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2011年11月

2011/11/30

■節子への挽歌1550:愛する人を見送った者同士

節子
軽井沢に来ています。
シーズンオフのため、街は閑散としています。

夜、若い知人から電話がありました。
彼は最近、父を見送ったと聞いていましたので、気になっていたのですが、そんなことなどまったく感じさせないような明るい声でした。
その声の向こうにある「思い」を知っているだけに感ずるものがありました。
最近、顔を出さないね、というと、また行きますと元気な声が返ってきました。

大阪で、やはり父を自死で見送った人がいます。
彼女に会ったのは昨春ですが、同じような立場の人たちの集まりをやりたいといって連絡してきてくれたのです。
時間をかけて準備してきましたが、ネットワークも立ち上がり、集まりもいよいよ始まることになりました。
電話の声も最初の頃に比べるとだいぶ違ってきています。
2回目の集まりに私も顔を出そうと思っています。

伴侶か父親かの違いはありますが、愛する人を亡くしたという点では私と彼らは同じです。
そういう人に出会うと、なぜか心が開きます。
その人に、自分の気持ちを感ずるからかもしれません。
最近は、少しだけですが、そうした場合の「距離のとり方」もわかってきました。

愛する人を亡くした者にとって、冬の寒さはこたえます。
軽井沢は、明日は雪になりそうです。

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■ポピュリストと独裁者

今日はいつも以上にかなり粗雑な議論です。
大阪市長選は前回よりもかなり高い投票率でした。
おそらくいつもは投票に行かない人たちが投票に行ったのでしょう。
そしてたぶん橋下さんに投票したのではないかと思います。
政治に大きな変化が起きる時には投票率が上がります。
いや上げないと流れは変わりません。

政治はますますポピュリズム化しているといわれています。
それは間接民主主義の当然の帰結ともいえます。
政治の流れを変えるには、これまで投票に行かなかった人を投票に行かせるような呼びかけが必要です。

前回、地元の市長選に関わった時に、ある人が「特に不都合がないので今の市長でいいと思う」と言いました。
その人は、いま何が問題になっていて、これからどうしようとしているかの情報は全くと言って持ち合わせていませんでした。
関心さえありませんでした。
情報公開という言葉は盛んに使われますが、行政は国政も自治体も公開などしたいなどとは思っていません。
公開すれば必ず問題が起こるからです。
知らなければ誰も何も気づきません。関心を持たなければ不満も出てきません。

情報公開に積極的なのは現体制を変えたいと思っている人たちです。
政治には必ず「問題」はありますので、実態が見えるほどに不満も高まります。
あるいは「不満」を起こさせやすくなります。
特にその不満が「わかりやすい」ものであれば、投票に行く気にもなるでしょう。
多くの政治課題は、そんなに「わかりやすい」ものではありません。
しかし、ある一面を捉えるととてもわかりやすくなります。
郵政民営化、二重構造などは複雑な問題を含んでいますが、それをわかりやすい問題に編集してしまうのがポピュリストと言われる政治家です。
それは大きな力を生み出しますが、それゆえに危険性もまた大きいわけです。

ポピュリズムが悪いわけではなく(それが悪ければ民主主義も悪いと言えます)、その過程で「意図された編集」が行われることと結集した人々のエネルギーの暴走に振り回されがちなことが問題です。
前者の最近の例が、TPPです。
TPPの問題をどう捉えるかは人によって大きく違いますが、問題を単純化したほうがわかりやすいために、そうした表層的な事が論点になってしまっているように思います。

後者に関しては、その暴走を統治する仕組みが必要ですが、その一つは「聴く耳を持つ独裁者」かもしれません。
独裁者は「聴く耳」を持たないといわれますが、聴くのは「耳」だけではありません。
強い情熱や志は、世界を狭くもすれば広くもします。
とんがったところには情報は集まるものです。

ポピュリズムの末路は、歴史に語られている事例で言えば、あまり望ましいものではありません。
ナチスはその典型でしょうが、それは必然的な末路ではないように思います。
ポピュリスト的独裁者の橋下さんの動きに期待したいと思います。
彼の「政策に関する変節」も含めてですが。

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2011/11/29

■節子への挽歌1549:自立生活4年生

節子
急に寒くなったので着る服がありません。
ユカにこれでいいかなと訊きながら、なんとかこなしていますが、今朝もズボンが白すぎてシーズンに合わないといわれました。
明日から軽井沢なので、何を着ていったらいいか訊いたら、ユカからまだ4年生だねと言われてしまいました。
節子がいなくなってからの自立生活4年生と言うわけです。
たしかに節子がいる時には、冬になれば衣服も寝具も替わっていましたが、今は自分でやらなければいけません。
先日もユカに付き合ってもらって、あったかなシーツを買いに行きました。
電気毛布を使いたくないといったら、あったかなシーツにするといいと言われたのです。

それにしても、面倒なことが多すぎます。
今日も湯島のオフィスに管理費の振込みが3か月もできていないと督促状が来ていました。
自動振込みしている銀行の預金残高がなくなっていたのです。
ユカに振込みを頼んだら、どこにお金があるのと訊かれました。
銀行にあるだろうといったら、その銀行の預金がないんだよと言われました。
お金は降って沸いては来ないんだよと諭されました。
頭ではわかってはいるのですが、結婚以来、すべて節子に任せていたのでどうも不得手です。

料理もまったくできません。
買物も不得手ですし、第一、財布を持っていないのです。
節子が心配していた通り、なかなか自立できません。
当分、自立学校は卒業できそうもありません。
妻に先立たれると人間のダメさ加減が露呈します。
困ったものです。

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2011/11/28

■節子への挽歌1548:妻の役割の大きさ

節子
庭のバラの剪定をしました。
剪定というよりも、ばっさりと大整理したというのが実態ですが。
節子がいなくなって以来、庭の整理はジュンがやってくれていますが、結婚して家を出たのでこれまでのようにはいきません。
そのためもあって、庭に壁に沿って育っていたバラがどんどん大きくなり、先日の大風で支えが倒れてきてしまっていたのです。
主人がいないと庭も荒れてくるものです。
ジュンはよくやってくれますし、私もユカも水遣りなどはやってはいますが、追いつきません。
節子は在宅の時には毎日、庭の手入れをしていましたから、それに比べればどうしても庭の花木は不満でしょう。

ちょうどジュンも時間があったのでみんなでバラを剪定しだしたのですが、そのうちにどんどん切りこんで、実にすっきりしてしまいました。
節子がいたら、どういうでしょうか。
ちょっと切りすぎでしょうか。
しかし節子も、植木は切れば切るほど元気になるといっていましたから、まあいいでしょう。

庭の手入れの主担当は、まだジュンです。
ジュンは近くに住んでいて、しかも毎日、お昼頃から夜にかけて、わが家のスペインタイル工房に仕事で通ってきているのです。
それで、仕事の合間に庭の手入れをしているのです。
そのおかげで、辛うじて庭は維持されていますが、私の担当の池の周辺はいまや悲惨です。
自然らしいのがいいといいながら、手入れをさぼっていますが、自然は手入れをしてこそ維持されるものです。
困ったものです。

そういえば、わが家の家庭農園も荒れ放題です。
放射線汚染もあって、足が遠のいてしまっていますが、そろそろ枯れ草の掃除に行かないといけません。
節子がいなくなったおかげで、なにかと仕事が増えました。
しかし、妻の役割の大きさにも気づかされています。
気づくのが遅かったかもしれません。

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■大阪のダブル選挙で橋下さんが戦った相手

大阪市と大阪府のダブル選挙が終わりました。
いずれも維新の会の橋下さんと松井さんが当選しました。
メーリングリストで私のところに流れてくる意見の多くは、「失望した」というものでした。
どうも橋下さんには「独裁者」「ファシスト」というイメージがあるようです。
私も、橋下さんの政策や考え方の多くにはむしろ批判的ですが、彼はファシストではなく、イノベーターだと考えています。

このブログで何回も書いているように、私は社会の構造の基本軸を「人間 vs システム」と考えています。
個人としての独裁者は、システムの代表でしかありません。
これは今に始まったことでありません。
かつて平時においては絶対的な権力を持っていたように見える王様も、状況によっては自らの生命を投げ出すか、あるいは処刑されました。
フランス革命の話ではありません。
古代の王様の話です。
戦時の独裁者も、状況が変われば簡単に切り捨てられます。
権力は個人にその淵源があるわけではなく、システムが生み出して一時的に与えられるだけなのです。
そして、その独裁的ともいえる権力は、そのシステムに寄生している多くの人々によってつくり上げられています。
その一つの例が、原発産業です。
現体制からは、それを壊すエネルギーは出てきません。
これまで悲劇的な原発事故が3回も起こりながら、原発に寄生する人たちによって、いまだに原発は広がろうとしています。
読売新聞の渡辺さんはどうでしょうか。
これもみんながつくりあげた権力でしかありません。
みんなが、それを利用しているだけです。
そうした座は見識や志のない、呆けた老人であればあるほど、適役です。
昨今の日本の首相の座も、そうなっているのかもしれません。

話を戻して、大阪の橋下さんですが、彼がどこまでシステムを壊せるかはわかりませんが、システムに挑んでいるのは間違いありません。
対抗馬だった平松さんが戦ったのは橋下さんでしたが、橋下さんが戦っているのはシステムなのです。
平松さんとは格も次元も違います。
そしてシステムに挑んだが故に、すべての政党が反橋下になりました。
共産党は、ある意味では既存の体制の擁護者ですから当然、反橋下です。

こうした構図で見ていくと、昨今の政治状況も経済状況も、かなり違って見えてきます。
橋下さんは私には独裁者ではなく、システムに立ち向かうドン・キ・ホーテに見えます。
あと8年、頑張ってほしいです。
できれば、政策も「人間 vs システム」の視点から考え直して欲しいです。
たぶんこれから成長してくれるだろうと期待していますが。

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2011/11/27

■節子への挽歌1547:「愛しいもの」

節子
Sさんがまた小池龍之介さんの記事を送ってきてくれました。
小池さんは、いま話題の若い僧侶です。
Sさんは、私が小池さんにはピンと来ていないのを承知で送ってきてくれるのですが、やはりまたピンとこないのです。

たとえば、小池さんの「超訳ブッダの言葉」にこんな一節があります。

ブッダの言葉
私はかつて、「目分」よりも
愛しいものを探して
世界中を
求め回ったけれども、
「自分」より愛しいものは
どこにも見つからなかった。
それは他者にとっても同じこと。

ブッダは本当にこう思ったのでしょうか。
私には疑問です。
私がそう思うのは、「自分」と「他者」がつながっているという発想が、そこに感じられないからです。
「自分」がいて「他者」がいる。
いまの私には悟った人の発想とは思えません。
失礼ながら、小池さんはまだ豊かな愛を経験していないのではないかとさえ思えます。
若い僧侶に難癖をつけているわけではないのですが、こうした人の人気が高いということに、大きな危惧を感じます。

私も若い頃、自分より「愛しい」ものを探しました。
そして見つけたのが「節子」です。
いや正確に言えば、「節子」というよりも「愛」といっていいでしょう。
人を愛するということは、自分への「愛」を克服することです。
節子は、その「象徴」だったのです。
人を愛することを一度でも知ったら、すべてのものへの愛しさが生まれます。
自分のための愛が、すべての人のための愛になるのです。
この感覚は、愛を体験した人でないとわからないかもしれません。

自分という、閉じた小さな世界から飛び立つこと。
私にとっての「愛」は、そういうことです。
自分への愛が、自分を含めたすべてのものへの愛に変わるための「愛」。
それに気づかせてくれたのが、節子でした。
そして、愛が解放されれば、たくさんの「愛」が自分に降り注ぐのが実感できるようになります。
愛に包まれているといっていいでしょう。

節子がいなくなって4年たって、ようやくそれが納得できてきました。
自分のこだわっていては、本当に「愛しいもの」は見つかりません。

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2011/11/26

■節子への挽歌1546:前世での友人たち

節子
寒くなりました。

ハーモニカの西川さんが韓国からメールしてきてくれました。
27日にはソウルでコンサートも開くそうです。
今日は西川さんの歓迎会だったようで、佐々木ご夫妻ともお会いしたようです。
今回は西川さんもご夫妻で行かれたようです。

その西川さんからのメールです。

いつのまにか、憲文さんと盛り上がってしまいました。
佐藤さんもそうですが、憲文さんとは、ソウルで今回を含めて2回しか会っていないのに、ずっと前からの友人のような感じがするのが不思議です。
そういえば、西川さんが節子のお見舞いにわが家に来てくださったのは、まだ数回しかお会いしていなかった頃です。
メールで知り合ってからすぐに西川さんは福岡から湯島にまで来てくださいました。
そこから不思議な友だち付き合いが始まったのです。
節子の葬儀にもわざわざ来てくださり、献花してくださいました。
人の付き合いは決して時間ではありません。

29日には佐々木さんのところで、佐々木さん手づくりのマッコリを飲むそうです。
佐々木さんからもメールが来ました。

今回は、糯米9に紅米を1の割合で混ぜて? 呑酒を仕込んでみました。
試飲は西川さんとします。どんな評価でしょうか?
ソウルはこちらよりもずっと寒いでしょうが、マッコリと両ご夫妻の熱い話で、きっと寒さなど吹っ飛ぶことでしょう。

西川さんが書いてきたように、初対面なのに懐かしい友人に合ったような気がする人が時々います。
もしかしたら前世でお付き合いがあったのかもしれません。
現世の暮らしは、長い人生のほんの短い「一幕」なのかもしれません。

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■放射線汚染のことがよくわかりません

昨日の集まりで、放射線汚染や除染の話題が出ました。
いろんな数値が出ていたのですが、私にはどうもよくわかりません。

まず、最初の疑問。
原発や放射線科学に詳しい専門家たちが、テレビや新聞でいろんな話をしていますが、その話をなぜみんな信じるのでしょうか。
彼らこそ、これまで「嘘」をついてきた張本人たちでしょう。
そんな人が話す、いかにも「科学的なデータ」などを基準に物事を考える人の気持ちがわかりません。

次にデータの意味がわかりません。
たとえば「いつ」「どこで」「どのように」「どんな機器で」「誰が」測定したかで、データは変わってきます。
それに瞬間的なデータと期間的なデータが、混在されて語られていますから、私には全く理解できません。
みんなわかっているのでしょうか。
それに、データと人体への危険性に関する関係も私にはほとんど理解できません。
どこかにそういう蓄積データがあって、誰かが分析などしたことがあるのでしょうか。
あるとしたらこれまでなぜ出てこなかったのでしょうか。

第3に、これは批判されそうですが、数字のデータで考えている人の神経がわかりません。
データなどただの「数字」でしかありません。
誰かが「データ」で説明しだした場合、ほとんどの場合が「嘘をつこうとしている」と私は感じます。
それが70年生きてきた体験知です。
真実は、決してデータにはありません。

要するに、これまで嘘ばかり言ってきた(あるいはわからないことをさもわかったように言ってきた)専門家や行政関係者が、都合よく創作した、極めて多義的で、したがって無意味な数字で、安全だとか危険だとか騒いでいるだけの話に、いちいち付き合ってはいられないというのが、私の考えです。

科学の世界で使われる言葉に、known unknownsとunknown unknownsという、2つの「無知」があります。
かつて「オゾン戦争」というのがありました。
夢の化学薬品として生活を便利にしてきたフロンガスが、発売後30年ほどしてから、オゾン層を壊していることが判明したのです。
これはまさに「想定外のこと」、つまりunknown unknownsでした。

