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2011/11/23

■節子への挽歌1543:「なんで悲しむことがあるの」

節子
ある人から東北被災地に「なつかしい未来創造株式会社」が生まれたという話を聴きました。
「なつかしい未来」
いうまでもなく、10年ほど前に話題になったヘレナ・ノーバード=ホッジの本「ラダックから学ぶ 懐かしい未来」を意識した命名の活動です。
そういえば今こそ読み直すべきだと思い、同書をざっと読み直しました。
そのことを時評編で書こうと思いますが、一つ心に残った言葉があったので、挽歌でも書くことにします。
気になった言葉は、「なんで悲しむことがあるの」です。

この本は、著者のヘレナさんが体験したラダックの社会の変化を記録したものですが、彼女がラダックに最初に住みだしたころの話に出てくる言葉です。
ちなみにラダックはチベットと隣接したインドの地域です。
ヘレナさんが住み始めた頃のラダックは、今のブータンよりみんな豊かで幸せだったのでしょう。

ラダックの人たちは、この地球上に彼らの居場所をしっかりと持っている。その場所との毎日の親密な接触、季節の移ろいであるとか、必要性、制約など、身近な環境についての知識を通して、そこにしっかりとつながっている。
そのおかげで、ラダックの人たちは、どんな状況であっても満足し、幸福を感じることができるのだとヘレナさんはいうのです。
そして、こう続けています。
満足は、自分が大いなる命の流れの一部であることを感じ、理解し、気を楽にしてその流れと一緒に動いていくことから来る。もし長旅に出ようとしていた矢先、大雨が降ってきたとしても、なぜ惨めになる必要があるのか。そうなって欲しくなかったかも知れないけれども、ラダックの人は「なんで悲しむことがあるの」という心の姿勢でいる。
最近、私はあまり「悲しむ」という感覚がなくなってきているような気がします。
節子がいなくなった悲しみに、私が持っている「悲しみの感覚」をすべて使い切ってしまったからかもしれないと思っていました。
しかしどうもそうではないようです。
この文章を読んで、そんな気がしました。

「なんで悲しむことがあるの」
たしかにそうです。
節子とのつながりを信じていれば、悲しむことはない。
ありのままにすべてを受けいれ、素直に生きていれば、何も悲しむことはないのです。
もし悲しむことがあるとすれば、それは「悲しむこと」に逃げようとしている自分の生き方なのかもしれません。

「ラダックから学ぶ 懐かしい未来」からは、何か大きな力をもらった気がします。
そのラダックが壊れてきていることも、悲しむことではないのでしょう。
挽歌を書き続けているおかげで、私自身の生き方が少しずつ整理されてきているのがうれしいです。

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