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2011/11/30

■節子への挽歌1550:愛する人を見送った者同士

節子
軽井沢に来ています。
シーズンオフのため、街は閑散としています。

夜、若い知人から電話がありました。
彼は最近、父を見送ったと聞いていましたので、気になっていたのですが、そんなことなどまったく感じさせないような明るい声でした。
その声の向こうにある「思い」を知っているだけに感ずるものがありました。
最近、顔を出さないね、というと、また行きますと元気な声が返ってきました。

大阪で、やはり父を自死で見送った人がいます。
彼女に会ったのは昨春ですが、同じような立場の人たちの集まりをやりたいといって連絡してきてくれたのです。
時間をかけて準備してきましたが、ネットワークも立ち上がり、集まりもいよいよ始まることになりました。
電話の声も最初の頃に比べるとだいぶ違ってきています。
2回目の集まりに私も顔を出そうと思っています。

伴侶か父親かの違いはありますが、愛する人を亡くしたという点では私と彼らは同じです。
そういう人に出会うと、なぜか心が開きます。
その人に、自分の気持ちを感ずるからかもしれません。
最近は、少しだけですが、そうした場合の「距離のとり方」もわかってきました。

愛する人を亡くした者にとって、冬の寒さはこたえます。
軽井沢は、明日は雪になりそうです。

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