しかし原発に関しては、known unknowns、つまり「解明されていない危険」につながる不確かなことが山のようにあったのです。
にもかかわらず、科学者や技術者はそれに目をつぶって金儲けに加担したのです。
そしてほとんどの国民は、その危険性を考えようともしなかったのです。
だれもが原爆と原発がつながっていることは知っていたはずです。
そして少しでも考える気があれば、原発の危険は想像できたはずです。
しかしみんな科学者や技術者や統治者の言葉を信じて、原発は明るい未来を創りだすものと考えていたのです。
原発を誘致すれば立派な施設ができ、仕事が増えると喜んでいたのです。

何をいまさら危険だとか安全だとか騒ぐ必要があるでしょう。
第一、防御などできようはずがないのです。

こんなことを言うと、また非難のメールが届くでしょう。
ではどうするのか、という指摘もあるでしょう。
どうすればいいかは事故のあった直後にこのブログで書きましたから、繰り返しませんが、
昨今の除染だとか出荷停止だとか、放射線対策だとかの動きを見ていると、
原発が安全だと信じて行動していたのと同じ繰り返しが行われるような気がしてなりません。

私には放射線汚染に関するデータを読み解く力はないのですが、そんなデータの変動など気にせずに、以前とは全く違った世界に生きていることを認識して、自分の判断で暮らしていこうと考えています。
寿命が縮まったとしても、それは仕方がないことです。
それにしても、データでごまかすのは止めて欲しいとは思っていますが。
そして科学者や技術者は、きちんと自己総括して欲しいとも思っていますが。

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2011/11/25

■節子への挽歌1545:Nさんのこと

節子
節子の友人のNさんからりんごが届きました。
いつものように、蜜の入った長野の美味しいりんごです。
お礼の電話をかけました。
夏に電話した時には、ご主人が出たのですが、Nさんは階段で転んで入院していると聞きましたが、もう元気になっているだろうと思ったのです。

ところが電話に出たのは、またご主人でした。
そしてお話を聞いたら、Nさんは骨折だけではなく、記憶障害や言語障害なども出てしまい、まだ回復されていないのだそうです。
どうやら大変なようです。

Nさんは、実は節子より先に胃がんになってしまいました。
節子が投稿に書いた友人はNさんです
幸いにNさんは克服されましたが、お互いに同じ体験だったので、Nさんは遠くにお住まいにも関わらず、わが家まで足を運んでくれました。
節子のことをとても心配してくれていました。

2人とも元気だった頃、節子はNさんご夫妻と一緒に自動車で旅行にも行っています。
それがとても楽しかったようで、よく話していました。
いつか私も一緒にと言われていましたが、当時はまだ仕事が楽しくて仕方がなく、気乗りしない返事をしていました。
そのうちに、Nさんが、そして節子が、胃がんになってしまったのです。

Nさんはまだ記憶が完全には戻らずに、言葉も不自由なようです。
節子がいたら、すぐに跳んで行って、元気にしてやれるのにと思います。
節子がいないのが、とても悔しいです。
私では何の役にも立てません。
最近、そういうことが時々あります。
私よりも節子のほうが長生きすべきでした。
つくづくそう思います。

ご主人が電話口で突然、奥さんからもらったつる草が元気に花を咲かせています、と言ってくれました。
節子から、とてもいいご主人だとお聞きしていましたが、私はまだ一度もお会いできていません。
そのつる草は、たぶんヤマホロシです。
節子が残してくれたヤマホロシのおかげで、急にNさんのご主人に会いたくなりました。

節子がそう思っているのかもしれません。
いなくなってもなお、節子は私のいろんな縁をつくってくれます。

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2011/11/24

■節子への挽歌1544:いつもより暗い夜景

節子
今夜は湯島で認知症予防のフォーラムの実行委員会です。
6時半からですが、まだ誰も来ていません。
特に用事もないので、一人で音楽を聴きながら、真っ暗な外を見ていたら、ついつい昔、節子と一緒にサロンの準備をしながら、同じような時間を持っていたことを思い出しました。
いつもは、ここに節子がいたのです。

湯島のオフィスから見える夜景は、遠くの高層のマンションのさびしい明かりです。
以前はもっと明るかったですが、最近はマンションの明かりも少なくなりました。

夕方から夜にかけての、この時間は、ただでさえ、とてもさびしい気になる時間です。
しかし、その時間を節子と一緒に過ごしていた記憶が、今となってはとてもあったかい気がします。
あったかくて、その分、哀しい。
そんな気がします。

そろそろ誰かが来るかもしれません。
珈琲でも淹れておきましょう。
以前は節子がすべてやってくれていましたが、最近は私の仕事です。
それにしても、今日はいつもより外が暗い感じがします。
夜景も気分次第で変わるものです。

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■システムと人間の対立

挽歌編で書きましたが、先週、思い出して、改めて「懐かしい未来」を読み直しました。
日本ではしばらく絶版になっていましたが、今年のはじめに復刊されたのです。
2009年版の「幸せの経済学」というあとがきも追加されていました。
ますます説得力が高まっています。
それなのに、どうして時代の流れは、そちらに向かないのか、不思議です。
本編も私としてはめずらしくていねいに読み直しましたが、そこですでに自由貿易批判が行われていました。
TPP論者に読ませたいですが、呼んでも理解はできないでしょう。

改めて本書を読んで、「システムと人間の対立」という基本構造を再認識しました。
今日の時評は、共感した文章の引用です。

著者のヘレンさんは、こう書いています。

ラダックでの経験は、私たちの危機の第一の原因は、人間の本性でもなければ進化でもなく、この地球と人びとの双方を圧倒しながら執拗に拡張し続ける経済システムなのだ、ということを確信させてくれた。不幸なことに、このシステムはあまりにも大きく成長してしまったので、元々は人間が生み出したものと認識することが困難になってきており、逆らいようのない進化の力であるかのように捉えられがちなのだ。
チャールズ・ライクが「システムという名の支配者」で警告していた話と同じです。
ヘレンさんは、さらに続けます。
政策決定者たちは自分たちが自然で人間的なコミュニティにダメージを与えていることに無自覚である。私たちが直面しているのは、悪意のある陰謀ではなく、構造的な陰謀なのだ。換言すれば、絡み合うさまざまな構造が、生命そのものを脅かす開発の道筋を進めることによって、システム的に「陰謀を企てている」のである。
そのシステムは、人間的な見地からは根本的に不合理で、命そのものの関係性のつながりを圧倒し、破壊しかねない脅威である。まさにこれらの経済活動が、この地球上のいたるところで現実の生物の「成長」を危機に陥れているときに、現代の経済活動に関連して「成長」という用語が使われるというのは、まさに苦い皮肉といえるだろう。
私の退屈なコメントを付け足す必要はまったくありません。
「懐かしい未来」は、NPO法人懐かしい未来から復刊されていますので、ぜひお読み下さい。
ここからもアマゾンを通じて購入できます。


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2011/11/23

■節子への挽歌1543:「なんで悲しむことがあるの」

節子
ある人から東北被災地に「なつかしい未来創造株式会社」が生まれたという話を聴きました。
「なつかしい未来」
いうまでもなく、10年ほど前に話題になったヘレナ・ノーバード=ホッジの本「ラダックから学ぶ 懐かしい未来」を意識した命名の活動です。
そういえば今こそ読み直すべきだと思い、同書をざっと読み直しました。
そのことを時評編で書こうと思いますが、一つ心に残った言葉があったので、挽歌でも書くことにします。
気になった言葉は、「なんで悲しむことがあるの」です。

この本は、著者のヘレナさんが体験したラダックの社会の変化を記録したものですが、彼女がラダックに最初に住みだしたころの話に出てくる言葉です。
ちなみにラダックはチベットと隣接したインドの地域です。
ヘレナさんが住み始めた頃のラダックは、今のブータンよりみんな豊かで幸せだったのでしょう。

ラダックの人たちは、この地球上に彼らの居場所をしっかりと持っている。その場所との毎日の親密な接触、季節の移ろいであるとか、必要性、制約など、身近な環境についての知識を通して、そこにしっかりとつながっている。
そのおかげで、ラダックの人たちは、どんな状況であっても満足し、幸福を感じることができるのだとヘレナさんはいうのです。
そして、こう続けています。
満足は、自分が大いなる命の流れの一部であることを感じ、理解し、気を楽にしてその流れと一緒に動いていくことから来る。もし長旅に出ようとしていた矢先、大雨が降ってきたとしても、なぜ惨めになる必要があるのか。そうなって欲しくなかったかも知れないけれども、ラダックの人は「なんで悲しむことがあるの」という心の姿勢でいる。
最近、私はあまり「悲しむ」という感覚がなくなってきているような気がします。
節子がいなくなった悲しみに、私が持っている「悲しみの感覚」をすべて使い切ってしまったからかもしれないと思っていました。
しかしどうもそうではないようです。
この文章を読んで、そんな気がしました。

「なんで悲しむことがあるの」
たしかにそうです。
節子とのつながりを信じていれば、悲しむことはない。
ありのままにすべてを受けいれ、素直に生きていれば、何も悲しむことはないのです。
もし悲しむことがあるとすれば、それは「悲しむこと」に逃げようとしている自分の生き方なのかもしれません。

「ラダックから学ぶ 懐かしい未来」からは、何か大きな力をもらった気がします。
そのラダックが壊れてきていることも、悲しむことではないのでしょう。
挽歌を書き続けているおかげで、私自身の生き方が少しずつ整理されてきているのがうれしいです。

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■現在の支配的な経済の仕組みを変えるために

FTAをめぐり韓国の国会が荒れました。
明日の日本を見ているようですが、日本の最大野党の自民党はおそらく基本的にはTPP賛成でしょうから、ああはならずにTPPに参加して日本の壊すおそれのほうが強いでしょう。

ブータンの国王が来日し、国会でも大きな拍手を受けるスピーチをしました。
おそらくそのブータンも、まもなく大きく変質するでしょう。
お金には誰も勝てないのです。
人柄が発するオーラにも勝てませんが。

ところで、「自由貿易」や「経済成長」を多くの日本人は無条件に賛成しているようです。
おそらくその意味など考えていないのでしょう。
ラダックが壊れたように、そしてまもなくブータンが壊れるように、そのいずれもが「大きな毒」をもっています。
アダム・スミス以前の「奪い合いの重商主義の時代」に戻ったような気がしてなりません。

すでに報道されているように、アメリカはもはや自らを市場とはせずに、輸出拡大に向かうわけですが、そうした時期の貿易自由化は小泉元首相がやったように、日本をアメリカの市場に差し出すことにつながっています。
しかも魅力的な市場にするために、「新成長戦略」が画策されています。
日本が壊れていくのは残念ながら避けられません。
多くの日本人がそれを望んでいるのですから、仕方ありません。

最近また話題になってきている「懐かしい未来 ラダックから学ぶ」の著者、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジは、2009年版のあとがきで、現在の支配的な経済の仕組みを変えることが必要だと書いています。

現在の経済システムの根底にある「公理」のような命題に対して、改めて問い直す必要があります。
本当に経済成長は必要なのか。
貿易自由化は本当にいいことなのか。
科学技術は生活を豊かにするのか。
専門家の言うことを信じていいのか。
お金は人生の支えになるのか。

問い正したい命題は、私には山のようにあります。
年が明けたら、湯島で少し真面目な読書会をやろうかと思い出しています。
あまりにみんな考えなくなってきているような気がしてなりません。

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2011/11/22

■節子への挽歌1542:迷惑を掛け合う伴侶がいない寂しさ

節子
また訃報が届く季節になりました。
このところずっと付き合いが途切れていた、年上の友人が亡くなったと奥様からはがきが届きました。
不謹慎ですが、伴侶より先に逝けたことを少しうらやましく思いました。
さだまさしの「関白宣言」ではないですが、伴侶に先立たれることの辛さは体験しないとわからないでしょう。
来世では、その辛さを節子に体験させるために、今度は私が先に逝きたいものです。

しかし、先立つ立場であれば、どう思うでしょうか。
愛する伴侶や家族を遺して、旅立つ辛さは、遺された者の辛さ以上のものかもしれません。
いや両者を比べること自体が、そもそも意味のないことでしょう。
いずれもが、同じように、悲しくて辛いのです。
できるならば、一緒がいいですね。

昨日、ある集まりで、同世代の人がしみじみと語りました。
この歳になると子どもたちに大きな迷惑を掛けることのないように生きることが大切だと思う、と。
たしかにそうかもしれません。
しかしもし節子がいたら私はそんな事は一切考えないでしょう。
夫婦とは、お互いに支え合う関係であると同時に、迷惑を掛け合う関係でもあるからです。
「支え合う」と「迷惑を掛け合う」とは、もしかしたら同じことかもしれません。

私には、迷惑を掛けても大丈夫の伴侶は、もういません。
迷惑を掛けてくる伴侶もいない。
私には、それこそが寂しいです。

それにしても、節子には山のような迷惑を掛けてきました。
節子はそれをすねて、先に逝ってしまったのかもしれません。
そうでなければいいのですが。

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■経済的に豊かな家庭の子どもは「頭がいい」

企業経営者の2代目、3代目が集まった研究活動の発表会での体験です。
溌剌とした若い発表者がこう言いました。
「私たち、2代目、3代目は、親のおかげで経済的にも恵まれ、教育にもお金をかけてもらっているので、頭が良いのですが、そのため、頭で考えがちなのです」と。
会場には爆笑が起こりました。

大王製紙の前井川意高会長も、多分同じように「頭が良い」のでしょう。
テレビで報道される前会長はなんら悪びれることなく、さわやかなのも印象的です。
私は、なぜか憎む気にはなりません。

最近、また読んでしまったラスキンは、こう書いています

。「普通に富裕だと考えられている人々の多くは、先天的にしかも永遠に富を得る能力がないのであって、実際にはかれらの金庫の錠とおなじように少しも富裕ではないのである。」
「経済的観点からみれば、そういう人々は国家にとっては停滞した水溜りか、流れのなかの渦巻か、さもなければ、究極のはたらきが堰自体によるのではなくて、水車小屋によらなければならない河のなかの堰のようなものか、さもなくば富として作用せずに「害物」として作用し、かつあらゆる方面においてかれらのまわりにさまざまな惨害と難儀をひき起こすような、単なる偶発的な抑制とか障害としての役目を果たすのである。」
つまり、富を蓄積している富者は、経済を循環させていく上では「害物」だというのです。
そして富者は「金庫の錠」と同じだとまで言います。

井川前会長は、富を得る能力はなかったかもしれませんが、富を使う能力はあり、しかも実践もしたのです。
井川家に死蔵されかねなかった富は、彼のおかげで、カジノを通して社会に回ってきたのです。
おかしな言い方ですが、経済にとっては好ましいことではないかと言う気がします。

問題は、そうした井川さんの行動に異を唱えなかった同社の経営陣です。
おかしいと思いながらも、唯々諾々と従っていた経営者たちの責任をこそ、わたしは問いたいです。

清武さんとナベツネさんの騒動が話題になっていますが、ナベツネさんのような人を育てたのも、同じような「唯々諾々と従う人たち」だったのでしょう、
「異を唱える」ことに意味があるわけではありませんが、「意を唱えない」人生は、私には理解できません。
そうした家畜のような人生は、折角の生を無駄にしています。
しかしそうした輩がはびこりだしている社会には戻りたくはありませんし、そんな生き方はしないようにしています。
それに徹すれば、それはそれなりにまた、生きやすいものです。

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■被災企業の経営者の信念

先日、東日本大震災で壊滅的な打撃を受けながら復興に向けて奮闘している3人の社長のお話を聴く機会がありました。
「希望を目指して踏み出す復興魂」というテーマでのパネルディスカッションをさせてもらったのです。
3人とも素晴らしいお話をしてくださいました。
「希望の缶詰」でテレビなどでも話題になった木の屋石巻水産社長の木村さんが、「まじめに仕事をしていたおかげで、今回もみんなから支えてもらえた」と話してくださったのが、心に響きました。
まさに「企業経営の真髄」ではないかと思いました。

