■節子への挽歌1566:「I'm sorry 」「Thank you」「I love you」
今日は録画しておいたNHKアーカイブスの五木寛之の仏教への旅を見ていました。pattiさんは数か月前に伴侶を亡くされました。
その中のアメリカの禅寺の住職の言葉ー
仏教をシンプルに伝えるとしたらとの質問に答えたのは
「I'm sorry 」「Thank you」「I love you」であると。
なんと、私が泣いても泣いていなくても毎日毎日彼に伝えていることではないか!と絶句しました。
この明瞭な言葉にあらゆる思いが内包されています。
ああ、そうなのだとまた泣きました。
以前にもコメントを書いてくださいました。
今回も、この文の前にこう書かれています。
彼が旅立ってから5ヶ月近く、初めて一人で迎えるこの季節、そして彼の不在を実感する生活を重ねてきことで、今回のコメントもとても長く、私も繰り返し読ませてもらいました。
不安定な気持ちに陥ってしまったようです。
今になって声を上げて泣いてしまうことが多くなりました。
「やっぱり、あなたがいないこの世はさみしい!」と。
でも、この状態が私の日常になったのだとやっと受け入れました。
「仏教への旅」のテレビは、黒岩比佐子さんも関わっていたので、私も観ました。
しかし、「I'm sorry 」「Thank you」「I love you」のことは記憶に残っていませんでした。
pattiさんと同じように、節子への思いのすべてが、そこに包まれていると気づきました。
pattiさんのコメントを読んだ時には、しかし、そこまででした。
そして今朝、いつものように節子の位牌に向かってロウソクの火をつけながら、節子に話しかけていて、気づいたのです。
私の口から出ていたのは、まさにこの3つの言葉だったのです。
pattiさんと一緒ではないか!
改めてpattiさんのコメントを読み直しました。
DVDで「仏教の旅」も見直そうと思います。
他者や事物に対する私の姿勢も、この3つです。
慈しみと愛。
これは私の本業でもある「経営コンサルティング」の基本に置いている経営観でもあります。
そうした生き方を、節子が一番よく理解してくれていました。
最近でこそ理解者はいますが、以前はよく笑われたものです。
しかし理解者がいると、人は安心して、ぶれなくても生きられます。
節子はいつも私をエンパワーしてくれていたのです。
節子のおかげで、私も仏教の真髄に少し近づけているのかもしれません。
改めて、
節子、ありがとう。ずっと一緒にいられなくてごめんね、ずっと愛しているよ。
| 固定リンク
「妻への挽歌08」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌1600:「節子がいる私」と「節子のいない私」(2012.01.20)
- ■節子への挽歌1599:苦労こそが人を幸せにする(2012.01.18)
- ■節子への挽歌1598:青空(2012.01.17)
- ■節子への挽歌1597:家族と夫婦(2012.01.16)
コメント