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2011/11/03

■節子への挽歌1522:愛の両義性

節子
今日、時評編でBOPビジネスの両義性という話を書きました。
貧困層を救うという活動が、注意しないと貧困層をさらに貧しくし、しかも新たな貧困層を増やしてしまうという話です。
昨日、まさにそういう話を湯島の集まりでしていたのですが、挽歌でも「両義性」をタイトルにして書くことにしました。
時々思うことですので。

節子も知っているように、私は経営も経済もその原理は「愛」でなければいけないと思っています。
しかし、「愛」は光の側面と同じように闇の側面も持っています。

昨日はアジアを飛び歩いている若者をゲストに話し合いをしていたのですが、話しているうちに、なぜか映画「スターウォーズ」のアナキン・スカイウォーカーを思い出していました。
アナキンは、正義を守る人として期待されていたのですが、母や恋人への愛が禍して、自ら持っている力を闇の世界に利用され、ダークベーダーという闇の権力者へと変わってしまうのです。
映画を観ていない人にはわかりにくいでしょうが、愛は人を一変させてしまうことはよくある話です。

節子を失って、私も大きく変わりました。
以前の私ではない自分を感じます。
しかし、どこが変わったのかと冷静に考えると説明できません。
もしかしたら私自身はなにも変わっていないのかもしれません。
しかし世界との関係性や私の生き方は、間違いなく変わりました。
以前も書きましたが、世界が滅んでくれたらなどということさえ考えたこともあります。
愛は、時に邪悪なものを生み出すのです。
アナキンが光の世界から闇の世界へと移ったこともわからないわけではありません。

光と闇は、その人の立ち位置によってたぶん反転します。
古代においては、神も鬼も同じ存在だったように、価値観が多様な世界においては、光も闇もないのかもしれません。
そうした二元的世界は近代以来の話なのかもしれません。

しかし、「愛」には正反対の意味合いが含意されているように思います。
実際にも「愛されて困っている人」も少なくないはずです。
あまりにも誰かを愛してしまったが故に、自分を失ってしまう人もいます。
「禁断の果実」と言われるように、愛は幸せと不幸せの源なのです。

しかし、にもかかわらず、私にとって一番大切なものは何かと問われれば躊躇なく答えます。
愛がなければ生きる価値はない、と。

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