9つの工場のうち8つを流されるという苦境にありながら、阿部長商店社長の阿部さんは毎月2000万円の負担を覚悟して従業員の雇用を守りました。
その決断の様子をテレビで見せてもらっていましたが、直接お話をお聞きして、自社だけでなく地域全体、さらには業界全体を見据えて、広い視野で構想していることがよくわかりました。
具体策も語ってくれました。
産業とはなにか、経済とは何かにつながるお話です。
こういう人にこそ、東北経済の復興を任せたいと思いました。

大正時代からつづく老舗企業のカネシメイチ社長の小山さんのお話も心に響きました。
今回の震災で社員との距離が変わった、社長だけでがんばっていてはだめだとわかったというのです。
言葉にしてしまうとなんでもないですが、ご自身の体験からそれを語ってくれました。
小山さんは、ともかく従業員を100%信じていると言い切っている人です。
これまた企業とは何かの真髄に通じています。

そこで語られているのは、経団連などの財界の経済人たちの語っていることとあまりに違います。
本当に汗しながら生きている人、企業を経営している人の言葉は、心に響きます。
自社でめちゃくちゃなことをやりながらきれいごとを並べる、厚顔無恥な財界人に聞かせたいお話ばかりでした。

私自身、とても心洗われる時間を過ごさせてもらいました。
日本の大企業のほとんどは腐っていますが、それを支えている中小企業の多くは、私にはますます輝いて見えてきました。

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2011/11/21

■節子への挽歌1541:湯島でのひと時

節子
今日は昨日までと打って変わって、穏やかな日和です。
昨日までのばたばた殻抜けて、久しぶりに湯島でのんびりしています。
といっても、しばらくしたら出かけて、夜はまたここでささえあい交流会です。
しかし先ほどか1時間ほど、珈琲を飲みながら、何をするでもなくのんびりしています。
このオフィスから、私は東京の空を眺めているのが大好きです。
ゆっくりと流れる雲を見ていると、何だかすべてのことが瑣末に感じられてきます。
節子がいるときには、こうやってのんびり2人で空を見ていたことはあったでしょうか。
いつも私たちは何か話していました。
何を話していたのでしょうか。
すべては、もう昔の話になってしまいました。

湯島のオフィスは、最近いろんな人が使い出しました。
コモンズ空間を目指していたのですから、それはそれでいいのですが、なにやら共同経営者が不在になった感じです。
節子が用意しておいてくれた食器なども少しずつ壊れたりしてきています。
本来はきちんと買い足さないといけないのですが、そういうことが私は不得手です。
しかし不思議なもので、節子がいなくなっても、何となく湯島のオフィスは回っているのです。

最近は集まりがあっても、参加者の誰かがカップを洗い、後片付けをしてくれます。
節子がいた頃は、節子がほとんど一人でやっていました。
状況が違うと、みんなの行動も変わるものなのです。

節子がいる頃と変わったことはあるでしょうか。
時々、雰囲気が変わったねという人がいます。
しかし何も変わっていないのです。
ベランダや室内の植物もあまり変わっていませんし、壁にかかった版画もそのままです。
もちろんレイアウトは変えていません。
テーブルと椅子はかなり古くなったので、買い換えたいところですが、そういうこともまた、私のもっとも不得手とするところです。
椅子の一つはちょっと壊れてしまってきていますが、すべてを買い直すとなるとかなりの出費ですので、収入がほとんどなくなっている私には今は無理そうです。
でも節子がいたら、たぶん買い換えるでしょうね。
来年は少しがんばって仕事をして買い換えようかとも思います。

そうそう変わったことが一つあります。
先日、12人用の珈琲メーカーを購入しました。
今までは5人用だったので面倒でしたが、いまは楽になりました。

そろそろ出かけなくてはいけません。
久しぶりに1時間ほどのんびりと無為の時間を過ごしました。

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■忙しいことを良しとしない「までいな生き方」

今日はいささか友人知人の気分を損ないかねないことを書きます。
これまでも何回か書いてきていますので、このブログの読者には伝わっていると思いますが、私の友人知人にはあまり伝わっていないことのようです。

私は「多忙」とか「忙しい」という言葉にはマイナスイメージが強くあります。
忙しい生き方ほど恥ずべき生き方はないと思っています。
それで先日、フェイスブックに「最近忙しい生き方になっているので、それを反省しなければいけない」と書きました。
そうしたらある人から「忙しいうちが花です。幸せだと思います」と書き込まれ、それにまた別の友人が「同感、同感」と書いてきました。
私は、そういう生き方に問題提起したつもりなのですが、まったく伝わっていません。
困ったものです。

私にメールをよくくれるある人は、自分の署名の上に、
「ご多忙の日々、ご自愛ください」と必ず書いてきます。
私にとっては、これほど失礼な言葉はないと思うのですが、本人はまったく悪気などあろうはずもありません。
ますます困ったものです。

挨拶でもよく「お忙しいですか」とか「お忙しそうですね」と言うことがあります。
私も使うことがありますが、私の場合には相手への「トゲ」を含めています。
性格が悪いのです。
集まりなどでの挨拶でも、「お忙しいところ」とよく使われます。
しかしそれは「ご多用のところ」と言うべきであって、「お忙しいところ」とは言うべきでないように思います。

「忙」とは「心を失う」という文字です。
あなたは心を失っているのですね、と言われてうれしい人はいません。
心を失っている人たちに集まってもらっても、形だけの集まりで終わります。
自分のことを「忙しい」というのは自戒をこめて言うわけですからいいのですが、ほかの人を忙しいと考えるのは失礼だと私は思っています。

経済成長を目指してきた日本においては、「忙しいことを良しとする文化」が育ってしまいました。
私はその文化を壊さなければいけないと思っています。
スローライフとかロハスは、その一つかもしれませんが、それらにも私は違和感があります。
東日本大震災の後、有名になった言葉に「までい」というのがあります。
飯館村がまちづくりの合い言葉にしていた言葉です。
以前、CWSコモンズには書いたことがありますが、私にはこの言葉がぴったりきます。
この言葉は、以前、福島の人に聴いたところでは、「心を込めてゆっくりと」というような意味だそうです。

「までいな生き方」
それが私が目指す生き方です。
忙しさは人をだめにします。

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2011/11/20

■節子への挽歌1540:投げ出せない人生

節子
最近、いろんなことが重なってどうも時間がとれません。
さまざまなことに関わりすぎているからかもしれません。
昔はいろんなことに関わることが逆に元気の源でしたが、最近はどうもそうでもありません。
節子がいたら、またたしなめられるところでしょう。
「忙しい」のはみっともないことですから。
しかし、最近、少し「心を失うような」状況です。
心を失うと忙しくなります。
忙しいから心を失うのではありません。
心を失うから忙しくなる、それはわかってはいるのですが、最近は心を失いがちです。

昨日、東北の水産関係の3つの会社の社長のみなさんとお会いしました。
いずれも今回の津波で壊滅的ともいえる被害を受けた会社です。
テレビなどでも拝見していたみなさんですが、お話していて、とても「あったかなもの」が伝わってくるのです。
ああ、この人たちは「心を失っていない」と思いました。
そして自分の最近の状況を反省しました。

節子がいなくなってから、時に人生を投げ出したくなることがあります。
節子のところに行けたらどんなに心安らぐだろうと思うこともあります。
その一方で、娘たちのことを考えると、その身勝手さに気づきます。
節子ほどではないでしょうが、私がいなくなったら、娘たちは悲しむでしょう。
人は、一人では生きていない。
それに気づけば、人生は投げ出せません。

宮沢賢治のことを最近またよく考えます。
賢治のように、私もトボトボと歩き続けるしかありません。
トボトボ歩くと見えてくることもたくさんありますし、それは豊かな歩きなのかもしれません。
しかし、時々、昔のように急ぎ足になってしまうのです。
そして心失い、忙しくなってしまう。
その繰り返しなのです。
そんなことをしなければいいと自分でもわかっていますが、忙しくして心を失わないとやりきれないこともあるのです。
まだまだ心は安定していない証拠です。
長年、あまりに節子に依存していた生き方をしていたからでしょう。
困ったものです。

今週は少しトボトボ歩きに戻ろうと思います。
しかしどこに向かっているのだろうかと、時に思います。
まだまだ人生を悟るには程遠いようです。

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■お金を無駄遣いしていた人の増税要請

今朝のTBSテレビの時事放談は民主党政調会長代行の仙谷さんともう引退された武村正義 さんでした。
お2人とも、消費税増税をしないと財政は破綻するから国民のためにも野田さんはぶれずに消費税増税に取り組んで欲しいといいました。
消費税の問題はすべての国民に影響を与えるからTPP問題よりも重要だといっていました。

私は消費税問題よりもTPPのほうが重要だと思っています。
たかが狭義の経済問題でしかない消費税よりも文化の次元の問題であるTPPのほうがよほど大きな問題ではないかと思うのです。
しかしそれはともかく、2人の政治家が消費税増税を語っている姿を見て、納得できないものを感じました。

私は、消費税は20%か30%でもいいと思っています。
昨今はともかく価格が安すぎます。だから安直に物やサービスを浪費しがちです。
それがなんとも私にはやりきれないのです。
ただし生鮮食料品のような生きるための消費には、消費税はかけてほしくないです。

ではどうして納得できないのか。
彼らが、財政破綻を救うために消費税増税は避けられないというからです。
それではそもそも今のような財政破綻状況にしたのは誰なのか。
言うまでもありませんが、それは政治家です。
つまり仙石さんや武村さんなのです。あるいは野田さんです。
決して官僚ではありません。
そういう認識が政治家にはあるのでしょうか。
まずは自分たちが責任を取って政治家を返上してこそ、消費税増税を主張できると私は思っています。
二世賛成の政治家などは論外です。
恥を知れといいたいです。
彼らの論理は、私には盗人の開き直りにしか聞えません。
自分で使い込んでおいて、その補填を居丈高に呼びかける。
その神経が私にはわかりません。

財政赤字をもたらしたのは自民党政権で民主党には責任がないという人もいるかもしれません。
とんでもない。政治家はすべて一蓮托生です。

イタリアの新しい内閣はすべて現在の職業政治家以外で構成されたそうです。
実にうらやましいです。
成功するか失敗するかはわかりませんが、その潔さがすばらいいです、

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■オリンパスショックとOlympusgrassroots.com

オリンパスの事件はいろいろと考えさせられました。
最初、社長解任のニュースを聞いた時、私の頭に浮かんだ最初の思いは、日本の経営を壊す外国人経営者が解任されたということでした。
日本の企業経営のよさが、グローバリゼーションという流れの中で、次々と壊されている昨今の風潮には怒りさえ感じていましたから。
しかしその内容を知るにつけて、逆におかしいのはオリンパスの旧経営陣ではないかと思い出しました。
そして実態が明らかになるにつれて唖然としました。
まさかのまさかですが、その一方で、これはオリンパスだけの話なのだろうかと思い出しました。

1980年代、私がまだ会社にいた頃、財テクブームが広がりだしました。
その時の悪魔が、まだまだ企業には住み着いているようです。
現在の社長は自分は知らなかったと言っていますが、知ろうとしなかっただけでしょう。
人は都合のいいことしか見ないものですから。

11月12日に、一つのサイトが立ち上がりました。
Olympusgrassroots.com。「オリンパスの再生に向けて社員が立ち上がるサイト」と説明されています。
立ち上げたのは、同社の元専務、宮田さんです。
トップページにはこう書かれています。

オリンパス従業員の皆さん、
愛するオリンパスが消滅するかもしれない、このような状況をこのまま何もせず座視することに耐えられなくなりました。社外にいるからこそ見えてくるオリンパスの危機の深さ、深刻さをできるだけ正確に理解し、それをチャンスに変えるための方策を自分なりに考えてみました。それを皆さんと共有し、今こそ立ち上がろう、と呼びかけたいと思います。
宮田さんにも責任がなかったとは思いませんが、宮田さんもその事は自覚しているようです。
そして宮田さんは、だからこそ行動を起こしたのです。
言い訳ではなく、行動を起こした。
しかも広く社会に向けてであり、オリンパスの従業員に向けてです。
私が興味を持ったのは、こうした動きが出てきたことです。
その気になったら、当事者としてでも、一人の個人としてできることはたくさんあるのです。
論評よりもまずは行動です。

この話を一昨日、企業の経営幹部のみなさんの集まりで紹介させてもらいました。
企業も社会も、それを構成しているのは私たち一人ひとりです。
一人が動くことで始まることもたくさんあります。
最近の企業がおかしいのは、そこにいる社員の問題です。
立場によってできることはいろいろと違うでしょう。
しかしできることは決して少なくありません。

思ったら行動しましょう。
それは社会のためではありません。
自分が気持ちよく暮らせる社会にしていくためにです。


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2011/11/19

■節子への挽歌1539:「お幸せになったそうですね」

「お幸せになったそうですね」
久しぶりにお会いした某社の女性社長がそう話しかけてきました。
何のことかなと怪訝な顔をしていたら、いい人と出会われたそうですね、と言うのです。
おやおや。
そんなことは一切ありません、とついつい強い口調で反応してしまいました。
その人は、戸惑ったように、再婚されたとお聞きしましたが、というのです。
私はさらに強い口調で、「そんなことは絶対にありえない話です」といささかの怒りをもって応えました。
さらに戸惑ったその人は、そうですよね、あんなに奥様を愛されていましたものね、と言いました。
「誰からお聞きになったのですか」と問いかけましたが、答はありませんでした。
そこで会話は切れてしまいました。
私は、その直後にパネルディスカッションのコーディネーター役をすることになっていましたが、なにやらどっと疲れが出ました。
機先を挫かれた感じでした。
まあなんとかパネルディスカッションはうまくいきましたが。

その女性社長との付き合いは20年近くになるかもしれません。
節子も知っている人です。
彼女もドラマティックな人生を歩んだ人です。
仮にそういう噂があったとしても、そう思われたことがとても不愉快でした。

「お幸せになったそうですね」
なんだか同情されているようで、いやな言葉です。
いまの私はたしかに「幸せ」ではないかもしれません。
しかし、何かがあったら「幸せ」になれるものでもありません。
「幸せ」という言葉は意味が深い言葉です。
節子を見送って、それがよくわかるようになりました。
それに、人は一度幸せを体験すれば、それで十分なのです。
その体験を持ち続ければ、未来永劫、幸せでいられるものです。
おかしな言い方ですが、たとえ「不幸」になっても「幸せ」なのです。

節子は病気になる前によく言っていました。
もし修が先に死んでも、私は再婚しない。
もう一度、結婚するのは面倒くさいから。

まったく育ちをことにする他人が、心を本当に通わせあうのは簡単なことではありません。
節子の、この言葉は、私と心を通わせあったことの証だったと思いました。
私も同じように、もう一度、本当に心を通わせあう関係を他者と構築できるほどのエネルギーは残っていません。
私たちも、それなりに真剣に自分をぶつけ合って、真剣に夫婦をしてきたのです。
それに関しては、それなりの自負があります。
娘たちからは「いい加減な夫婦」に思われていますが、

それにしてもそんな噂が流れているとは、一体誰が流しているのでしょうか。
私を全くわかっていない誰かが流しているのでしょうね。
困ったものです。

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2011/11/18

■節子への挽歌1538:昔はよかった、のか?

