■節子への挽歌1524:「それは節子の文化だから」
節子
福井の義姉から野菜がどっさり届きました。
野菜が届くと節子がむかし朝日新聞に投稿した母からの野菜便のことを思い出します。
その節子の母が亡くなり、節子も亡くなったのに、野菜便だけは続いています。
不思議といえば、不思議です。
節子がいなくなっても続いていることはいろいろあります。
節子の命日に、節子の友人から花が届くといったようなこともありますが、もっと日常的にはわが家の家族の暮らし方には節子のやり方や残したスタイルが続いています。
節子の記憶が家族の記憶に転移され、それがいまなお生きつづけていると考えることもできます。
いろんなところに、節子が生きつづけているわけです。
わが家では時々使われる言葉があります。
「それは節子の文化だから」という言葉です。
たとえばわが家では家族の誰かが外出する時には、必ず残っている人が玄関まで見送りに出ます。
節子は、私が外出する時に必ず玄関まで見送っていたからです。
仕事中でもテレビを見ていても、玄関まで見送りに出るのです。
出なくてもいいよと娘は言いますが、「これは節子の文化だから」と言って、それは守られています。
それは決していい意味だけではありません。
節子は結構いい加減でしたから、節子のせいにすることも出来るのです。
掃除をしたくない時には、まあしない日もあるよ、それが節子の文化だから、と言うように使えます。
野菜便から話はおかしな方向に発展してしまいました。
しかしまあ、これも「それは節子の文化だから」許されるでしょう。
ところで、野菜便は、もう一つあります。
福岡からの野菜便です。
企業を定年で辞めて故郷に戻った蔵田さんからの野菜便です。
節子がいた頃から始まっていますが、節子が感心した立派な野菜で、しかも種類が多いのです。
蔵田さんご自慢の手づくり野菜です。
わが家の家庭農園は、今年は手入れ不足でダメでしたが、こうした野菜便でわが家の食卓はいつも豊かです。
これも節子が残してくれた文化かもしれません。
わが家はお金がなくてもなんとか暮らしていけるのも、節子の文化なのです。
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