■節子への挽歌1526:コタツ
節子
今日は寒い日でした。
おそらく節子でもコタツに入りにきたでしょう。
そういえば、節子は私と違って、あまりコタツがすきではありませんでしたね。
節子と一緒にコタツでみかんを食べながら話し合った記憶があまりありません。
どうしてでしょうか。
私たちは、年末に突然に同棲を始めました。
お金が全くなく、暖房器具を買えませんでした。
したがって最初の冬はコタツしかなかったのですが、安い貸家だったので隙間風が入る小さな家でした。
双方の親も結婚を認めていなかったので、家具も皆無でした。
まあそういう同棲生活が、私好みなのですが、節子はあまり好んでいなかったかもしれません。
しかし、たぶん私の口車に載せられたこともあって、そういう「神田川」生活を楽しんだはずです。
休日はいつも奈良か京都でした。
その生活は半年くらいしか続かなかったと思いますが、私には一番楽しかった時期でした。
その頃は、テレビもなく、ただただ2人でコタツに入って話し合っていました。
いったい何を話していたのか、今となっては思い出せません。
節子は記録が好きな人でした。
毎日日記を書いていましたから、それを読んだら当時話していたことも書いてあるかもしれません。
しかし、その日記帳を読む気には、まだなれません。
ただでさえちょっとだけ思い出しても、心が揺らぐのに、節子の書いた日記を読んだら、ブラックホールに吸い込まれるように抜けられなくなるかもしれません。
節子の日記は、誰にも読まれることなく、私と一緒に荼毘に付されるのが相応しいと思っています。
そうすれば、それこそ私のバルドの旅も退屈しないでしょう。
まあ入りきれないでしょうから、最初の2~3年だけにしたいですが。
わが家のコタツは和室に立てます。
コタツに入ると節子の写真が目に入ってきます。
冬は、節子と一緒にいることが多いことに気づきました。
冬もまんざらではありません。
それにしても今日は寒い日でした。
心のせいかもしれませんが。
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