節子
椿山荘で、山城経営研究所の25周年の集まりがありました。
そこで久しぶりに昔の受講生などにお会いしました。
いまでは社長になっている方も少なくありません。

ところで以前、湯島のオープンサロンに来てくださった人がいました。
もう会社は引退されている方です。
その人が後輩だといって社長を紹介してくれました。
そして、私のことを、「佐藤さんもお酒が大好きだから」と言ってくれたのです。
実は私は下戸で、ほとんどお酒は飲めません。
それで急いで訂正させてもらいました。
そうしたらその人が言うのです。
では人に振る舞うのがお好きなのですね、と。
そんなことはないのですが、返事に困っていると、その人はこう言いました。
以前、湯島のサロンに参加させてもらったら、海保も取らずに飲み放題、食べ放題でしたよ、と。

たしかに節子がいた頃はそんな時期もありました。
毎月のオープンサロンは、ビール飲み放題でした。
食べ物も節子がそれなりに用意してくれていました。
最もその頃からお金はあんまりなかったので、節子は苦労していたかもしれません。
それに参加者がいろいろと持ち込んできてくれました。

いまはビールではなくコーヒーサロンです。
しかも会費までもらっています。
むかし参加していて人がいたら驚くでしょうね。

節子がいなくなって変わったこともあるのです。
最近のサロンには女性はあんまり参加しません。
そういえば、昨日書いた黒岩さんはサロンの常連でした。
ほかにも女性の常連はいましたが、節子がいなくなってからぱったりこなくなりました。
それに参加者も昔に比べて圧倒的に少ないです。
それになにかちょっと明るくないですね。
来年から少しまたサロンのあり方を考え直したほうがいいかもしれません。

昔の人に会うと、またいろんなことを思い出しますが、節子のことも時々話題になります。
うれしくもあり、さびしくもあり、です。

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2011/11/17

■節子への挽歌1537:黒岩さんの一周忌

節子
今日は黒岩比佐子さんの一周忌です。
先日、彼女を偲ぶ会がありましたが、私は参加しませんでした。

黒岩さんから衝撃的なメールが来たのは2009年の12月16日でした。
声が出ませんでした。

メールを書こうか、やめようかとずいぶん迷いましたが、
お知らせしないのも……と思って書くことにしました。
実は、12月1日から今日(12/15)まで、東大病院にずっと入院していました。
11月に膵臓がんが見つかり、肝臓にも転移している状態で、入院中から抗がん剤治療を始めました。
(中略)
まさか、このような事態になるとは予想もしていなかったので、
自分自身がまだ受けとめられずにいます。
(中略)」
節子さんのこともありましたし、私の周囲の人たちも、ほとんどががんで亡くなっています。
でも、実際に自分ががん患者になってみると、人生観が変わるほどのショックです。
突然、このようなメールをお送りして、驚かせてしまい申し訳ありません。
どうかくれぐれもご自愛ください。
最後のメールは2010年の10月10日でした。
彼女の最後の作品になった「パンとペン」を私のホームページで紹介したのを知ってのメールでした
HPのほうにも書いていただき、うれしかったです。
節子さんが生きていらっしゃったら、きっと笑顔で言葉をかけてくださったことでしょう。

あとがきに書いたように、堺利彦の孫娘である近藤千浪さんも、節子さんのように素晴らしい人でした。
それが、なんの前触れもなく、心不全で6月に急逝されてしまい、いうべき言葉もありませんでした。
人の生死については、かなり考えて、自分なりに悟りを開くことができたようです。
講演会にも来てくださるとのこと、お会いできるのを楽しみにしています。

その講演会が黒岩さんと話した最後でした。
節子は黒岩さんの将来の活躍をとても楽しみにしていました。
今頃は彼岸で会っているかもしれません。
今朝は、節子の位牌に向かって、2人に話しかけました。

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2011/11/16

■近世の商人の発想としての消費税増税

「大きな財産をもっている人を毒殺するのは、中世において盛んに用いられた金持ちになる方法であり、わずかな財産をもっている人の食物に粗悪品を混入するのは、今日盛んに用いられる富を得る方法である。」

これはラスキンの「この最後の者にも」に出てくる言葉です。
中世と近代では金持ちになる手段が全く違うのです。
奇妙に納得できる文章です。
そして21世紀は、さらに近代の手法が効果的に展開できる時代です。
インターネットが、それを可能にしてくれます。
実際に、そうやって今の地位を得た富豪は少なくありません。

しかしラスキンの言い方を使えば、こうも言えます。

「大きな財産をもっている人から寄付を得るのは、中世において盛んに用いられた社会活動の資金作りの方法であり、わずかな財産をもっている人たちからわずかばかりの浄財を集めるのは、今日盛んに用いられる資金作りの方法である。」

東北復興のために短時間に巨額な寄付が集まりました。
それはこの一例です。
つまり私欲を増やすためか、社会を豊かにするためかによって、同じ手法は全く違った意味を持ってくるのです。
ラスキンは、「価値」についても語っていますので、それと重ねて考えていくと実におもしろいのですが、ここではただ「同じ手法も理念によって正反対になる」と言うことを書き添えておきます。

消費税は、手法においては、この発想に基づいています。
問題は理念ですが、消費税増税は前者でしょうか後者でしょうか。
前者と後者の違いは、お金を出す人が、喜んで出すか嫌がって出すかです。
そう考えると、最近の消費税増税は前者ではないかと私は思えてきています。

わずかの負担増だといって、気を許してはいけません。
新しい税体系を考えるに当たっては、みんなが喜んで税を負担するにはどうしたらいいかから考えていくのが効果的だろうと思います。
歳入が足りないから増税だというのは、近世の商人の発想でしかありません。

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■節子への挽歌1536:もう一度行きたかった節子との沖縄旅行

森山良子さんの「なだそうそう」を聴いてしまいました。

節子と沖縄に行ったのはいつだったでしょうか。
節子が病気になる前でしたが、いつだったか思い出せません。
格安ツアーだったと思いますが、4日ほど、沖縄を回りました。
節子は沖縄が大好きになりました。
娘たちにもさかんに沖縄旅行を勧めていました。
私たちも、今度は格安ツアーではなく、ゆっくりと沖縄を回ろうと話していました。

節子はコーラスグループに入っていましたが、節子はいつも家で練習していました。
そのなかに、「島歌」や「花」、「芭蕉布」そして「なだそうそう」がありました。
節子はよく口すさんでいました。
そのおかげで私も何となく歌えるようになりました。
いまもその頃の楽譜が、寝室に乱雑に残っています。
あまり片付ける気がしないので、そのままに、です。
発表会のDVDも残っています。

一昨年、節子が勧めていた沖縄に娘たちが行こうと言い出しました。
ジュンが結婚する前の、最後の家族旅行でした。
本当は4人で行くはずの沖縄旅行が、3人でした。
その頃、私はまだ、精神的にかなり不安定でしたが、節子と話しながらの旅でした。

「なだそうそう」を改めて聴いて、また沖縄に行きたくなりました。
沖縄は、なんだか彼岸に一番近いところのような気がするのです。
節子がいなくなったいま、同じ歌を聴いても、まったく違う思いが湧き上がってきます。
時に、息苦しくなるのはなぜでしょうか。

それにしても、節子は私をいろんなところに連れて行きました。
沖縄旅行も節子が手配してくれたのです。
できることなら、彼岸への私の旅も、節子に手配して欲しかったです。

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2011/11/15

■節子への挽歌1535:元気の炎

節子
昨日、セラピー活動をしている2人のセラピストが湯島に来ました。
一人はアートセラピスト、一人は臨床美術でクリニカルアートに取り組んでいる人です。
いま私が取り組んでいる認知症予防フォーラムの案内を知ってやってきてくれたのです。
節子がいた頃ほどではありませんが、今も毎週、新しい出会いがあります。
湯島は不思議な場で、実にさまざまな人を招きこんでくれるのです。

新しい世界にワクワクする感度を、最近は漸く少し取り戻してきています。
昨日の臨床美術の話は、節子だったらすぐ身を乗り出して、参加するでしょう。
しかし、その行動力は、私にはまだ戻ってきていません。
節子が聴いたらどんなに喜ぶだろうなと思いながら話を聴いていました。
それに、少し疲れがたまっているせいか、いつもより反応が悪いような気もしていました。

ところが、別れ際にクリニカルアートに取り組んでいる人が、元気をもらったといってくれたのです。
最近、自分ながらに元気が弱まっているのを感じていましたので、意外な言葉でした。
そして今日、アートセラピストの人からメールが来ました。

佐藤さんとお話ししているととても明るい気持ちになれ、パワーをいっぱいいただいたような感じがします。
我々もそうでありたいと思っています。
そして続いて臨床美術の人からも届きました。
何よりも、佐藤さんから発するエネルギーが、次に進む意欲につながり、とても活力になりました。
最近、どうも元気が出ないと思っていました。
しかしどうやら他者にはパワーを発しているようです。

周りの人を明るく元気にすること。
これは私が望んでいることです。
しかしその本人の、つまり自分の元気が枯れていては他者に元気を与えられないと思っていました。
それが2人から同じようなことを言われたのは意外でした。
そういえば、昨日、もう一人学生がやってきました。
私から元気を吸収したいといって、かばん持ちでも何でもやるからと言ってきたのです。
私から見れば、私よりも数倍も元気で行動力のある若者です。

元気とは何だろう、と考えてしまいました。
そして、節子が話もできないほどに病状が進行していた時でさえ、私は節子から元気をもらっていたことを思い出しました。
元気は、個人の中にではなく、人と人との関係性の中から生まれているのかもしれません。
化学反応のように、元気を生み出す出会いと言うのがあるのかもしれません。
そして常に元気を他者に与え続ける関係もあるのです。

節子は最期の最期まで、私に元気を与え続けてくれました。
いや今もなお与えてくれています。
節子は、私から元気を奪ったとばかり思っていましたが、そうではなかったのです。
元気ではなく、決して明るくはない私が、時に周りに元気を与えることができる。
節子が私に遺していってくれた「元気の炎」が、いまもまだ私の心身で燃えているのかもしれません。
そのことに気づかされました。
しかし、にもかかわらず、私自身は元気を実感できず、ただただ悲しいばかりです。
他者への元気な炎ではなく、私自身を元気にする炎を、節子に贈ってほしいです。
それには、節子に会うしかないのでしょうか。
彼岸に行くまで、お預けなのでしょうか。
実に、罪つくりな話です。

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2011/11/14

■節子への挽歌1534:名前

節子
昨日の挽歌を読んだ友人から、「佐藤さんにとってのsmall talkが奥様のお名前だったというのも感銘を受けました」というメールが来ました。
それで今日は、名前のことを書こうと思います。

私たちは、お互いを名前で呼び合っていました。
娘が生まれてからもそれは変わりませんでした。
「お母さん」とか「お父さん」とか呼ぶことは皆無でした。
名前を大事にするということには、私はかなりのこだわりがありました。
夫婦同士の場合、それは問題はありませんでした。

ところが娘たちにどう呼ばせるかということでは、節子と私は意見が異なりました。
私は、娘たちにも「修」「節子」と呼ばせるのがいいと提案しました。
節子は反対でした。
「お母さん」「お父さん」がいいというのです。
私は、そうした一般名詞で人を呼ぶのは賛成しかねます。
どうしてもというなら「私のお父さん」と呼ぶのが正しいはずです。
しかし、そんな主張が通るはずもありません。
残念ながら方針は一致せずに、それぞれがばらばらで娘たちに付き合いましたので、娘たちは混乱したかもしれません。
しかし今もなお、節子のことを娘たちは「節子(さん)」と呼ぶこともありますので、まあ私の文化も少しだけ継承されたわけです。

私は「佐藤」という、ありふれた苗字なので、会社時代も会社を辞めてからも、名前で呼ばれることが多いのです。
しかしその文化はそう多くないようです。
ある外部の集まりで、私と一緒に活動していた若者が私のことを「修さん」と呼んでいたのですが、その後、その会議に参加していた会社の社長から、あの若者は佐藤さんのことを「修さん」と呼んでいたが、一体何者なのかと訊かれました。
私には意外な質問でしたが、私の文化はまだ当時は特別だったのかもしれません。

しかし人を名前で呼ぶのは当然です。
私は大学教授であろうと医師であろうと「先生」とは呼ばずに「さん」付けで呼びますが、それは私にとっては相手に敬意を表わすためなのです。
私も時に「先生」と呼ばれることがありますが、あまりいい気持ちはしません。
それで必ず「先生」ではなく「佐藤さん」です、とさえぎるのですが、どうしても直らない人がいます。
それはそれで仕方がありませんが、やはり人は「名前」で呼ぶべきだろうと思っています。
それが「私の常識」です。

ところがそうした「私の常識」は、現在の社会では時に異端のようです。
呼び方くらいはいいですが、他にもそうした今様ではない「私の常識」に、もしかしたら節子は苦労したのかもしれません。
節子が私と同調してきたのは、たぶん結婚してから20年くらい経ってからです。
それまでは苦労させたのかもしれません。
それが病気の原因でなければいいのですが。

今の時代は、すなおに常識的に平凡に生きることが難しいのかもしれません。

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■うつし世の静寂に』の上映会のご案内

今日は、ささらプロダクションの小倉さんたちが制作した『うつし世の静寂に』の上映会のご案内です。
この映画は、大都会のすぐ隣にまだ残っている「講」を切り口にして、自然と共に生きてきた私たちの文化の意味を考えさせてくれる作品です。
http://www.sasala-pro.com/film/u_detail.html
■11月17日(木)16時半から
会場:明治大学和泉校舎 第1校舎2F 208教室
会費:無料
■11月19日(土)13時から
会場:川崎市生涯学習プラザ 301(川崎市中原区今井南町514-1)
会 費:無料
問い合わせ:044-733-5590 (フェスタ実行委員会事務局)
■11月22日(火)18時から
会場:JAセレサ菅生支店 3階 (川崎市宮前区菅生1-2-22)
会費:500円
*東日本大震災復興支援映画会です。

ちなみに、この映画の感想を昨年、ブログに少し書きました
年明けに、新しい講(結い)をテーマにしたサロンを考えていますが、なかなか参加者が出てきません。
関心のある方はご連絡ください。

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2011/11/13

■節子への挽歌1533:最小にして最高の共感の共同体

人類学者のマリノフスキーは、「よい天気だね」とか「こんにちは」などといった、あまり意味のない言葉を頻繁に掛け合うことによって成り立つ社会を「共感の共同体」と呼びました。
意味がない言葉、といってしまうと正しくはないかもしれません。
いわゆる定型的な挨拶語のような言葉のことです。
マリノフスキーは、こうした言葉を「small talk」と呼んでいます。
-
言葉は知識や考えを媒介すると同時に、感情や気分を伝達します。
まさにこの定型語は、繰り返すことによって、感情や気分が通じ合うようになるのです。
たかが挨拶ですが、されど挨拶。挨拶を言い交わす効果は大きいです。
挨拶をしっかり言うことで、経営危機を乗り切った会社もあるほどです。

夫婦は、最小にして最高の、共感の共同体ではないかと、私は思っています。
共感の共同体としての夫婦ほど、居心地のよい世界はありません。
それが出来てしまえば、言葉は不要になってしまいます。
と言うよりも、言葉の役割が変わってくるはずです。

私たち夫婦のsmall talkは何だったでしょうか。
私は「節子」でした。
つまり、お互いの名前をよく呼んだのです。
「おはよう」とか「だいじょうぶ」とかいう呼びかけも多かったです。
こうしたsmall talk が私たちを同じ共感の共同体の住人にしていったのです。

