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2011/11/01

■心の安らぎを得られる源は善き心

一昨日、ラスキンの経済観を紹介しましたが、実はこれはダライ・ラマの哲学にも通じています。
挽歌編で書いていますが、ある偶然で、一昨日、20年近く前のNHKテレビの番組「チベット死者の書」を見ました。
そのなかに、ダライ・ラマへのインタビューが出てきます。
そこで、ダライ・ラマはこう語っているのです。

物質的な環境が整っていれば、肉体的には安楽です。しかし、金も機械も心の安らぎを与えてくれることはありません。心の安らぎは個々人自らが見いだし、培ってゆくしかないのです。
私個人の経験によると、心の安らぎを得られる主なる源は、善き心です。
心の安らぎを破壊する最も強力な力は、憎しみ、極端な執着、慢心、疑い、恐怖です。
いったんあなたが善き心、温かい慈悲の心、利他心をもつことができたならば、憎しみ、恐怖、嫉妬といった心の働きを弱めてゆくことになります。
そこで私は常々、幸せな人間となり、よい人生を送りたいと望むなら、善き心を培う必要があると人々に説いています。
温かい心をもった善き人間であるならば、あなたはもっと幸せに、心のやすらぎをもてるようになるでしょう。自然に友好的で調和的な雰囲気が醸し出され、その結果、あなたの家族だけでなく、近所の人間、犬や描、鳥といったペットまで、あなたの温かい心の影響をうけ、恩恵をこうむるでしょう。
ラスキンの思想とつながっています。
そして、ガンジーとも、さらには昨今のエコロジー発想ともつながっています。
みんなが善き心を持てば、大仰な地球温暖化対策など不要なのです。
昨今の地球温暖化対策は、善き心をむしろ追いやる形で進行しているように私には思えます。

経済の基本に、利益に目がくらんだような「ホモ・エコノミクス」を置くべきではありません。
人はみな、「善き心」をもっています。
それを忘れてはいけません。
自らの中にある「善き心」を確信しましょう。
そしてそれに素直に従って生きましょう。
自らが安らげば、回りも安らぎ、世界も安らいでいくでしょう。
しかし、それが難しいことも事実です。
私もまだ、安らげずに腹立たしくなったり、怒りをぶつけたり、失望したりすることばかりです。
困ったものです。


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