■節子への挽歌1532:選挙
節子
また昨日は挽歌を書き損ねました。
いろんなことをまた始めた上に、チビ太があまり体調が良くなく、夜はなかなか熟睡できず疲労が溜まっているため、出来るだけ早く寝るようにしているのです。
節子がいたら、挽歌なんか書いても私は読まないから早く寝たほうがいいよ、と言うでしょうから、まあそれにしたがって無理はしないようにしています。
それでも毎日書くと決めた以上は、それを守らなくてはいけません。
そう思っていますが、時には何を書けばいいか浮かんでこないこともあるのです。
1年ほど前まではパソコンに向かって、「節子」と書き出すと、自然と書くことが浮かんできたものですが、最近はそうでもないのです。
困ったものです。
今日は我孫子の選挙でした。
結婚以来、選挙はいつも節子と一緒に行っていました。
投票まではお互いに名前を明かさず、帰りの道でそれぞれがだれに投票したかを明かすのがわが家のルールでした。
時に一致することもありましたが違っていることも多かったです。
娘たちが選挙権を持ってからは、基本的に家族で行きましたが、このルールは娘たちにも継承されました。
節子がいなくなっても、この文化は続いています。
節子がいた頃は、政治の話も経済の話も家庭でよくしました。
節子は政治にも経済にも疎かったですが、関心はありました。
節子と話していると、私も考えが整理できました。
そういう話し合いの場がなくなったのが残念です。
選挙の投票に行くたびに、必ず節子のことを思い出します。
そして節子だったら誰に投票するかなと思います。
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