夫婦の会話はとても大切です。
昔は、会話の少ない夫婦が多いと言われたこともありますが、最近は会話の多い夫婦も増えているようです。
しかし大切なのはsmall talk なのです。
small talk は、実は自然に出てくる気遣い言葉だからです。
心とつながっているのです。

節子との暮らしで、そのことを私は教えてもらいました。
そしてそれこそが、快適に暮らす最高の要素なのだと、最近では思うようになっています。
ケアの世界も経営の世界も、基本は自然に出てくるsmall talk なのです。
難しい言葉や流暢な話術は、small talkに比べたら、その効用は小さなものです。
そのことに気づいてから、私の生き方は大きく変わりました。

いま少し寂しいのは、small talkがなくても共感が維持できた、最高の伴侶がいないことです。
究極のsmall talkは、non talkなのです。
これにはマリノフスキーも気づいていなかったかもしれません。

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■小賢しき者たちの時代

TPPに関する、野田首相の小賢しさは私には驚きでした。
言葉をこれほどに悪用する小賢しさは、かつての政治家の得意技でした。
野田首相はまさにその末裔です。

交渉参加と交渉参加に向けての協議はどこが違うのかわかりませんが、反端論をあれほどぶちあげていた山田前農水相も、その言葉に納得してしまいました。
なんだかがっかりです。
一人くらい潔い政治家がいてほしかったです。

しかし野田首相に追随するマスコミの多さにも驚きます。
昨日と今日のテレビ報道は見ていて驚いたのは、昨日までの報道のトーンと明らかに違って、もはやTPP参加支援報道になっています。
とりわけNHKはあからさまでした。
アナウンサーまでが加担していることにも驚きました。
勝てば官軍は、今もって変わらないようです。
そして、小賢しき者たちが「勝ち組」になる時代なのでしょう。

TPP参加が正義のような雰囲気が覆いだしています。
TPPへの反対論が影を潜めてしまいました。
山田さんはこのまま引き下がるのでしょうか。
毅然と行動した民主党の斉藤議員に拍手を送りたいです。

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■節子への挽歌1532:選挙

節子
また昨日は挽歌を書き損ねました。
いろんなことをまた始めた上に、チビ太があまり体調が良くなく、夜はなかなか熟睡できず疲労が溜まっているため、出来るだけ早く寝るようにしているのです。
節子がいたら、挽歌なんか書いても私は読まないから早く寝たほうがいいよ、と言うでしょうから、まあそれにしたがって無理はしないようにしています。

それでも毎日書くと決めた以上は、それを守らなくてはいけません。
そう思っていますが、時には何を書けばいいか浮かんでこないこともあるのです。
1年ほど前まではパソコンに向かって、「節子」と書き出すと、自然と書くことが浮かんできたものですが、最近はそうでもないのです。
困ったものです。

今日は我孫子の選挙でした。
結婚以来、選挙はいつも節子と一緒に行っていました。
投票まではお互いに名前を明かさず、帰りの道でそれぞれがだれに投票したかを明かすのがわが家のルールでした。
時に一致することもありましたが違っていることも多かったです。
娘たちが選挙権を持ってからは、基本的に家族で行きましたが、このルールは娘たちにも継承されました。
節子がいなくなっても、この文化は続いています。

節子がいた頃は、政治の話も経済の話も家庭でよくしました。
節子は政治にも経済にも疎かったですが、関心はありました。
節子と話していると、私も考えが整理できました。
そういう話し合いの場がなくなったのが残念です。

選挙の投票に行くたびに、必ず節子のことを思い出します。
そして節子だったら誰に投票するかなと思います。

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2011/11/12

■WIN・WIN神話

「ギニー貨の有する力の程度は、隣人がそれに対して有する必要ないしは欲望に正確に依存しているのである。それゆえ普通の商業的経済論者の意味において、みずから富裕になる術は、同時にまた必然的に諸君の隣人を貧乏にしておく術である。」

これは、今から150年前に書かれた、ラスキンの「この最後の者にも」に出てくる言葉です。
彼は当時の経済の考え方を、商業的経済と呼び、それに関する根源的な批判を試みています。
いま読んでも学ぶべきことがたくさんあります。
私がこの本を改めて読み出したのは、TPP論議の中でまた「商業主義的」議論が広がりだしているからです。

TPP賛成論者は、貿易自由化はみんなを豊かにさせるといいます。
地球という有限な世界で生活を営む以上、いまよりもみんな豊かになるなどと言うのは幻想に過ぎません。
誰かが豊かになれば、必ず誰かが貧しくなります。
そんなことは、ちょっと考えればわかるはずですが、経済成長の只中にいるとそれに気づきません。
パイが大きくなれば分け前も大きくなると、みんな思っていました。
私もその一人でした。
そうした神話への疑問が広がりだしたのが1970年代です。
そうした警告の書を読みながらも、私は経済成長や科学技術への期待の前に、その意味をしっかりと受け止めることができませんでした。
気づきだしたのは、1980年代に入ってからです。
そして1989年に会社を辞めて、生き方を変えました。
そして「お金」を基準にする生き方を捨てました。

1980年代には「持続可能性」と言う概念が生まれ、1990年代になってそれが広がりだしました。
しかし残念ながら、その言葉は流行語にはなりましたが、真剣に考えようとする人は決して多くはありません。
最近のわが国でもTPP論議には、持続可能性などという発想は微塵もありません。
民主党の若手閣僚の頭には、成長神話や自由経済信仰が色濃くあります。
そもそも「新成長戦略」などという古めかしいパラダイムを語っています。

商業的経済は、パイの奪い合い経済です。
関税をなしにしたら市場が大きくなるのではありません。
文化を市場主義に変え、社会を市場にしなければ、市場は大きくなりません。
市場が大きくなれば、必ず何かが小さくなります。
絆だとかつながりだとか壊れていくわけです。
大震災後の「絆」の大合唱は、要は絆まで市場にしようと言うことなのかと疑いたくなります。
そういえば、それをもたらしたのは企業が応援している公共広告に取り組む組織でした。

TPPで関税がなくなれば輸出しやすくなる人もいるでしょう。
しかしその意味をやはりもっときちんと考えるべきではないかと思います。
もうそろそろ誰かを犠牲にして金儲けしようなどとい言う貧しい経済から抜け出せないものでしょうか。

みんなそろそろ生き方を見直すべき時期です。

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2011/11/11

■節子への挽歌1531:男性の時代の終焉

節子
今日は湯島にも行かずに、国会中継を見てしまいました。
TPP審議の中継番組です。
それを見ていて、男性と女性の問題の捉え方の違いを感じました。
質問に立つ議員も、男性と女性がいましたが、私がとりわけ共感を持てたのは女性議員の質問の視点でした。

まあそれは性差と言うよりも個性や立場だということかもしれませんが、私にはやはり「女性」の目線や論理を感じました。
それがこれまでの経済や政治に欠けていた点だと、私は思っています。

応答する閣僚には女性(小宮山厚労相)もいましたが、主に応答していたのは野田首相、枝野さん、安住さんでした。
明らかに男性的な応答でした。

話が飛躍しますが、私たちは結婚から20年ほどは、たぶん私が主導権をとっていました。
主導権が節子に移ったのは、20年を超えてからです。
私の考え方や生き方も変わりました。
政治の見方も経済の見方も変わったと思います。
節子の影響を受けたからではありません。
影響という面では、節子は私の考えに強く影響されましたし、最後まで私の考えを信頼し、基準にしていたような気がします。
しかし、実は私自身は節子と話しながら、あるいは行動を共にしながら、自らの生き方が変わってきたのを感じていました。
大雑把に言えば、理屈より感性、社会より家族や仲間、知識より生活、概念よりも現実、といったように価値の置き所が変化したのです。

節子は気づかなかったでしょうか、節子から私が学んだことは山のようにあります。
節子と一緒に暮らしていなかったら、私の生き方も価値観も間違いなく違ったものになったでしょう。
私自身に素地はあったと思いますが、それを引き出してくれ、自信を与えてくれたのは節子です。
節子がいなくなってから、そのことがよくわかってきました。
それを節子に言葉で伝え、感謝の念を表わせなかったのは、とても残念です。

男性の政治の時代は終わったのではないか。
それが今日の国会中継を見ての感想です。

夜になって、野田さんがTPP交渉への積極的な姿勢を表明しました。
金融ビッグバンも郵政民営化も、保険法の改正も、なにも総括されていないままに、また日本での暮らしは、その延長に向かって行くようで心配です。

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■TPP国会中継は刺激的で面白かったです

いまフェイスブックに書いたところですが、今日は朝からずっとテレビで国会中継を見ていました。
TPP関係の審議です。
1日仕事を休んでしっかりと国会中継を見るくらいの価値のあるテーマですので、理屈を言う前に今日は休んでテレビの前に釘付けになっていましたが、それだけの意味のある1日でした。
実にたくさんのことがわかりました。
編集された報道番組や偏った視点での解説を聴くほどにTPPはわからなくなってきますが、今日は実に面白い議論がたくさんありました。
圧巻は、最後の社民党の福島さんでした。
国会で交渉参加を表明せずに、海外で表明するとは国会を愚弄していると、怒っていました。
確かにその通りで、野田首相は国会を愚弄しているとしか思えません。
消費税もそうですが、彼にとっては国会や国民よりも、アメリカなのでしょう。

自民党の佐藤ゆかり議員の質問に対する野田首相の答弁は驚くべきものでした。
まともに回答できないのです。
そのため何回も中断しました。
私の嫌いな自民党が輝いて見えました。
その前の林議員の追及で、野田さんは思考力を失っていたのかもしれません。

しかし見ていて野田首相があまりに惨めに見えました。
閣僚では、鹿野農水相が面白かったです。
私の印象では、ほとんど資料など見ることもなく、憮然としていました。
鹿野農水相はTPPに反対だと思いますが、野田首相のやりとりを聴いていて、どう思っていたのでしょうか。
農業や共済などに関しての質問に答弁していましたが、きわめて良識的な回答でした。
そういえば、「共済」に触れたのは、公明党の西田議員です。
韓国の状況にも言及していましたが、鹿野さんもご存知でした。

今日の審議をきちんと見たら、少しは国民の考えも変わるだろうと思います。

舛添さんの発言も、私には好感が持てました。
TPPに参加しないと乗り遅れるなどと言うマイナスの発想ではなく、TPP参加の夢を語ってほしいといっていました。
野田首相は「参考になりました」と応えていましたが、これにも驚きました。
野田首相がTPPをどう考えているかがよくわかったからです。

「国民」の責務として、私はできるだけ国会中継を見るようにしていますが、初めてと言っていいくらい、充実した内容でした。
ただし政府側の答弁は、あまりにお粗末ではありましたが。

しかしそれでも野田さんはTPP交渉参加に向かって進むのでしょう。
金輪際、私は民主党は支持しないことにしました。

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2011/11/10

■儀式としての手続き

民主党の経済連携プロジェクトチームの提言を受けて、TPP交渉参加が発表されるといわれていた今夕の野田首相の記者会見が延期されました。
マスコミで報道されていたのは、どんな提言が出ようと野田首相の考えは変わらないという見方でした。
もしそうなら今盛り上がっている騒動は「儀式としてのアリバイづくり」でしかありません。
あまりにもひどい話です。
そうした観測に反して、首相は記者会見を1日、延期しました。

しかし、基調は大きくは変わっていないようです。
藤村官房長官は、その発表と同じ記者会見で、「首相の気持ちに変化は感じていない」とも強調しているからです。
これはどういうことでしょうか。
まったく逆なでするような発言です。
これも意図された「手続き」かもしれません。

代表民主主義においては、意思決定者が国民を代表する議員の議論に耳を傾けるということは、それによって自らの考えを問い直すということを意味しなければいけません。
単なる儀式としての手続きではないのです。
最近の野田首相の言動を見ていると、どうも「儀式としての手続き」主義者のような気がします。
官僚の道具になってしまったのでしょうか。

今日はTPPがどうなるかで、私には落ち着かない1日でした。
なにやら肩透かしを食ったようで、気分がすっきりしません。
もし明日、野田首相がTPP交渉参加を表明したら、山田前農水相は民主党を離党するでしょうが、それに契機に、いろいろな動きが出てくるかもしれません。
それでも野田政権が続くようであれば、がっかりです。
またもし交渉参加をやめることにしたら、別のほうから野田政権こわしが始まるでしょう。
やはり選択肢は、解散しかなさそうです。

最近の政治は、やはり私にはわからなくなってきました。
手続きをするための仕組みであって、やはり実際は官僚組織が動かしているのでしょうか。
政治家は官僚のための道具のように見えてなりません。
政治とは一体何なのか。
どうも国民の暮らしのためにあるものではなさそうです。
そんな失望感が、日に日に高まってきますが、そう思うこと自体が間違っているのでしょうね。
動き出す気力のない自分が情けなく、恥ずかしいです。
できるのは「署名」だけではどうしようもないですね。
反省しなければいけません。

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■節子への挽歌1530:心の霧が晴れたような気分

今日は私の記憶の話です。

先日、お風呂に入っていて、アレっと気づいたことがあります。
浴室はこんなにすっきりしていただろうか。
もっと湯気でぼんやりしていたのではなかったのか。
それが契機になって、この数年のことを思い出してみました。
ついしばらく前まで、私の周りにうっすらと「モヤのようなもの」がかかっていたような気がします。

特に入浴時のように、一人になった時です。
あるいは夜に駅から自宅まで一人で歩いて帰る時(昼間はそうでもないのですが)。
湯島のオフィスに一人でいる時。
なんとなく「ぼやー」っとした雰囲気に包まれていたような気がします。
そして、その中にいるとあまり現実感がなかったような記憶があります。
たぶん外部の物理的な世界の状況ではなく、私の脳の内部の認識のせいだろうと思います。

今から思い出すと、そうした時には実に奇妙な感覚になって、時間の感覚がなくなります。
道を歩いていると道沿いの樹木が語りかけてくるような気がしてきます。
湯島の場合、空に吸い込まれそうな気がしたこともあります。
お風呂の中では、まるで夢の中にいるような、そんなことがありました。
うまく説明できませんが、世界がよく見えなくなっていたことはまちがいありません。
浴槽で、心身があたたまってくると、時間を実感できない状況に入ってしまうのです。
そういえば、最近はそういうことがなくなったのです。

しばらく前までは、まちがいなく私の記憶や意識が、モヤや霧のようなものにかこまれていた気がします。
どうもうまく書けませんが、間違いありません。
夢まぼろしの世界を彷徨していたのかもしれません。
それがいつの間にか、その霧が、モヤが、晴れているのです。
たしかに視界がすっきりしだしています。

だからといって、何が変わったというわけではありません。
ただそれだけのことなのです。
これが本当のことなのかどうかも、正直なところ確信が持てません。

心の霧が晴れた、モヤが通り抜けた。
それにはどんな意味があるのでしょうか。
その答えはまだわかりません。

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2011/11/09

■TPPへの賛否でその人の立ち位置がわかります

TPPへの参加交渉に入るかどうかがまもなく決まりそうですが、TPP議論を聞いていて、賛成側も反対側も、それぞれに論理は正しいように思います。
人によって価値基準は違いますから、どちらが正しいとはいえません。
説明のしかたがそれぞれに違うのですが、新聞の解説記事を読むと、それを書いた人の立ち位置もよくわかります。
賛成者が書いた解説を読むと賛成したくなり、反対者の書いた開設を読むと反対したくなります。
私自身は、TPP反対論ですが、だからといってTPP賛成論が間違っているとは言い切れません。
世の中に、何が正しいなどといった絶対基準はないと、私は思っています。

しかし最近つくづく感ずるのは、TPPはある意味では、その人の立脚点を示す「踏み絵」だということです。
その人のことをある程度、知っていると、その人が賛否のどちらかはかなり予想がつきます。
予想がはずれたことは、ほとんどありません。

