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2011/11/22

■経済的に豊かな家庭の子どもは「頭がいい」

企業経営者の2代目、3代目が集まった研究活動の発表会での体験です。
溌剌とした若い発表者がこう言いました。
「私たち、2代目、3代目は、親のおかげで経済的にも恵まれ、教育にもお金をかけてもらっているので、頭が良いのですが、そのため、頭で考えがちなのです」と。
会場には爆笑が起こりました。

大王製紙の前井川意高会長も、多分同じように「頭が良い」のでしょう。
テレビで報道される前会長はなんら悪びれることなく、さわやかなのも印象的です。
私は、なぜか憎む気にはなりません。

最近、また読んでしまったラスキンは、こう書いています

。「普通に富裕だと考えられている人々の多くは、先天的にしかも永遠に富を得る能力がないのであって、実際にはかれらの金庫の錠とおなじように少しも富裕ではないのである。」
「経済的観点からみれば、そういう人々は国家にとっては停滞した水溜りか、流れのなかの渦巻か、さもなければ、究極のはたらきが堰自体によるのではなくて、水車小屋によらなければならない河のなかの堰のようなものか、さもなくば富として作用せずに「害物」として作用し、かつあらゆる方面においてかれらのまわりにさまざまな惨害と難儀をひき起こすような、単なる偶発的な抑制とか障害としての役目を果たすのである。」
つまり、富を蓄積している富者は、経済を循環させていく上では「害物」だというのです。
そして富者は「金庫の錠」と同じだとまで言います。

井川前会長は、富を得る能力はなかったかもしれませんが、富を使う能力はあり、しかも実践もしたのです。
井川家に死蔵されかねなかった富は、彼のおかげで、カジノを通して社会に回ってきたのです。
おかしな言い方ですが、経済にとっては好ましいことではないかと言う気がします。

問題は、そうした井川さんの行動に異を唱えなかった同社の経営陣です。
おかしいと思いながらも、唯々諾々と従っていた経営者たちの責任をこそ、わたしは問いたいです。

清武さんとナベツネさんの騒動が話題になっていますが、ナベツネさんのような人を育てたのも、同じような「唯々諾々と従う人たち」だったのでしょう、
「異を唱える」ことに意味があるわけではありませんが、「意を唱えない」人生は、私には理解できません。
そうした家畜のような人生は、折角の生を無駄にしています。
しかしそうした輩がはびこりだしている社会には戻りたくはありませんし、そんな生き方はしないようにしています。
それに徹すれば、それはそれなりにまた、生きやすいものです。

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