を言ってしまい、子ども心を傷つけていたようです。
この頃、娘たちから子ども時代の意外な話を聴くことがあります。
節子と一緒に聴きたかったです。
そして節子と一緒に笑い転げたかったです。
節子
どうやら私たちは、「良い親」ではなかったようですよ。
それはそうでしょう。
いまさらどうしようもできませんが。
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