■節子への挽歌1517:またつらい冬がきます
節子
東日本大震災からもう7か月以上経ちましたが、まだまだつらい話がたくさん入ってきます。
寒い冬を向かえ、被災されたみなさんにはまたつらい時期がやってきました。
残された者にとって、寒い季節は冷えた心をさらに凍えさせてしまいます。
節子を送ってもう5回目の冬ですが、いまだに冬を思うだけで心身が冷える気がします。
私には、幸いなことに一緒に暮らしている娘がいますから、一人になることはあまりありません。
もし私一人だったら、と思うと、生きる勇気を持てないかもしれないと思うこともあります。
愛する家族を失って、お独りでこの冬を過ごさなければいけない方がいると思っただけで、心が痛みます。
その心の痛みは、決して他人事ではなく、自分の事のように私の心身を凍えさせます。
不思議なほどの一体感、共体験感覚があるのです。
だから被災者の冬の報道は、正直、恐くて見ることができません。
人は、一人で生まれ、一人で死ぬ、という人もいます。
私はそうは思っていません。
生まれる時もたくさんの人に支えられたように、死ぬ時もたくさんの人につつまれています。
彼岸への旅は、一人かもしれませんが、それでもたくさんの人が見守ってくれています。
そして、いうまでもなく、此岸で生きている時も、たくさんの人と一緒です。
人は、人と無縁で生きることなどできません。
そして死んでもなお、一人になれることはないでしょう。
しかし、どんなにたくさんの人たちと一緒であろうと、いつも隣にいた人がいないことのつらさは消えません。
いるのが当然だった人がいないことには、実はなかなか慣れません。
慣れないからこそ、現実感が持てずに、耐えられているということもあるのですが、それでも時に心身が震えるほどに悲しさが湧き上がることもあります。
同じ境遇の人の姿を見た日の、夜です。
そんな時には、もう節子には会えないのだ、などと思ってしまいます。
普通に考えると、節子にはもう会えないのでしょうが、そんな思いは私の心身の中にはどこにもありません。
どこかで会えると確信しているのです。
おそらく、愛する人とわかれた人は、みんなそう思っているのではないかと思います。
そうでなければ、生きつづけられないように思います。
夜になったら、戻ってくるのではないか。
冬になったら、戻ってくるのではないか。
いつも心身のどこかで、そう考えているような気がします。
だから、冬が、そして夜がつらいのです。
夜、突然、目が覚めます。
となりを無意識に手探りします。
そして、早く夜が明けてほしいと思うことも少なくありません。
夜も、冬も、きらいです。
きっと彼岸には、夜も冬もないはずです。
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コメント
佐藤様、こんばんは~
また辛い冬がきます~読ませていただきました。
明るいお話を書かせていただこうと思いますのに、
また私も辛くなりました。
先ほど、夜のお散歩をしました。歩いてる道に私の影が映っています。
たった一人なんだと思いました。
1人でこれからも歩いていくんだと思いました。いつか、きっと会える。
迎えに来てくれるまで、1人で歩くのだと~そんな風に思いました。
同じ、気持ち、同じ心地の方がおられる…そう思うと、書かずにおれません
でした。
少し、安らかな気持ちになれました。こんな気持ちは、誰にも言えません。
有難うございます。
ライム
投稿: ライム | 2011/10/29 23:20
ライムさん
いつもありがとうございます。
明るい話を書こうと、私もいつも思います。
明るい話も、もちろんあるのですが、
しかし明るい話を書くと、どこかで何かがさえぎる気がするのです。
だから辛い話を書いてしまいます。
夜の影ですね。
私はいつも上を向いて歩いています。
最近は星をよく見るようになりました。
投稿: 佐藤修 | 2011/10/30 10:14