■節子への挽歌1534:名前
節子
昨日の挽歌を読んだ友人から、「佐藤さんにとってのsmall talkが奥様のお名前だったというのも感銘を受けました」というメールが来ました。
それで今日は、名前のことを書こうと思います。
私たちは、お互いを名前で呼び合っていました。
娘が生まれてからもそれは変わりませんでした。
「お母さん」とか「お父さん」とか呼ぶことは皆無でした。
名前を大事にするということには、私はかなりのこだわりがありました。
夫婦同士の場合、それは問題はありませんでした。
ところが娘たちにどう呼ばせるかということでは、節子と私は意見が異なりました。
私は、娘たちにも「修」「節子」と呼ばせるのがいいと提案しました。
節子は反対でした。
「お母さん」「お父さん」がいいというのです。
私は、そうした一般名詞で人を呼ぶのは賛成しかねます。
どうしてもというなら「私のお父さん」と呼ぶのが正しいはずです。
しかし、そんな主張が通るはずもありません。
残念ながら方針は一致せずに、それぞれがばらばらで娘たちに付き合いましたので、娘たちは混乱したかもしれません。
しかし今もなお、節子のことを娘たちは「節子(さん)」と呼ぶこともありますので、まあ私の文化も少しだけ継承されたわけです。
私は「佐藤」という、ありふれた苗字なので、会社時代も会社を辞めてからも、名前で呼ばれることが多いのです。
しかしその文化はそう多くないようです。
ある外部の集まりで、私と一緒に活動していた若者が私のことを「修さん」と呼んでいたのですが、その後、その会議に参加していた会社の社長から、あの若者は佐藤さんのことを「修さん」と呼んでいたが、一体何者なのかと訊かれました。
私には意外な質問でしたが、私の文化はまだ当時は特別だったのかもしれません。
しかし人を名前で呼ぶのは当然です。
私は大学教授であろうと医師であろうと「先生」とは呼ばずに「さん」付けで呼びますが、それは私にとっては相手に敬意を表わすためなのです。
私も時に「先生」と呼ばれることがありますが、あまりいい気持ちはしません。
それで必ず「先生」ではなく「佐藤さん」です、とさえぎるのですが、どうしても直らない人がいます。
それはそれで仕方がありませんが、やはり人は「名前」で呼ぶべきだろうと思っています。
それが「私の常識」です。
ところがそうした「私の常識」は、現在の社会では時に異端のようです。
呼び方くらいはいいですが、他にもそうした今様ではない「私の常識」に、もしかしたら節子は苦労したのかもしれません。
節子が私と同調してきたのは、たぶん結婚してから20年くらい経ってからです。
それまでは苦労させたのかもしれません。
それが病気の原因でなければいいのですが。
今の時代は、すなおに常識的に平凡に生きることが難しいのかもしれません。
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