もっとも「政治家」の場合は、必ずしも予想はつきません。
彼らには、まったく別の行動基準があるからでしょうが、あれっと思う人が反対しています。

では、その立脚点とは何かです。
私が思うには、経済観や文化です。
世界の経済や文化は大きな転換点にきています。
ギリシアの経済にしろ、オリンパスの経営にしろ、これまでの経済や文化の枠組みが引き起こした末期症状の象徴ではないかと思うのですが、そうした経済や文化はまだ修復して機能させられると思っている人たちは、TPPに賛成するでしょう。
そしてそれこそが、現下の危機を救うことになりと思っているのです。
ちょうど東北の被災地にこれまでの発想で都市計画や復興計画を立てるのと一緒です。
浸水地域ではなく高台に、人工的に安全な都市をつくる発想が間違っているとは言い切れないのと同じく、現在の経済の延長での生き残りを考えることが間違いだとは断定できません。
念のために言えば、私は主観的にはもちろん「間違い」だと断定していますが。

福島原発事故が起きた今でさえ、多くの人は原発に依存しようと考えています。
政府や産業界は輸出さえしようと考えています。
多くの、というよりも、ほとんどの科学者も技術者も、原発に反対しているようには見えません。
そうした人たちは、私には犯罪者に見えますが、だからといって私が正しいわけではありません。
犯罪者にも犯罪者の理があると、私はいつも思っています。
私も、このブログでは時にかなり過激に断定し、批判していますが、私自身が同じように批判されることもまた受け容れています。
ただし、社会に大きな影響を与える立場にある人は、自らの立ち位置を、時に相対化してみることも大切です。
それができるかどうかが、私には政治家の最大の資質ではないかと思っていますが、昨今の政治家にはあまり期待できないかもしれません。
そういう「大きな政治」は終わってしまったのかもしれません。
オリンパスが壊れ、ギリシアもイタリアも壊れ、ラダックもブータンも壊れていくのは、時の流れとして仕方がないのかもしれません。
TPP論争を聴いていると、思いはそんなところまで行ってしまいます。

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■節子への挽歌1529:誰のための思い出だったのか

思い出のことをもう少し続けます。

節子は、病気になってから、私との思い出をたくさんつくりたがっていました。
何のためだったのでしょうか。
その思い出をどこに残したかったのでしょうか。
先日、人は記憶のかたまりだという話を書きました。
昨日は節子との会話は内話、つまり記憶の編集だと書きました。
そんなことを書いたり考えたりするうちに、このことが気になりだしたのです。
まあ普通の人は、そんなことなど問題にしないでしょうが、そこが愛する人を失った人のおかしなところです。

節子がつくりあげていった「思い出」は、節子が持っていくためのものだったのでしょうか。
あるいは、私に残していきたかったのでしょうか。
もし後者であれば、それは私のためなのでしょうか。
節子がいなくなっても、私が大丈夫のように、でしょうか。
あるいは私に忘れてほしくなかったからでしょうか。

たとえば旅行に行って、とても楽しい日になった時に、節子は寝る前に、ポソっと、「またひとつ修との思い出ができた」とうれしそうに言いました。
その言い方は、間違いなく、私のためではなく、自分の心身に残していきたいという感じでした。
それに節子は、私のことをたぶんほぼ完全に理解していたでしょうから、私が思い出などにはあまり興味を持たないことを知っていたはずです。
それに私がどのくらい節子を愛していたかもしっていましたから、私が節子を忘れるなどとは考えなかったでしょう。
ですから、節子は自分が彼岸にもっていくための「思い出」をつくっていたという気がします。
だからもしかしたら、と考えてしまいます。
節子との思い出は、節子が持っていってしまったのではないか、と。
それで私にはどうも記憶の欠落があるのではないか、と。
実に困ったものです。
2人の思い出は、私にも思い出す権利があるはずですから。

もうひとつの可能性があります。
思い出が、個人とは切り離された世界を生み出すことを感じていたのかもしれません。
私たちが作りだす思い出が、一つの世界を創りだす。
その世界を豊かにしておきたいと思っていたのかもしれません。

思い出とは過去のものなのか、現在のものなのか、未来のものなのか。
それは難しい問題です。
書き出したら長くなりそうです。

そんなことを考えていくと、思い出づくりに幸せを感じていた節子が、改めていとおしく、抱きしめたくなるほどです。
それに、節子がいなくなっても、節子との思い出は創りだせることを、節子は気づいていたでしょうか。
思い出とは、不思議な世界です。

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2011/11/08

■数字の恐ろしさ

こんな記事を見つけて、ドキッとしました。

全国の公立学校に勤める新人教員のうち、1年以内に依願退職した人の数が2010年度までの10年間で8.7倍に増えたことがわかった。特に心の病による退職が急増している。
教員が心の病にかかる場で、子どもたちが学んでいることに恐ろしさを感じたのです。
しかし、よく読んでみると、待てよ、という気がしてきました。

昨年度に公立の学校に入った教員は約25000人強で、1年以内に依願退職したのは約300人弱。つまり退職率は1%です。
退職率が8.7倍というと驚きますが、退職率1%と聴くと、逆の意味での驚きがあります。
人によって受け止め方は違うでしょうが、教員の世界はやはり「居心地のいい職場」なんだろうと思います。
しわ寄せは多分生徒たちに行っているのだろうなとさえ思いたくなります。
なにしろ10年前には退職率は限りなくゼロだったということですから。

こうした私の見方が正しいかどうかはあまり自信はありませんが、数字というものはかくも恐ろしいものなのです。
どこに焦点を合わせるかで、まったく正反対のメッセージも出せるわけです。
そもそも統計学は、説得のために発達した「嘘つきの科学」だと私は思っていますので、いわゆるデータは基本的にはあまり判断基準にはしないのですが、その私でさえ、数字には大きく影響されることは間違いありません。
困ったものです。

これに類した話はたくさんあります。
放射線汚染の話にこれを持ち出すのはいささか誤解されそうですが、汚染を示すデータが風評被害との関係でよく取りざたされます。
観測データなどは、極端に言えば、いかようにもつくれます。
そもそもそんなデータを安直に発表すべきでもないですし、そんなものに安直に依存してはいけません。
それに内山節さんも書いていますが、放射線汚染に関しては「風評被害」などという言葉は適切ではありません。

しかしどうしてみんな「数字」が好きなのでしょうか。
私には理解できません。
子どもの頃は結構、数学は好きだったのですが。

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■節子への挽歌1528:「マドレーヌの回想」

一昨日、コタツでの思い出があまりないと書きました。
コタツに限ったわけではないのですが、節子との思い出はたくさんあるはずなのに、実はあまり思い出せません。
なかにはほぼ完全に欠落しているものもあります。
不思議です。
しかし、あるきっかけで、その忘れてしまっていた記憶が一挙に吹き出してくることがあります。

20世紀を代表する作家と言われるマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」に、「マドレーヌの回想」という有名なシーンがあります。
マドレーヌ入りの紅茶に触発されて、主人公が思い出を一気に頭の中に展開するところです。
あるちょっとしたことが、記憶の世界を表出させることはよくある話です。
「失われた時を求めて」は、回想を語りながらその中に自分の内面を発見していくというスタイルの小説ですが、この挽歌を書いていて、プルーストがなぜこれほどの長編を書き上げたかが少しわかる気がします。
自らの内面の深さは、底知れずなのです。

挽歌で何かを書き出すと、連鎖的にさまざまなことが浮かび上がってくることがあります。
もし挽歌を書き続けていなかったら、節子との思い出は、どんどん沈みこんで、ますます思い出せないほど遠くに行ってしまうかもしれません。
節子と一緒に、思い出までもが彼岸に行ってしまったら、私の世界はますますやせ衰えていきそうです。

「マドレーヌの回想」ではないですが、わが家には節子を思い出す「マドレーヌ」的なものが、まだ山のようにあります。
ただでさえ散らかっているわが家ですので、そうしたものを片付ければ、きっともう少し快適な空間になるのでしょうが、日常的に節子を思いだせるように、あまり片付けないようにしています。
「マドレーヌ」に囲まれている限り、節子の暮らしを忘れることはないでしょう。

「失われた時を求めて」は大長編です。
しかし分量においては、たぶん私の挽歌がそれを上回っていくはずです。
この挽歌があと何年続くかわかりませんが、プルーストを上回るとはうれしいことです。
まあ文字量だけの話ですが、もしかしたら記憶量にもつながらないわけでもないでしょう。

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2011/11/07

■どこから発想するか

ギリシアに端を発した経済危機はイタリアに飛び火しました。
おそらくこの危機の連鎖はさらに広がっていくでしょう。
というよりも、広がりが見え出していくといったほうが正しいかもしれません。

それはともかく、このニュースに関連して日本の財政危機が語られます。
財政の借金が1000兆円にもなっているからです。
もし利率が5%になったら、毎年50兆円を利子として負担しなければいけません。
これは現在の日本の税収とほぼ同じ額です。
まさに日本の財政は破綻し、ギリシアの二の舞かと思わせる数字です。

しかしよく言われるように日本の場合、お金の貸し手は日本の企業であり日本人なのです。
ということは、発想の起点を変えるとこうなります。

日本の人たちは日本国政府に1000兆円近いお金を貸している。
もし利率が5%になれば、税収に当たるお金が黙っていても入ってくる。
それを歳入に当てれば、日本は無税国家になるのではないか。

まあ私も、こんな議論をそのまま受け入れるほど能天気ではありません。
しかし、発想の起点を変えると物事は全く違って見えてくるわけです。
それに伴い問題の立て方も換わり、当然解決策も替わります。
すくなくともこの視点に立てば大企業への税制優遇などは出てきません。

円高や税率が高くなると企業は海外に転出するという議論も、発想の起点を変えれば全く違った問題になるでしょう。

どこを向いて考えるかと同じように、どこに立って考えるかで、問題も解決策もまったく変わってくるのです。
これはなにも国家レベルの話だけではなく、日常の私たちの生き方においても同じです。
「常識の呪縛」「固定的な視座」から自由になると生き方が変るかもしれません。

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■節子への挽歌1527:「話す相手がいないこと」の意味

昨日、朝のテレビの「こころの時代」に、仏教談話会を主宰している野田風雪さんが出ていました。
私は風雪さんのことを知りませんでしたが、ネットで調べたら、仏教談話会などを通して、人生は無常であること、その無常を超える道が仏法にあることを、長年、人々に説いてきた方だそうです。
今年、90歳だそうですが、長年連れ添った奥さんに先立たれて、「無常の圧倒的な力に押し潰されそうになりながら、再び生きる気力を取り戻すことが出来た」というお話をされていました。
90歳という長寿を生き、しかも長年、人生の無情を説法した人にして、伴侶との別れは、生きる気力をなくしてしまうほどのことなのです。

風雪さんは、「話す相手がいないこと」の辛さを語っていました。
私も同じ体験をしていますので、よくわかります。

しかし、です。
「話す相手がいない」とはどういうことでしょうか。
いままであまり考えたことがなかったのですが、風雪さんのお話を聴いて、そんなことを考えました。
私の場合、「話す相手」ならたくさんいます。
風雪さんは、おそらく私以上にたくさんいるはずです。
にもかかわらず、「話す相手がいない」思いに襲われるのです。
「話す相手」とは、いったい誰なのか。
たとえば私の場合、娘たちや親しい友人ではだめなのか、と言うことです。
答えはいうまでもありませんが、ダメなのです。
どこが違うのでしょうか。

節子と話している時、私は節子と話していたのではないのではないかという気がしてきました。
話していた相手は、「節子」ではなく「節子と私」だったのです。
つまりこういうことです。
私と節子は、世界を共有化していたために、私たちの会話は、実はそれ自体が一つの世界を構成していたのです。
そう考えると納得できることがたくさんあります。
節子がいなくなった時の、異常とも思える喪失感。
判断基準が混乱して、かなりおかしくなってしまったこと。
時間が止まったような、言い換えれば世界が終わったような感覚。
悲しさや寂しさとは違う虚無感。

節子との会話は、私たちの内語だったのです。
したがって記憶が共有化されていたので、会話のルールや仕組みが他の人との会話とは全く違っていたのです。
その世界は、40年という長い時間をかけて、しかも心身の共体験を重ねることで育ってきていたのです。
話す相手がいなくなったのではなく、話しあっていた世界が丸ごとなくなったのです。
話す相手だけではなく、話す主体もなくなったわけです。

幼馴染との会話は、特殊なものだということは多くの人が体験しているでしょうが、夫婦の会話はそれ以上に特殊なのです。
だから替わりになるものはありえないのです。

奥さんを亡くされてからの風雪さんは、たぶん話す内容が微妙に変わったはずです。
同じ体験をした人でないと気づかないかもしれませんが、風雪さんの内語の世界、生きている世界が変わったからです。
すぐには影響は出ないでしょうが、じわじわと出てくるように思います。

伴侶との別れは、無常に陥るか無常を超えるかの岐路なのかもしれません。
もっとも、無常は陥ろうが超えようが、いずれも無常なのですが。
個別世界がなくなることは大きな世界に融け込んでいくことなのです。
そこにこそ、大いなる仏法の英知があるように思います。

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■どこを向いて言動するか

野田首相がフランスのカンヌで開かれているG20首脳会合で、2010年代半ばまでに消費税率を段階的に10%まで引き上げる方針を表明したと報道されています。
国内での議論も十分ではなく、国民の合意もとれているようには思えませんが、報道によれば国際的に「公約」したことになるのだそうです。
野田首相は、国民ではなく、世界の権力者、とりわけアメリカ政府に向けて、言動しているようです。
どう考えても納得できません。
これは沖縄の基地問題を、沖縄住民とではなく、アメリカと話し合って決める姿勢と同じです。
国民主権とはまったく両立しない発想だろうと思います。

鳩山首相は沖縄住民の思いを素直に受けて、基地の県外移設を宣言しましたが、岡田外相(当時)の造反によってずたずたにされてしまいました(これは私の勝手な解釈です)。
岡田さんは優等生ですから、権威にはきわめて弱く、発想も政治的です(これも私の勝手な解釈です)。
同じように、最近の民主党政権の比較的若い世代の言動を見ると、国民の生活よりも世界の秩序(実際にはアメリカの指導力維持)がその判断基準のように見えてなりません。
日本の官僚は、長年壮叩き込まれていますからしかたがありませんが。

TPP交渉もそうですが、独創性のない人はみんな権力に寄生します。
そして独創性がなければ変革は難しいように思います。
独創力があるかどうかは演説の仕方で見えてきます。
原稿を読む人には独創性は期待できないかもしれません。

TPPで政党の再編成があるかもしれないという声が出始めました。
つまりTPPとは、それほど「国のかたち」につながっている問題なのです。
農業の活性化などという問題ではないのです。
TPP反対の急先鋒の山田前農水相はテレビで何回も議論の様子を見ましたが、かなり幅広く見ているようで好感が持てました。
それに離党も辞さないという潔さは私の好みです。
しかし、だからといって山田前農水相たちの説明がわかりやすいかといえば、そんなことはありません。
どうしてみんなもっと「わかりやすい説明」をしてくれないのでしょうか。
賛成派と反対派で議論するのもいいでしょうが、大切なのは世論を高めるために国民にわかりやすく説明することです。
ここでも政治家は国民を向いていません。

どこを向いて言動するか。
それが問題です。

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2011/11/06

■節子への挽歌1526:コタツ

節子
今日は寒い日でした。
おそらく節子でもコタツに入りにきたでしょう。
そういえば、節子は私と違って、あまりコタツがすきではありませんでしたね。
節子と一緒にコタツでみかんを食べながら話し合った記憶があまりありません。
どうしてでしょうか。

