■節子への挽歌1541:湯島でのひと時
節子
今日は昨日までと打って変わって、穏やかな日和です。
昨日までのばたばた殻抜けて、久しぶりに湯島でのんびりしています。
といっても、しばらくしたら出かけて、夜はまたここでささえあい交流会です。
しかし先ほどか1時間ほど、珈琲を飲みながら、何をするでもなくのんびりしています。
このオフィスから、私は東京の空を眺めているのが大好きです。
ゆっくりと流れる雲を見ていると、何だかすべてのことが瑣末に感じられてきます。
節子がいるときには、こうやってのんびり2人で空を見ていたことはあったでしょうか。
いつも私たちは何か話していました。
何を話していたのでしょうか。
すべては、もう昔の話になってしまいました。
湯島のオフィスは、最近いろんな人が使い出しました。
コモンズ空間を目指していたのですから、それはそれでいいのですが、なにやら共同経営者が不在になった感じです。
節子が用意しておいてくれた食器なども少しずつ壊れたりしてきています。
本来はきちんと買い足さないといけないのですが、そういうことが私は不得手です。
しかし不思議なもので、節子がいなくなっても、何となく湯島のオフィスは回っているのです。
最近は集まりがあっても、参加者の誰かがカップを洗い、後片付けをしてくれます。
節子がいた頃は、節子がほとんど一人でやっていました。
状況が違うと、みんなの行動も変わるものなのです。
節子がいる頃と変わったことはあるでしょうか。
時々、雰囲気が変わったねという人がいます。
しかし何も変わっていないのです。
ベランダや室内の植物もあまり変わっていませんし、壁にかかった版画もそのままです。
もちろんレイアウトは変えていません。
テーブルと椅子はかなり古くなったので、買い換えたいところですが、そういうこともまた、私のもっとも不得手とするところです。
椅子の一つはちょっと壊れてしまってきていますが、すべてを買い直すとなるとかなりの出費ですので、収入がほとんどなくなっている私には今は無理そうです。
でも節子がいたら、たぶん買い換えるでしょうね。
来年は少しがんばって仕事をして買い換えようかとも思います。
そうそう変わったことが一つあります。
先日、12人用の珈琲メーカーを購入しました。
今までは5人用だったので面倒でしたが、いまは楽になりました。
そろそろ出かけなくてはいけません。
久しぶりに1時間ほどのんびりと無為の時間を過ごしました。
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