■再発抑止力
福島原発事故で東電に巨額の損失が生じたのは、経営陣が地震や津波の安全対策を怠ってきたためだとして、株主らが東電に対し、歴代の経営陣に損害賠償請求訴訟を起こすよう求める書面を提出するという報道がありました。
提出後、60日以内に東電が提訴しない場合、株主代表訴訟を東京地裁に起こすそうです。
その請求額は1兆円を超えるようです。
訴訟対象者はたしか60人前後と報道されていましたが、もしその記憶が正しければ、一人当たり200億円近くになります。
歴代の経営者も対象にするというところに大きな意味があるように思います。
福岡市元職員の飲酒運転事故の裁判で、最高裁は上告を棄却し、懲役20年の判決が確定しました。
危険運転致死傷罪として認定されたわけです。
2つの報道を見て、「再発抑止力」という言葉を思い出しました。
後者でいえば、危険運転致死傷罪が認められたのはよかったです。
私にはあまりにも当然のことで、そんなことが論点になること自体に問題を感じます。
この国では、多くの人たちが飲酒運転を本気でなくそうとは思っていません。
飲酒運転を起こしても運転免許さえとりあげない制度に、それは現れています。
事故を起こそうが起こすまいが、飲酒運転が発覚したら、運転免許を永久に取り上げることにしていたら、たぶんこの事件は起きず、若い被告も人生を無駄にすることはなかったでしょう。
なぜ飲酒運転への厳しい目が育たないかといえば、多くの人が時に飲酒運転をしているからではないかと思います。
産業界の働きかけも大きいかもしれません。
その文化を変えない限り、危険運転致死傷事件はなくならないように思います。
最近、マレイシアへの麻薬持込で死刑判決を受けた日本人女性がいます。
死刑は重過ぎるとついつい思いがちですが、麻薬に対する覚悟を感じます。
飲酒運転に対してもそれくらいの本気を期待したいです。
この判決は飲酒運転への抑止力になるでしょうか。
ならないでしょう。
裁判で争われること自体に、飲酒運転をなくそうという本気が伝わってこないからです。
被告は、運の悪い犠牲者で終わってしまいかねません。
東電の経営者はどうでしょうか。
運の悪い犠牲者なのでしょうか。
そうしてはならない、と私は思います。
もしこれが認められれば、原発運転再開にも大きな影響を与えることになるでしょう。
万一事故が起これば、自分の訴訟の対象になると思えば、これまでのように安直に原発を認めたりはしなくなるでしょう。
電力会社の役員にさえ、なりたがらないかもしれません。
そのことの意味はとても大きいように思います。
しかし多くの人は堂思うでしょうか。
東電の役員に同情する人のほうが多いような気がします。
つまり私たちは、まだ本気で原発のことを理解していないのです。
原発は不安だけれど電力不足は困るなどと思っている人が多いのです。
あるいは東電の役員も原発の危険性を知らなかったのだと思っている人もいるかもしれません。
とんでもありません。
彼らは原発の危険性や使用済燃料の問題、自己の発生確率のことなど、十分に知ることのできる立場にいたのです。
なぜそう思うかといえば、そんなことは少なくとも40年前から言われていたことだからです。
責任がないなどと同情する必要はまったくありません。
企業の経営者になるということは、そういうことです。
抑止力を持つのは、裁判の結果ではありません。
世論であり、社会の雰囲気です。
一部の不幸な一人をスケープゴートにするのではなく、文化を変えなければいけません。
飲酒運転したら永久に自動車は運転できなくなる。
経営者として未必の故意をもった惨事を起こした場合は無限責任を追う。
それくらいの文化は。少なくとも必須なのではないかと思います。
いうまでもありませんが、東電の大口株主もまた、応分の責任を負っています。
原発は安全だといっていた技術者は自らを総括すべきです。
原発に賛成してきた株主の責任も見逃すわけには行きません。
抑止力が働いて、巨額な資金調達を不可能にすれば、原発はつくられることはありません。
日本は、原発技術を輸出しようとしています。
それにも今回の動きは抑止力になってほしいと思います。
輸出国で原発事故が起きたら、どうやって責任を取れるというのでしょうか。
考えただけでもおそろしい話です。
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