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2011/10/14

■節子への挽歌1503:今度こそ奈良に行きます

節子
奈良に行くことにしました。
ユカがめずらしく付き合ってくれるそうです。

来週、大阪でNPO活動に取り組んでいる友人知人に会いに行くことにしました。
最近はどうも遠出しておらず、世界が膠着してきているのが自分でもよくわかります。
何とかしないといけません。
それで関西に出かけることにしたのですが、いっそのこと、もう1日、滞在して久しぶりの奈良を歩こうと考えたのです。
歩くコースは、節子と最初に歩いたコースです。
佐保路にしようかとも思ったのですが、あの道はいまでは節子と歩いた時の雰囲気は全くないでしょうから、やめました。
平凡ですが、奈良の標準散策コースです。
一人で歩くのは気が重いので、娘を誘ったわけです。
どんな旅になるのでしょうか。
もっとも行きも帰りも娘とは新幹線は別々です、
京都で落ち合って奈良に行こうと言うわけです。

関西には友人知人がたくさんいます。
しかし今回は会うのはやめました。
ただただ「奈良を歩く」ことにしたいと思ったからです。
一人ではなく、娘を誘ったのは、どこかで立ち止まりたくなかったからです。

節子がいなくなって、奈良はどう変わったでしょうか。
ちょっと興味があります。
いや言い直しましょう。
節子がいないいま、私にとっての奈良はどんなメッセージを与えてくれるだろうかということです。
奈良は、節子と何回も歩きましたが、正直、なぜか私の記憶のなかではほとんど消えているのです。
残っているのは、夢と同じく、気分だけです。
飛鳥にはお茶目な節子、西の京には気だるい節子、斑鳩には神妙な節子、そして東大寺には心が躍動するような若い節子の、それぞれの雰囲気がただよってくるのです。
論理的な記憶はもうすでに壊れているのでしょうか。
断片的なシーンとその土地につながった節子との気分だけが浮かんできます。

私たちは猿沢の池から始まりました。
そこで撮った節子の写真を見て、「そうだ節子と結婚しよう」と思ったからです。
まあ私の人生は、こんな感じで、思いつきで大きく動いてきています。
実際にはほとんどの人もまた同じでしょう。
人生を変えるのは「思いつき」であり、「思わぬ事件」です。

数か月前に、たしかこの挽歌を書いている時にも、「そうだ奈良に行こう」と書いた記憶があります。
その時には行けませんでしたが、今回は行けそうです。
猿沢の池も歩いてきましょう。節子に会えるかもしれません。

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