■節子への挽歌1545:Nさんのこと
節子
節子の友人のNさんからりんごが届きました。
いつものように、蜜の入った長野の美味しいりんごです。
お礼の電話をかけました。
夏に電話した時には、ご主人が出たのですが、Nさんは階段で転んで入院していると聞きましたが、もう元気になっているだろうと思ったのです。
ところが電話に出たのは、またご主人でした。
そしてお話を聞いたら、Nさんは骨折だけではなく、記憶障害や言語障害なども出てしまい、まだ回復されていないのだそうです。
どうやら大変なようです。
Nさんは、実は節子より先に胃がんになってしまいました。
節子が投稿に書いた友人はNさんです。
幸いにNさんは克服されましたが、お互いに同じ体験だったので、Nさんは遠くにお住まいにも関わらず、わが家まで足を運んでくれました。
節子のことをとても心配してくれていました。
2人とも元気だった頃、節子はNさんご夫妻と一緒に自動車で旅行にも行っています。
それがとても楽しかったようで、よく話していました。
いつか私も一緒にと言われていましたが、当時はまだ仕事が楽しくて仕方がなく、気乗りしない返事をしていました。
そのうちに、Nさんが、そして節子が、胃がんになってしまったのです。
Nさんはまだ記憶が完全には戻らずに、言葉も不自由なようです。
節子がいたら、すぐに跳んで行って、元気にしてやれるのにと思います。
節子がいないのが、とても悔しいです。
私では何の役にも立てません。
最近、そういうことが時々あります。
私よりも節子のほうが長生きすべきでした。
つくづくそう思います。
ご主人が電話口で突然、奥さんからもらったつる草が元気に花を咲かせています、と言ってくれました。
節子から、とてもいいご主人だとお聞きしていましたが、私はまだ一度もお会いできていません。
そのつる草は、たぶんヤマホロシです。
節子が残してくれたヤマホロシのおかげで、急にNさんのご主人に会いたくなりました。
節子がそう思っているのかもしれません。
いなくなってもなお、節子は私のいろんな縁をつくってくれます。
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