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2011/10/03

■節子への挽歌1492:「くじのせいだ」

節子
「一枚のハガキ」の映画は、新藤監督の作品らしく、見終わった後も、時間が経つにつれてむしろ心の底からじわじわと思いが染み出してきます。

映画のキーワードのひとつが「くじで決まった」ということです。
友子のつれあい(森川)が戦地に派遣されることになり、その仲間の啓太が終戦まで戦地に行かずにすんだのは、移動先を決める「くじ」の結果です。
知子は夫の死を「くじ」のせいにして、自分を納得させようとします。
そこに意味を持たせたくないからです。
啓太は、しかし、「くじ」では納得できません。
なぜ自分が生き残ったのかを煩悶します。
実際にはそんなに簡単ではなく、そうした思いがそれぞれに交差しているのですが、友子は繰り返し「くじのせいだ」と叫びます。

愛する人を奪われた人は、たぶんみんな、「なぜ自分たちだけ」という思いに苛まれます。
自分たち、とりわけ自分に、落ち度があったのではないかと煩悶します。
そしてとても惨めな気持ちになってしまうのです。
それが世間に対する「負い目」にまでなることさえあります。
そうした体験をすると、さまざまな「弱い立場の人」たちと、少しだけ気持ちを分かち合えるようになります。
そして、それができるようになれば、惨めさはしなやかさに変わります。
いささか図式的に書きましたが、これが私のこの4年の気持ちの変遷です。

しかし、友子はそんなまどろっこしいことはしません。
啓太が言った「くじ」という言葉に、解決策を見出すのです。
ちなみに友子の義理の両親の自己納得の言葉は「運」でした。
ここでは、「運」も「くじ」の同義語です。

「くじ」は、言い換えれば「定め」です。
個人の問題は、そこでみんなの問題になるわけです。
くじに当たる意味合いが反転します。
残された人を生かすために、くじを当てた人は従容と「定め」に従うわけです。
そこで「惨めさ」は「誇り」に転化できるかもしれません。
それがいわゆる「英霊」思想です。

「一枚のハガキ」を観ながら、そんなことを考えていました。
節子との別れは「定め」だったのだろうか、と。
そう考えると、いろんなことが意味ありげにつながってきます。
節子との、あの別れは、節子に会った時から、いや会う前から決まっていたという物語ができそうです。
しかし、それこそが「英霊発想」なのかもしれません。

節子との別れが、くじによるものであるかどうかは、瑣末な話です。
ただただ悲しむこと、悼むこと、思い続けること。
それこそが大切なことだと改めて思います。
やはり新藤監督の世界は、私の世界とは違うようです。

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