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2011/11/05

■節子への挽歌1525:適度の老化

節子
今日は頚部の血管の超音波診断をしてもらってきました。
幸いに異常は見つからなかったようです。

先月、ものが二重に見えたり、手足の痺れがあったり、頭のもやもやが続いたり、あまり快適とはいえない状況が続いたのですが、人生を真面目に生きようと思い直し、思い立って今週、脳外科に行ってきたのです。
MRI診断の結果は、いつものように「適度な老化」状況でしたが、念のために頚部の血管を検査しようと言うことになっていたのです。
診断中、私も画像を見せてもらっていました。
わけのわからない画像でしたが、カラフルで結構面白いのです。
動脈と静脈の性質の違いもよくわかりました。
画像にちょっとおかしなものが現れたので、これは何かと訊いたら、加齢による「のう胞」だと教えてくれました。
加齢とともに、そうしたものが生じ、それが悪性だと悪さをしだすのだそうです。
しかし、なにが「悪性」かの判断基準は相対的なものです。
私は「適度の老化」という発想が好きなのですが、適度に終焉に向かっているようです。
節子を見送った後、私は病気にもかなり寛容になってきています。

視界がおかしくなったのは緑内障かもしれないといわれています。
しかし「適度の老化」を一々気にしていたら、何のための人生かということになります。
人生を真面目に生きるというのは難しいことのようです。

歳とともにいろんな意味で身体は「劣化」しています。
たぶん精神や知能も「劣化」しているのでしょう。
身体は自分でもそれなりにわかりますが、精神や知能はなかなか自覚できません。
しかしMRIで輪切りの脳の映像を見せられて、そこになにやら脳劣化を示すものがあるといわれるとなんだか安心できます。
身体だけ劣化して、脳機能が劣化しないままだと、不幸になるのは目に見えています。

最近、認知症予防の問題にささやかに関わっています。
数年前に出会った高林さん(NPO法人認知症予防ネットワーク理事長)の情熱にほだされて、彼女の活動を応援することにしたためです。
高林さんが開発した認知症予防ゲームの体験フォーラムなどを主催したりして、一応、参加した人からは喜ばれています。
新しい動きもいろいろと出始めています。
しかし、私自身は自分の「認知症予防」には関心はありません。
そもそも「認知症」という概念が私にはなじみにくいのです。
つまり、私にとっては認知症もまた「適度の老化」でしかないのです。
それによって周辺の人たちに迷惑をかけるのは避けたい気もしますが、人はそもそも周りの人に迷惑をかけながら生きているのです。
それはそれで仕方がないことです。

節子は、「適度の老化」もせずに彼岸に急いで旅立ちました。
それこそ周りの人には「大迷惑」です。
せめて私は「大迷惑」をかけずに、適度の老化で適度に迷惑をかけていこうと思っています。
節子の分まで迷惑をかける権利をもっていると勝手に思い込んでいるので、娘たちは大変です。
しかしそれもまた人生なのですから、仕方がありません。

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