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2011/11/10

■儀式としての手続き

民主党の経済連携プロジェクトチームの提言を受けて、TPP交渉参加が発表されるといわれていた今夕の野田首相の記者会見が延期されました。
マスコミで報道されていたのは、どんな提言が出ようと野田首相の考えは変わらないという見方でした。
もしそうなら今盛り上がっている騒動は「儀式としてのアリバイづくり」でしかありません。
あまりにもひどい話です。
そうした観測に反して、首相は記者会見を1日、延期しました。

しかし、基調は大きくは変わっていないようです。
藤村官房長官は、その発表と同じ記者会見で、「首相の気持ちに変化は感じていない」とも強調しているからです。
これはどういうことでしょうか。
まったく逆なでするような発言です。
これも意図された「手続き」かもしれません。

代表民主主義においては、意思決定者が国民を代表する議員の議論に耳を傾けるということは、それによって自らの考えを問い直すということを意味しなければいけません。
単なる儀式としての手続きではないのです。
最近の野田首相の言動を見ていると、どうも「儀式としての手続き」主義者のような気がします。
官僚の道具になってしまったのでしょうか。

今日はTPPがどうなるかで、私には落ち着かない1日でした。
なにやら肩透かしを食ったようで、気分がすっきりしません。
もし明日、野田首相がTPP交渉参加を表明したら、山田前農水相は民主党を離党するでしょうが、それに契機に、いろいろな動きが出てくるかもしれません。
それでも野田政権が続くようであれば、がっかりです。
またもし交渉参加をやめることにしたら、別のほうから野田政権こわしが始まるでしょう。
やはり選択肢は、解散しかなさそうです。

最近の政治は、やはり私にはわからなくなってきました。
手続きをするための仕組みであって、やはり実際は官僚組織が動かしているのでしょうか。
政治家は官僚のための道具のように見えてなりません。
政治とは一体何なのか。
どうも国民の暮らしのためにあるものではなさそうです。
そんな失望感が、日に日に高まってきますが、そう思うこと自体が間違っているのでしょうね。
動き出す気力のない自分が情けなく、恥ずかしいです。
できるのは「署名」だけではどうしようもないですね。
反省しなければいけません。

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