私たちは、年末に突然に同棲を始めました。
お金が全くなく、暖房器具を買えませんでした。
したがって最初の冬はコタツしかなかったのですが、安い貸家だったので隙間風が入る小さな家でした。
双方の親も結婚を認めていなかったので、家具も皆無でした。
まあそういう同棲生活が、私好みなのですが、節子はあまり好んでいなかったかもしれません。
しかし、たぶん私の口車に載せられたこともあって、そういう「神田川」生活を楽しんだはずです。
休日はいつも奈良か京都でした。
その生活は半年くらいしか続かなかったと思いますが、私には一番楽しかった時期でした。
その頃は、テレビもなく、ただただ2人でコタツに入って話し合っていました。
いったい何を話していたのか、今となっては思い出せません。

節子は記録が好きな人でした。
毎日日記を書いていましたから、それを読んだら当時話していたことも書いてあるかもしれません。
しかし、その日記帳を読む気には、まだなれません。
ただでさえちょっとだけ思い出しても、心が揺らぐのに、節子の書いた日記を読んだら、ブラックホールに吸い込まれるように抜けられなくなるかもしれません。
節子の日記は、誰にも読まれることなく、私と一緒に荼毘に付されるのが相応しいと思っています。
そうすれば、それこそ私のバルドの旅も退屈しないでしょう。
まあ入りきれないでしょうから、最初の2~3年だけにしたいですが。

わが家のコタツは和室に立てます。
コタツに入ると節子の写真が目に入ってきます。
冬は、節子と一緒にいることが多いことに気づきました。
冬もまんざらではありません。

それにしても今日は寒い日でした。
心のせいかもしれませんが。

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■技術者の総括

テレビの街頭インタビューで「安全だという科学者は信頼できない」と発言している街の人がいました。
何気なく見過ごしそうな話ですが、これは恐ろしい話ではないかと思います。
現代社会は科学技術の成果の上に成り立っているといってもいいでしょう。
その科学技術への不信感が広がっているということです。
原発および原発事故に対する科学者や技術者の責任は甚大です。

科学技術倫理フォーラムというNPOの総会で、技術者がしっかりと自己総括することが必要ではないかと言いました。
2人の人が支持してくれましたが、結局、具体的な動きにはなりませんでした。
日本技術士会という組織がありますが、そこもまだ外に向けては動いていません。
これほどの技術不信が起こっているにもかかわらずです。

それにいまだに、元原子力委員会のメンバーと言う肩書きの人がテレビで原発事故や放射線対策に関してコメントをのべています。
厚顔無恥極まれりと思いますが、まずは自己反省と謝罪をしてから出直して欲しいです。
それにそうした人をコメンテーターに選ぶテレビ局もどうかと思います。

人は間違いを犯すものです。
それを咎めるつもりは、私にはありませんが、間違いがわかったらきちんとけじめをつけなければいけません。
そうでなければその人を信頼できるわけがありません。

原発事故のような大きな問題ではありませんが、私の小さな世界の友人付き合いでもそうしたことは時々起こります。
人の付き合い方がおろそかになっている証拠です。
それは決して他人事ではありません。
私自身そうした間違いを犯している可能性は大きいです。

絆とかつながりとか、言葉は広がっていますが、そうしたことのマナーやルールを回復しなければ、形だけの無意味なものになりかねません。
原発関係の技術者だけでなく、科学者や技術者は、原発事故に関して、きちんと総括すべきではないかと思います。
前回は、私自身、発言するだけで留まりましたが、もう一度、科学技術倫理フォーラムで問題提起しようと思いなおしました。

いま起こっている問題の責任は、いまを生きているすべての人間にとって決して無縁ではないのですから。

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2011/11/05

■節子への挽歌1525:適度の老化

節子
今日は頚部の血管の超音波診断をしてもらってきました。
幸いに異常は見つからなかったようです。

先月、ものが二重に見えたり、手足の痺れがあったり、頭のもやもやが続いたり、あまり快適とはいえない状況が続いたのですが、人生を真面目に生きようと思い直し、思い立って今週、脳外科に行ってきたのです。
MRI診断の結果は、いつものように「適度な老化」状況でしたが、念のために頚部の血管を検査しようと言うことになっていたのです。
診断中、私も画像を見せてもらっていました。
わけのわからない画像でしたが、カラフルで結構面白いのです。
動脈と静脈の性質の違いもよくわかりました。
画像にちょっとおかしなものが現れたので、これは何かと訊いたら、加齢による「のう胞」だと教えてくれました。
加齢とともに、そうしたものが生じ、それが悪性だと悪さをしだすのだそうです。
しかし、なにが「悪性」かの判断基準は相対的なものです。
私は「適度の老化」という発想が好きなのですが、適度に終焉に向かっているようです。
節子を見送った後、私は病気にもかなり寛容になってきています。

視界がおかしくなったのは緑内障かもしれないといわれています。
しかし「適度の老化」を一々気にしていたら、何のための人生かということになります。
人生を真面目に生きるというのは難しいことのようです。

歳とともにいろんな意味で身体は「劣化」しています。
たぶん精神や知能も「劣化」しているのでしょう。
身体は自分でもそれなりにわかりますが、精神や知能はなかなか自覚できません。
しかしMRIで輪切りの脳の映像を見せられて、そこになにやら脳劣化を示すものがあるといわれるとなんだか安心できます。
身体だけ劣化して、脳機能が劣化しないままだと、不幸になるのは目に見えています。

最近、認知症予防の問題にささやかに関わっています。
数年前に出会った高林さん(NPO法人認知症予防ネットワーク理事長)の情熱にほだされて、彼女の活動を応援することにしたためです。
高林さんが開発した認知症予防ゲームの体験フォーラムなどを主催したりして、一応、参加した人からは喜ばれています。
新しい動きもいろいろと出始めています。
しかし、私自身は自分の「認知症予防」には関心はありません。
そもそも「認知症」という概念が私にはなじみにくいのです。
つまり、私にとっては認知症もまた「適度の老化」でしかないのです。
それによって周辺の人たちに迷惑をかけるのは避けたい気もしますが、人はそもそも周りの人に迷惑をかけながら生きているのです。
それはそれで仕方がないことです。

節子は、「適度の老化」もせずに彼岸に急いで旅立ちました。
それこそ周りの人には「大迷惑」です。
せめて私は「大迷惑」をかけずに、適度の老化で適度に迷惑をかけていこうと思っています。
節子の分まで迷惑をかける権利をもっていると勝手に思い込んでいるので、娘たちは大変です。
しかしそれもまた人生なのですから、仕方がありません。

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■再発抑止力

福島原発事故で東電に巨額の損失が生じたのは、経営陣が地震や津波の安全対策を怠ってきたためだとして、株主らが東電に対し、歴代の経営陣に損害賠償請求訴訟を起こすよう求める書面を提出するという報道がありました。
提出後、60日以内に東電が提訴しない場合、株主代表訴訟を東京地裁に起こすそうです。
その請求額は1兆円を超えるようです。
訴訟対象者はたしか60人前後と報道されていましたが、もしその記憶が正しければ、一人当たり200億円近くになります。
歴代の経営者も対象にするというところに大きな意味があるように思います。

福岡市元職員の飲酒運転事故の裁判で、最高裁は上告を棄却し、懲役20年の判決が確定しました。
危険運転致死傷罪として認定されたわけです。

2つの報道を見て、「再発抑止力」という言葉を思い出しました。

後者でいえば、危険運転致死傷罪が認められたのはよかったです。
私にはあまりにも当然のことで、そんなことが論点になること自体に問題を感じます。
この国では、多くの人たちが飲酒運転を本気でなくそうとは思っていません。
飲酒運転を起こしても運転免許さえとりあげない制度に、それは現れています。
事故を起こそうが起こすまいが、飲酒運転が発覚したら、運転免許を永久に取り上げることにしていたら、たぶんこの事件は起きず、若い被告も人生を無駄にすることはなかったでしょう。
なぜ飲酒運転への厳しい目が育たないかといえば、多くの人が時に飲酒運転をしているからではないかと思います。
産業界の働きかけも大きいかもしれません。
その文化を変えない限り、危険運転致死傷事件はなくならないように思います。
最近、マレイシアへの麻薬持込で死刑判決を受けた日本人女性がいます。
死刑は重過ぎるとついつい思いがちですが、麻薬に対する覚悟を感じます。
飲酒運転に対してもそれくらいの本気を期待したいです。

この判決は飲酒運転への抑止力になるでしょうか。
ならないでしょう。
裁判で争われること自体に、飲酒運転をなくそうという本気が伝わってこないからです。
被告は、運の悪い犠牲者で終わってしまいかねません。

東電の経営者はどうでしょうか。
運の悪い犠牲者なのでしょうか。
そうしてはならない、と私は思います。

もしこれが認められれば、原発運転再開にも大きな影響を与えることになるでしょう。
万一事故が起これば、自分の訴訟の対象になると思えば、これまでのように安直に原発を認めたりはしなくなるでしょう。
電力会社の役員にさえ、なりたがらないかもしれません。
そのことの意味はとても大きいように思います。
しかし多くの人は堂思うでしょうか。
東電の役員に同情する人のほうが多いような気がします。
つまり私たちは、まだ本気で原発のことを理解していないのです。
原発は不安だけれど電力不足は困るなどと思っている人が多いのです。
あるいは東電の役員も原発の危険性を知らなかったのだと思っている人もいるかもしれません。
とんでもありません。
彼らは原発の危険性や使用済燃料の問題、自己の発生確率のことなど、十分に知ることのできる立場にいたのです。
なぜそう思うかといえば、そんなことは少なくとも40年前から言われていたことだからです。
責任がないなどと同情する必要はまったくありません。
企業の経営者になるということは、そういうことです。

抑止力を持つのは、裁判の結果ではありません。
世論であり、社会の雰囲気です。
一部の不幸な一人をスケープゴートにするのではなく、文化を変えなければいけません。
飲酒運転したら永久に自動車は運転できなくなる。
経営者として未必の故意をもった惨事を起こした場合は無限責任を追う。
それくらいの文化は。少なくとも必須なのではないかと思います。
いうまでもありませんが、東電の大口株主もまた、応分の責任を負っています。
原発は安全だといっていた技術者は自らを総括すべきです。
原発に賛成してきた株主の責任も見逃すわけには行きません。
抑止力が働いて、巨額な資金調達を不可能にすれば、原発はつくられることはありません。

日本は、原発技術を輸出しようとしています。
それにも今回の動きは抑止力になってほしいと思います。
輸出国で原発事故が起きたら、どうやって責任を取れるというのでしょうか。
考えただけでもおそろしい話です。

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2011/11/04

■節子への挽歌1524:「それは節子の文化だから」

節子
福井の義姉から野菜がどっさり届きました。
野菜が届くと節子がむかし朝日新聞に投稿した母からの野菜便のことを思い出します。
その節子の母が亡くなり、節子も亡くなったのに、野菜便だけは続いています。
不思議といえば、不思議です。

節子がいなくなっても続いていることはいろいろあります。
節子の命日に、節子の友人から花が届くといったようなこともありますが、もっと日常的にはわが家の家族の暮らし方には節子のやり方や残したスタイルが続いています。
節子の記憶が家族の記憶に転移され、それがいまなお生きつづけていると考えることもできます。
いろんなところに、節子が生きつづけているわけです。

わが家では時々使われる言葉があります。
「それは節子の文化だから」という言葉です。
たとえばわが家では家族の誰かが外出する時には、必ず残っている人が玄関まで見送りに出ます。
節子は、私が外出する時に必ず玄関まで見送っていたからです。
仕事中でもテレビを見ていても、玄関まで見送りに出るのです。
出なくてもいいよと娘は言いますが、「これは節子の文化だから」と言って、それは守られています。
それは決していい意味だけではありません。
節子は結構いい加減でしたから、節子のせいにすることも出来るのです。
掃除をしたくない時には、まあしない日もあるよ、それが節子の文化だから、と言うように使えます。

野菜便から話はおかしな方向に発展してしまいました。
しかしまあ、これも「それは節子の文化だから」許されるでしょう。

ところで、野菜便は、もう一つあります。
福岡からの野菜便です。
企業を定年で辞めて故郷に戻った蔵田さんからの野菜便です。
節子がいた頃から始まっていますが、節子が感心した立派な野菜で、しかも種類が多いのです。
蔵田さんご自慢の手づくり野菜です。

わが家の家庭農園は、今年は手入れ不足でダメでしたが、こうした野菜便でわが家の食卓はいつも豊かです。
これも節子が残してくれた文化かもしれません。
わが家はお金がなくてもなんとか暮らしていけるのも、節子の文化なのです。

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■コピ・ルアク

私はお金の世界からかなり自由であるという自負があったのですが、そんな地震が吹っ飛んでしまうことが起きました。
先日、ある人がインドネシアの珈琲を持ってきてくれました。
ところがエスプレッソ用の粉のようにとても細かく挽いてあるものでした。
香りもそう香ばしく感じませんでした。
インドネシアの珈琲があるんだけど飲んでみると言っても、誰も関心を示しませんでしたので、結局、ほかの珈琲とのブレンドで飲んでしまいました。

ところがほぼなくなった段階で、その説明書を見つけた娘が、これは有名なジャコウネコの糞からとった珈琲だと教えてくれたのです。
コピ・ルアクというのだそうです。
たしかに豪華な容器に「Kopi Luwak」と書いてあります。
しかもその上に、Authentic とまで書いてありました。
贋物も横行しているのだそうです。

ウィキペディアで調べました。
コピ・ルアクはジャコウネコの糞から採られる未消化のコーヒー豆で、産出量が少なく、高価である、と書いてあります。
「ルアク」はマレージャコウネコの現地での呼び名だそうです。
お店によっては一杯8000円もするそうです。
そういえば、もって来てくれた人は某社の副社長で、インドネシアの関係会社の社長からのお土産だったそうです。
安い珈琲であるはずがありません。
私はそういう常識が普通は作動しないのです。

無知とは恐ろしいものです。
ありがたみが全くわからずに、安い珈琲にブレンドして飲んでしまったわけです。
7月から8月にかけて、湯島に来た人は飲んでいるかもしれません。

冷蔵庫を見たらまだ少し残っていました。
ほんの2杯分くらいです。
それまではなんでもない珈琲がなにやら輝いて見えてきました。
高価だとわかっただけで、価値あるものに見えてきてしまったわけです。
結局、私の価値観もお金につながっていたことが露呈してしまいました。
反省、いや、恥じなければいけません。

ところで、残った2杯分のコピ・ルアクをどうするか。
1杯は私が飲むことにしました。
もう1杯はどうするか。
入札制度で高いお金を負担した人にというのがいいかなと一瞬思ったのですが、それではあまりにも情けないので、これまでに一番美味しい珈琲を湯島にもって来てくれた人がいいかなと思い、まあそれも似たようなことだなと思い、いま悩んでいます。
さて名案はあるでしょうか。
私が2杯とも飲むのが正解なような気がしだしました。
しかし高価なものを飲食するのは、私の好みではありません。
となると、これはもう誰にも飲まさずに、やはり普通の珈琲にブレンドしてしまうのがいいかもしれません。

ちなみに、いまはイタリアのお土産の珈琲豆が湯島にあります。
此れも苦くてそれだけでは私の好みではありません。
それで挽いたものはいつものように、ブレンドしてしまいました。
しかしこれももしかしたら高価なのかもしれません。
使いにくくなりました。

