■節子への挽歌1537:黒岩さんの一周忌
節子
今日は黒岩比佐子さんの一周忌です。
先日、彼女を偲ぶ会がありましたが、私は参加しませんでした。
黒岩さんから衝撃的なメールが来たのは2009年の12月16日でした。
声が出ませんでした。
メールを書こうか、やめようかとずいぶん迷いましたが、最後のメールは2010年の10月10日でした。
お知らせしないのも……と思って書くことにしました。
実は、12月1日から今日(12/15)まで、東大病院にずっと入院していました。
11月に膵臓がんが見つかり、肝臓にも転移している状態で、入院中から抗がん剤治療を始めました。
(中略)
まさか、このような事態になるとは予想もしていなかったので、
自分自身がまだ受けとめられずにいます。
(中略)」
節子さんのこともありましたし、私の周囲の人たちも、ほとんどががんで亡くなっています。
でも、実際に自分ががん患者になってみると、人生観が変わるほどのショックです。
突然、このようなメールをお送りして、驚かせてしまい申し訳ありません。
どうかくれぐれもご自愛ください。
彼女の最後の作品になった「パンとペン」を私のホームページで紹介したのを知ってのメールでした
HPのほうにも書いていただき、うれしかったです。その講演会が黒岩さんと話した最後でした。
節子さんが生きていらっしゃったら、きっと笑顔で言葉をかけてくださったことでしょう。あとがきに書いたように、堺利彦の孫娘である近藤千浪さんも、節子さんのように素晴らしい人でした。
それが、なんの前触れもなく、心不全で6月に急逝されてしまい、いうべき言葉もありませんでした。
人の生死については、かなり考えて、自分なりに悟りを開くことができたようです。
講演会にも来てくださるとのこと、お会いできるのを楽しみにしています。
節子は黒岩さんの将来の活躍をとても楽しみにしていました。
今頃は彼岸で会っているかもしれません。
今朝は、節子の位牌に向かって、2人に話しかけました。
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