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2011/10/10

■節子への挽歌1498:どんな状況に置かれようと、それには必ず意味がある

節子
また2日間、ブログが書けませんでした。
時間がないわけでは決してないのですが、書けないのです。
最近は、時評編もなかなか書けずにいますが、毎日必ず書こうと決めた挽歌も書けないことが時々あります。
自然に生きるのをモットーにしていますので、無理はしませんが、それでも書かなくてはという気持ちが心から抜けません。

今日は、お墓参りにも行ってきました。
夕方だったので、お墓には誰もいませんでした。
誰もいない夕方のお墓は哀しいほどにさびしいです。

帰って、テレビをつけたら、私の好きな安田顕さんが出ていました。
NHKのドラマ「風をあつめて」です。
筋ジストロフィーの子を抱える家族の話でした。
なぜか涙がとまりませんでした。
実話に基づく話だそうですが、2人の筋ジストロフィーの娘と向きあいながら、いつしか娘たちに自分たちが生かされていることを知る夫婦の物語です。
決してハッピーエンドとはいえませんし、こんな言い方は不謹慎かもしれませんが、私には娘たちを失う夫婦がうらやましくさえ感じられました。
それで、涙が止まらなかったのです。
悲しかったからでは在りません。
それと同時に、自らを嘆く私自身の欲深さも反省しました。
人の幸せは、決して客観的な状況などではないのです。

もうひとつ感動したのは、主人公が勤めている福祉施設に出資を申し出てきた会社の社長や施設の上司のあたたかさです。
福祉施設の経営を支援しようと言い出した会社の社長は、主人公の家族状況を知った上で、娘さんたちのために人生を犠牲にして大変だね、というような言葉をかけます。
それに対して、主人公は、「犠牲ではありません、もし福祉に関わろうというなら、犠牲というような言葉を使わないほうがいいです」と言い返します。
この場面も私はとても共感できました。
しかしそれ以上に、その時には少し気分を害したように見えた社長が後で謝ってきたのに涙が出ました。
涙は、悲しいから出るのではないのです。

どんな状況に置かれようと、それには必ず意味がある。
改めてそのことを思い出しました。
そう思うとどんな時にも生きやすくなるでしょう。
しかし、そう思うのは簡単なことではないのです。
最近は精神的な疲労感が覆いかぶさってきていました。
しかし、涙が出たら、少し心が軽くなりました。
もしかしたら、まだまだ泣き足りていないのかもしれません。
お恥ずかしい限りですが、いつか思う存分涙したいと思います。

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