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2011/11/09

■TPPへの賛否でその人の立ち位置がわかります

TPPへの参加交渉に入るかどうかがまもなく決まりそうですが、TPP議論を聞いていて、賛成側も反対側も、それぞれに論理は正しいように思います。
人によって価値基準は違いますから、どちらが正しいとはいえません。
説明のしかたがそれぞれに違うのですが、新聞の解説記事を読むと、それを書いた人の立ち位置もよくわかります。
賛成者が書いた解説を読むと賛成したくなり、反対者の書いた開設を読むと反対したくなります。
私自身は、TPP反対論ですが、だからといってTPP賛成論が間違っているとは言い切れません。
世の中に、何が正しいなどといった絶対基準はないと、私は思っています。

しかし最近つくづく感ずるのは、TPPはある意味では、その人の立脚点を示す「踏み絵」だということです。
その人のことをある程度、知っていると、その人が賛否のどちらかはかなり予想がつきます。
予想がはずれたことは、ほとんどありません。

もっとも「政治家」の場合は、必ずしも予想はつきません。
彼らには、まったく別の行動基準があるからでしょうが、あれっと思う人が反対しています。

では、その立脚点とは何かです。
私が思うには、経済観や文化です。
世界の経済や文化は大きな転換点にきています。
ギリシアの経済にしろ、オリンパスの経営にしろ、これまでの経済や文化の枠組みが引き起こした末期症状の象徴ではないかと思うのですが、そうした経済や文化はまだ修復して機能させられると思っている人たちは、TPPに賛成するでしょう。
そしてそれこそが、現下の危機を救うことになりと思っているのです。
ちょうど東北の被災地にこれまでの発想で都市計画や復興計画を立てるのと一緒です。
浸水地域ではなく高台に、人工的に安全な都市をつくる発想が間違っているとは言い切れないのと同じく、現在の経済の延長での生き残りを考えることが間違いだとは断定できません。
念のために言えば、私は主観的にはもちろん「間違い」だと断定していますが。

福島原発事故が起きた今でさえ、多くの人は原発に依存しようと考えています。
政府や産業界は輸出さえしようと考えています。
多くの、というよりも、ほとんどの科学者も技術者も、原発に反対しているようには見えません。
そうした人たちは、私には犯罪者に見えますが、だからといって私が正しいわけではありません。
犯罪者にも犯罪者の理があると、私はいつも思っています。
私も、このブログでは時にかなり過激に断定し、批判していますが、私自身が同じように批判されることもまた受け容れています。
ただし、社会に大きな影響を与える立場にある人は、自らの立ち位置を、時に相対化してみることも大切です。
それができるかどうかが、私には政治家の最大の資質ではないかと思っていますが、昨今の政治家にはあまり期待できないかもしれません。
そういう「大きな政治」は終わってしまったのかもしれません。
オリンパスが壊れ、ギリシアもイタリアも壊れ、ラダックもブータンも壊れていくのは、時の流れとして仕方がないのかもしれません。
TPP論争を聴いていると、思いはそんなところまで行ってしまいます。

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