貧しい人がたまに高価なものを手に入れると人生が狂うことがよくわかります。
私もその例外ではないようです。
宝くじが当たったら間違いなく不幸になるタイプのようです。
さてさて困ったものです。

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2011/11/03

■節子への挽歌1523:人の一生は記憶そのもの

人の一生は記憶そのものであるといわれます。
つまり、私という存在は、私の心身の記憶の塊と言ってもいいでしょう。
そして、その記憶とは私が生きてきた全生涯の、私そのものに起こったこと、周辺との関係において起こったこと、さらには私のすべての感覚が感じたことのすべてなのです。
意識して記憶していること、つまり脳に記録されていることはほんの一部でしかないでしょう。
しかも、その記憶は変化しますし、編集されて新しい記憶を生み出しますし、時には創作が行われていきます。
このあたりのことは、最近の認知科学がかなり面白い知見を生み出しています。
多重人格の研究からも、考えさせられる知見が増えています。

人は記憶の塊と考えると愛する人との別れもまた強烈な記憶として私の一部になっていると考えられます。
そうなるととりわけ嘆くような話ではなくなってしまいそうです。
私の死もまた、記憶の塊が一つ消えただけの話です。
いや実は消えたわけではなく、それが社会の記憶につながっていると考えると、実は未来永劫、消えないことになります。
それが虚空蔵やアカシックレコード、あるいは一時期話題になったアガスティアの葉につながっていくわけです。
つまり記憶は消えることがないのですから、人は永遠に存在するのです。

とまた、わけのわからない挽歌になりましたが、私は「佐藤修」というファイルの記憶の塊ということになると、発想は広がります。
この挽歌に書かれている節子は、実は私の記憶が編集して生み出した存在かもしれません。
自らが自らを生み出す仕組みをオートポイエーシスといいます。
私が目指す組織原理です。
生命体は自らと同じ生命体を生み出す能力がありますが、記憶もまた記憶を生み出していく、オートポイエティックな存在なのです。

長いこと節子のことを挽歌で書いてきていると、新しい節子が生まれてきているような気がします。
節子のことを思っているうちに、これまで気づかなかった節子に気づくこともあります。
まあそんなことはありえないわけで、大体において記憶が生み出した創作なのでしょうが、それが実に自然に節子だと思えるのです。
そうして節子は私以上に成長していきます。
ですからますます愛すべき存在になっていくのです。

節子のことを書くことによって、実は私自身の記憶の塊が変化していることも事実です。
私もまた、節子にとっての愛すべき存在になってきているわけです。
記憶の塊としての私は、肉体が食事をして維持・成長しているように、こうして挽歌を書くことによって維持・成長しているのです。
ですから挽歌を書かない日は、なんだか空腹感ならぬ、空心感が出てくるのです。

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■節子への挽歌1522:愛の両義性

節子
今日、時評編でBOPビジネスの両義性という話を書きました。
貧困層を救うという活動が、注意しないと貧困層をさらに貧しくし、しかも新たな貧困層を増やしてしまうという話です。
昨日、まさにそういう話を湯島の集まりでしていたのですが、挽歌でも「両義性」をタイトルにして書くことにしました。
時々思うことですので。

節子も知っているように、私は経営も経済もその原理は「愛」でなければいけないと思っています。
しかし、「愛」は光の側面と同じように闇の側面も持っています。

昨日はアジアを飛び歩いている若者をゲストに話し合いをしていたのですが、話しているうちに、なぜか映画「スターウォーズ」のアナキン・スカイウォーカーを思い出していました。
アナキンは、正義を守る人として期待されていたのですが、母や恋人への愛が禍して、自ら持っている力を闇の世界に利用され、ダークベーダーという闇の権力者へと変わってしまうのです。
映画を観ていない人にはわかりにくいでしょうが、愛は人を一変させてしまうことはよくある話です。

節子を失って、私も大きく変わりました。
以前の私ではない自分を感じます。
しかし、どこが変わったのかと冷静に考えると説明できません。
もしかしたら私自身はなにも変わっていないのかもしれません。
しかし世界との関係性や私の生き方は、間違いなく変わりました。
以前も書きましたが、世界が滅んでくれたらなどということさえ考えたこともあります。
愛は、時に邪悪なものを生み出すのです。
アナキンが光の世界から闇の世界へと移ったこともわからないわけではありません。

光と闇は、その人の立ち位置によってたぶん反転します。
古代においては、神も鬼も同じ存在だったように、価値観が多様な世界においては、光も闇もないのかもしれません。
そうした二元的世界は近代以来の話なのかもしれません。

しかし、「愛」には正反対の意味合いが含意されているように思います。
実際にも「愛されて困っている人」も少なくないはずです。
あまりにも誰かを愛してしまったが故に、自分を失ってしまう人もいます。
「禁断の果実」と言われるように、愛は幸せと不幸せの源なのです。

しかし、にもかかわらず、私にとって一番大切なものは何かと問われれば躊躇なく答えます。
愛がなければ生きる価値はない、と。

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■BOPビジネスの両義性

昨日、ナラティブサロンを開催しました。
自分の物語を一人称で語るとういう「ナラティブ・アプローチ」を基本にしたサロンですが、今回は本村拓人さん(--株式会社Granma代表)に話題提供をお願いしました。
本村さんはほとんどをアジア諸国を歩いている人なので、日本にはあまりいませんが、この数日だけが在日だったのです。
本村さんは昨年話題になった「世界を変えるデザイン展」を企画主催した人です。
その生き方に私は共感しています。
ともかく「行動」であり、しかも「誠実」です。

テーマは「グラスルーツ・イノベーションと途上国支援」です。
話は本村さんが取り組んでいる、BOPビジネスから始まりました。
BOPとは、Base of the Pyramidの略で、所得別人口構成の中で、最も収入が低い所得層を指す言葉です。
いわゆる「貧困層」です。
そこには絶対的な貧困層と相対的な貧困層がありますが、BOPビジネスには彼らを市場化する意味合いと彼らの自立支援の意味合いがあります。
昨日も問題提起させてもらいましたが、注意しないとBOPビジネスは俗に言う「貧困ビジネス」になってしまいます。
そうなれば、それは貧困層を救うのではなく、貧困層を増やす結果につながりかねません。

最近、ソーシャルビジネスとか福祉ビジネスなどと言われる動きが広がっていますが、ここにも全く同じ問題があります。
私もさまざまなNPOと接点がありますが、とても共感していたNPOが久しぶりに付き合ってみたら、貧困ビジネスの世界に陥っているというようなこともあります。
福祉の世界は昔からお金まみれの世界でもありますが、注意しないと初志とは違う活動になってしまう危険性があるのです。

本村さんのビジョンは、もちろん反貧困ビジネス発想です。
彼の話しぶりからそれが良く伝わってきます。
しかしだからといって気を許すわけには行きません。
純粋な、彼の活動には感服しますし、その構想や方針も共感できるものが多いです。
だからこそ、実は一抹の不安を感じもします。
世界の市場化に、結果的には加担することになりかねないからです。
日本政府の取り組み方は、間違いなくその方向を向いています。

本村さんの貧困の定義は「想像力が枯渇している状態」です。
お金ではありません。
とても共感できる定義です。
「世界のどこかで誰かが被っている不正を、心から悲しむことができる人間になりなさい。それこそが最も革命的な資質なのだから」という、チェ・ゲバラの有名な言葉が、どうも本村さんの信条になっているようです。
それを真情にしている限り、本村さんのBOPビジネスへの取り組みは、お金まみれにはならないでしょうが、それにはかなりの覚悟が必要です。

昨年、本村さんたちが主催した「世界を変えるデザイン展」の話もしてくれました。
これはそのサイトもありますので、ぜひ見てください。
近代技術ではない等身大の技術への関心は一時期高まりましたが、最近はあまり言われなくなっていたように思いますが、そうした活動は着々と進んでいるようです。
これに関しては、Techpedia というサイトがありますのでご覧ください。
この活動は、経済パラダイムの岐路を垣間見させてくれるように思います。

長くなってしまったのですが、BOPビジネスの両義性と言う問題を私たちはもっとしっかりと考えなければいけないように思います。
30の若者から、昨日は大きな刺激を受けました。
そして、世界を構想するのは老人にもできますが、やはり世界を創っていくのは若者だということを、改めて痛感したナラティブサロンでした。

ナラティブサロンは今回をもって終わります。
ナラティブの捉え方があまりにもバラバラなので、議論が進化しないような気がしてきたからです。
半年後に、ナラティブカフェを開始する予定です。
本村さんのような若者が中心になるようなカフェができればと思っています。

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2011/11/01

■第2回スリーA方式認知症予防ゲーム体験フォーラムのお誘い

4月にスリーA方式認知症予防ゲーム体験フォーラムを開催しましたが、とても好評だったので、12月3日にもう一度開催することにしました。

案内は私のホームページにあります
案内チラシもありますので、ご覧ください。

前回、参加した方たちを中心に「スリーA方式認知症予防ネットワーク」なるやわらかなネットワークを発足させました。
今回のフォーラムは、そこでの議論から生まれ、フォーラム実行委員会なるものが立ち上がりました。
10人弱いますが、みんな自発的に手を挙げた人たちです。
そこで議論しているうちに、認知症予防にとどまらずに、もっと広範囲な展開を考えたいという人たちが出てきました。
このゲームの持っている楽しさや交流要素が、さまざまな分野で使えるのではないかというわけです。
実際に前回のフォーラムに参加したのも、認知症と無関係な人も少なくありませんでした。
メンバーには多様な人がいますので、話はさまざまに広がり、
とうとう楽しいコミュニケーションゲームを広げていくための新しい組織まで生まれ出しそうです。
そして、12月3日のフォーラムの翌日は、「交流のファシリテーション」を基軸に置いた講座まで開催することになりました。

あっという間に、こうしてどんどんと活動が広がっていく。
私が目指している、オートポエティックな展開です。
12月のフォーラムや研修講座で、さらに輪は広がっていくでしょう。
よかったら仲間になりませんか。

話がそれましたが、ややこしい話は別にして、12月3日の公開フォーラムは参加するときっと元気になります。
とても楽しく笑いの絶えないフォーラムです。
よかったら参加してください。
認知症予防とありますが、コミュニケーションゲームとお考えいただいてもけっこうです。

○日時:2011年12月3日(土)午後1時~5時(12時半開場)
○会場: LIXIL東京総合ショールーム 会議室
都営新宿線・東京メトロ半蔵門線 住吉駅より徒歩約5分
○参加費:1000円(資料代を含む)
○プログラム(予定)
第1部 ゲームの体験と基調講演
NPO法人認知症予防ネット理事長 高林実結樹
第2部 参加者による話し合い
○定員50名(先着順)
○申込み先:comcare@nifty.com
氏名・年齢・所属(職業)・どうして知ったか を記入してお申込みください。
受付確認のメールを返信します。
○主催:スリーA方式認知症予防フォーラム実行委員会

詳しくはチラシを見てください
http://homepage2.nifty.com/CWS/3a2.pdf

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■節子への挽歌1521:「心が連続しているならば、生もまた連続している」

節子
昨日紹介した「チベット死者の書」には、ダライ・ラマのインタビューが登場します。
そこで語られている言葉は、とても共感できるものです。
一部は時評編でも紹介させてもらいましたが、ここでは挽歌編らしく、輪廻転生と生の連続性に関連して語られていることを少し引用させてもらいます。
ちょっと長いです。

「経験から私たちは心が常に変化していることを知っています。心は肉体環境が変化した故に変わることもあれば、それにはかかわりなく変化することもあります。心は一瞬一瞬変化してゆく現象です。」
「心も因(主要因)と縁(間接因)を持っているに違いありません。粗いレベルの心の間接因は脳であり、究極の主要因は直前の心、より微細な心です。直前の心なくしては、現在の心が生み出されることは難しいと納得できるはずです。」
「まず原因から結果が生まれ、その結果が原因となり、それがまた結果となってゆく、つまり因果の法則(縁起論)ゆえに意識は持続的であり、経験や印象を次々に集積し、どこまでも流れてゆく。この心の連続体を想定するのが仏教の基本的説明です」。
「心が連続しているならば、それにともなって存在もしくは生もまた連続しています。」
「このように肉体は刻々変化しており、新たな生が始まるとともに、新たな肉体が生じます。これが生まれ変わりの理論なのです」。
ここで、「微細な心」と言われているのは、私たち一人ひとりの心身の奥深くに普段は無意識に存在する心、のようです。
連続体としての生、「大きないのち」に根ざしているとともに、「大きないのち」そのものといえるかもしれません。
それは、脳が作動しなくなった時に表に出てきます。
「死の過程の最柊段階に現われる光明である」と、死者の書は語っています。
バルドの生は、この「微細な心」を通して「大きないのち」に支えられているのです。

ダライ・ラマの言葉で、私がハッとしたのは、
「心が連続しているならば、それにともなって存在もしくは生もまた連続しています」
というところです。
心がつながっていれば、存在もつながっている。
頭では理解していたことですが、この言葉の奥に、なにかとても深い意味が含意されているような気がしてきました。

節子の身体から魂が、あるいは「微細な心」が抜けていく瞬間を、私は無意識に覚えています。
その時には、いささか気が動転していて意識できなかったのですが、後で気づいたのです。
「微細な心」を通じてつながっている節子に、いつかまた会えると思うと元気が出ますが、心のつながりが生のつながりであるのであれば、いまの私の生を、もっともっと大切にしなければいけません。
そのことに気づいて、ハッとさせられたのです。
生き方を変えねばいけません。
節子のためにも。

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■心の安らぎを得られる源は善き心

一昨日、ラスキンの経済観を紹介しましたが、実はこれはダライ・ラマの哲学にも通じています。
挽歌編で書いていますが、ある偶然で、一昨日、20年近く前のNHKテレビの番組「チベット死者の書」を見ました。
そのなかに、ダライ・ラマへのインタビューが出てきます。
そこで、ダライ・ラマはこう語っているのです。

物質的な環境が整っていれば、肉体的には安楽です。しかし、金も機械も心の安らぎを与えてくれることはありません。心の安らぎは個々人自らが見いだし、培ってゆくしかないのです。
私個人の経験によると、心の安らぎを得られる主なる源は、善き心です。
心の安らぎを破壊する最も強力な力は、憎しみ、極端な執着、慢心、疑い、恐怖です。
いったんあなたが善き心、温かい慈悲の心、利他心をもつことができたならば、憎しみ、恐怖、嫉妬といった心の働きを弱めてゆくことになります。
そこで私は常々、幸せな人間となり、よい人生を送りたいと望むなら、善き心を培う必要があると人々に説いています。
温かい心をもった善き人間であるならば、あなたはもっと幸せに、心のやすらぎをもてるようになるでしょう。自然に友好的で調和的な雰囲気が醸し出され、その結果、あなたの家族だけでなく、近所の人間、犬や描、鳥といったペットまで、あなたの温かい心の影響をうけ、恩恵をこうむるでしょう。
ラスキンの思想とつながっています。
そして、ガンジーとも、さらには昨今のエコロジー発想ともつながっています。
みんなが善き心を持てば、大仰な地球温暖化対策など不要なのです。
昨今の地球温暖化対策は、善き心をむしろ追いやる形で進行しているように私には思えます。

経済の基本に、利益に目がくらんだような「ホモ・エコノミクス」を置くべきではありません。
人はみな、「善き心」をもっています。
それを忘れてはいけません。
自らの中にある「善き心」を確信しましょう。
そしてそれに素直に従って生きましょう。
自らが安らげば、回りも安らぎ、世界も安らいでいくでしょう。
しかし、それが難しいことも事実です。
私もまだ、安らげずに腹立たしくなったり、怒りをぶつけたり、失望したりすることばかりです。
困ったものです。


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