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2011/11/20

■節子への挽歌1540:投げ出せない人生

節子
最近、いろんなことが重なってどうも時間がとれません。
さまざまなことに関わりすぎているからかもしれません。
昔はいろんなことに関わることが逆に元気の源でしたが、最近はどうもそうでもありません。
節子がいたら、またたしなめられるところでしょう。
「忙しい」のはみっともないことですから。
しかし、最近、少し「心を失うような」状況です。
心を失うと忙しくなります。
忙しいから心を失うのではありません。
心を失うから忙しくなる、それはわかってはいるのですが、最近は心を失いがちです。

昨日、東北の水産関係の3つの会社の社長のみなさんとお会いしました。
いずれも今回の津波で壊滅的ともいえる被害を受けた会社です。
テレビなどでも拝見していたみなさんですが、お話していて、とても「あったかなもの」が伝わってくるのです。
ああ、この人たちは「心を失っていない」と思いました。
そして自分の最近の状況を反省しました。

節子がいなくなってから、時に人生を投げ出したくなることがあります。
節子のところに行けたらどんなに心安らぐだろうと思うこともあります。
その一方で、娘たちのことを考えると、その身勝手さに気づきます。
節子ほどではないでしょうが、私がいなくなったら、娘たちは悲しむでしょう。
人は、一人では生きていない。
それに気づけば、人生は投げ出せません。

宮沢賢治のことを最近またよく考えます。
賢治のように、私もトボトボと歩き続けるしかありません。
トボトボ歩くと見えてくることもたくさんありますし、それは豊かな歩きなのかもしれません。
しかし、時々、昔のように急ぎ足になってしまうのです。
そして心失い、忙しくなってしまう。
その繰り返しなのです。
そんなことをしなければいいと自分でもわかっていますが、忙しくして心を失わないとやりきれないこともあるのです。
まだまだ心は安定していない証拠です。
長年、あまりに節子に依存していた生き方をしていたからでしょう。
困ったものです。

今週は少しトボトボ歩きに戻ろうと思います。
しかしどこに向かっているのだろうかと、時に思います。
まだまだ人生を悟るには程遠いようです。

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