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2011/11/12

■WIN・WIN神話

「ギニー貨の有する力の程度は、隣人がそれに対して有する必要ないしは欲望に正確に依存しているのである。それゆえ普通の商業的経済論者の意味において、みずから富裕になる術は、同時にまた必然的に諸君の隣人を貧乏にしておく術である。」

これは、今から150年前に書かれた、ラスキンの「この最後の者にも」に出てくる言葉です。
彼は当時の経済の考え方を、商業的経済と呼び、それに関する根源的な批判を試みています。
いま読んでも学ぶべきことがたくさんあります。
私がこの本を改めて読み出したのは、TPP論議の中でまた「商業主義的」議論が広がりだしているからです。

TPP賛成論者は、貿易自由化はみんなを豊かにさせるといいます。
地球という有限な世界で生活を営む以上、いまよりもみんな豊かになるなどと言うのは幻想に過ぎません。
誰かが豊かになれば、必ず誰かが貧しくなります。
そんなことは、ちょっと考えればわかるはずですが、経済成長の只中にいるとそれに気づきません。
パイが大きくなれば分け前も大きくなると、みんな思っていました。
私もその一人でした。
そうした神話への疑問が広がりだしたのが1970年代です。
そうした警告の書を読みながらも、私は経済成長や科学技術への期待の前に、その意味をしっかりと受け止めることができませんでした。
気づきだしたのは、1980年代に入ってからです。
そして1989年に会社を辞めて、生き方を変えました。
そして「お金」を基準にする生き方を捨てました。

1980年代には「持続可能性」と言う概念が生まれ、1990年代になってそれが広がりだしました。
しかし残念ながら、その言葉は流行語にはなりましたが、真剣に考えようとする人は決して多くはありません。
最近のわが国でもTPP論議には、持続可能性などという発想は微塵もありません。
民主党の若手閣僚の頭には、成長神話や自由経済信仰が色濃くあります。
そもそも「新成長戦略」などという古めかしいパラダイムを語っています。

商業的経済は、パイの奪い合い経済です。
関税をなしにしたら市場が大きくなるのではありません。
文化を市場主義に変え、社会を市場にしなければ、市場は大きくなりません。
市場が大きくなれば、必ず何かが小さくなります。
絆だとかつながりだとか壊れていくわけです。
大震災後の「絆」の大合唱は、要は絆まで市場にしようと言うことなのかと疑いたくなります。
そういえば、それをもたらしたのは企業が応援している公共広告に取り組む組織でした。

TPPで関税がなくなれば輸出しやすくなる人もいるでしょう。
しかしその意味をやはりもっときちんと考えるべきではないかと思います。
もうそろそろ誰かを犠牲にして金儲けしようなどとい言う貧しい経済から抜け出せないものでしょうか。

みんなそろそろ生き方を見直すべき時期です。

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