« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2011年12月

2011/12/31

■節子への挽歌1581:非日常的日常

節子
今年最後の挽歌です。

節子のいない年越しも、これで5回目になります。
よくまあ元気で生き長らえていると不思議な気持ちになることもあります。
節子がいなくなったら、私も生きる気力を失い、たぶん後を追うように逝くかもしれないと思っていましたから。
にもかかわらず、もう5回目の年越しです。

節子のいない生活にも順応できているように見えるでしょう。
外部から見たら、私もいまでは元気になり、普通の生活を過ごしているように見えるはずです。
しかし、40年も一緒に暮らしてきた妻のいない暮らしは、決して「日常」にはなりません。
順応はできたかもしれませんが、決して慣れることはありません。
朝、位牌に向かって、般若心経を唱え、節子に話しかけるのは日常化しましたが、しかしなぜ節子はいないのだろうかという疑問は決して消えることはありません。
そして節子のことを思った途端に、胸が痛み、涙が出ます。
これは未来永劫消えないことでしょう。
それもまた、日常化してしまったのです。
まさに、日常にして日常に非ず、非日常にして非日常に非ず、なのです。
それは、なかなか説明ができないほどに、不思議な世界でもあります。

そうした「非日常的日常」のなかでは、人は自然と「哲学的」に、あるいは「思索的」になります。
ホームページに書いたことですが、私の世界はこの数年で大きく変わってしまいました。
私自身はたぶんほとんど変わっていないと思うのですが、私とは「私とその環境」と考えれば、私は大きく変わってしまっているわけです。
自分で言うのもおかしいですが、その変わりようは、自分でも驚くほどです。
節子がいた頃の私とは、全く別人の私がいるわけです。

「哲学的」あるいは「思索的」というわりには、いまも相変わらず、感情的、情緒的、刹那的に行動しています。
しかし、2つの世界を生きていると、さまざまな思いがめぐってきます。
時間感覚も大きく変わってきますし、第一、見えないものが見えるようになるのです。
もちろん見えるものも見えなくなってしまうこともあるわけですが。
そして、論理もまた跳んでしまうのです。
たとえば、節子の目線を感ずることがあります。
そこにいない現実とそこに感ずる現実をどう辻褄をあわせればいいでしょうか。
そいて、哲学的、思索的になっていくわけです。

今日は節子がいなくなってから、1581日目です。
よくぞここまで挫けずに来られたものです。
娘たちのおかげだと思っていますが、それが良かったかどうかはまた全く違う話です。
これもまた「非日常的日常」、あるいは「非常識的常識」なのです。

節子、そろそろまた新しい年が始まります。
おまえがいないので、新年を迎える感激はありませんが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■今年はいろいろありすぎました

今年はいろんなことが見えてきた年でした。
見たくはなかったことが少なくありませんが。

しかし、人は、見たくないものは見ようとしません。
いや見たくない人には見えないのかもしれません。
私が見ている世界と、多くの人が見ている世界は、明らかに違います。
私の不幸は、見たくなかったものまで見てしまうことです。
ことさら見えてくるわけではありませんが、私の場合、常識の呪縛が少ないのです。
自分には常識がないと思うことは少なくありませんが、その反面、常識がさえぎっていたものが垣間見えてしまうこともあるのです。
それが時には未来だったりすることもあるのです。
私が昔書いた小論は、たぶん今でならもう少し理解者が多かったはずです。
私の時間感覚は、いささかずれているのかもしれません。

このブログを書き出した頃は、まだ予感が予感のままでした。
しかし今は多くの予感が現実になってきたような気がします。
現実になってしまえば、時評などは繰言でしかありません。
最近のこのブログは、繰言でしかなくなっているような気がします。
繰言に付き合ってくださった皆様にはお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

しかしこれから世界はどうなっていくのでしょうか。
流れは、反転するのか、加速するのか。
10年前なら、自分の考えに確信が持てましたが、最近は迷うばかりです。
言い換えれば、以前のようには、先が見えなくなってしまってきたのです。
常識に呪縛されたのか、知識によって無能化されたのか、気が萎えたのか。

確信を持てるのは、きれいな言葉の流行とは裏腹な現実が、世界を覆いだすだろうということです。
私にとっては、ますます生きにくい時代がやってくるような気がします。
その生きにくさをやわらげるために、来年も繰言にしかならない時評を続けるつもりです。
ますます退屈な記事になりそうですが、気が向いたらお読みください。
そして気が向いたら、湯島に話に来てください。
私は、本当は書くよりも話すことが好きなのです。
それに湯島には、時に美味しいコーヒーがありますし。

みなさまにとって、新しい年が、悪い年ではありませんように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1580:元気のお裾分けができるようになりました

節子
今年も間もなく終わります。
一応、年越しの準備はほぼ終わりました。
節子もジュンもいないので、ユカと2人で大奮闘です。

昨年はユカが急性肺炎で大変でしたが、今年はユカが頑張ってくれました。
いま正月のお煮しめとおなますをつくっています。
節子がいた頃の雰囲気が少しだけですが、戻ってきた感じです。

先ほど、ジュンたちも来たので、みんなでお墓にも行ってきました。
メンバーは違うものの、久しぶりになんとなくわが家らしくなってきました。

今年はいろいろありました。
節子がもし元気だったら、たぶん私たちの生き方は大きく変わっていたと思いますが、節子がいないために私はただおろおろするだけで、何もできずに終わりました。
夏くらいまでは、私自身の気分もどんよりしていましたが、秋に入る頃から雲が晴れたような気分になれました。
年初考えていたことは、ほとんど何もできずに、あまり充実感のない年ではありましたが、
年末には、「おさむに会うと元気で年越しできる」と幼馴染におだてられたり、「佐藤さんのおかげで今年はいい年になった」などと友人におだてられたりするようになりました。
私も他の人に元気をお裾分けできるほどの元気がたまってきたのかもしれません。
少しは誰かの役に立てているのかもしれません。
メールや手紙ももらいました。
うれしいことです。

この挽歌のおかげで出会えた人も何人かいます。
メールだけのお付き合いもあれば、直接に会いに来てくださった方もいます。
挽歌を書いていて、それが一番うれしいことです。
節子の引き合わせだろうと確信しています。

風邪も引かず、元気に年が越せそうです。
守ってくれてありがとう。
すべては節子のおかげです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011/12/29

■節子への挽歌1579:わが家の一番の料理は節子

節子
今日は、夜になって娘が正月料理の買出しに行くというので付き合いました。

私の両親と一緒だった頃の正月は家族みんなで準備をしたものです。
お客様のためもあって、量も多かったので、私も買出しによく付き合わされました。
大晦日は、除夜の鐘がなるころまで、母も節子も料理に取り組んでいました。
正月の食卓は、まさにハレの場でした。
両親が亡くなってからは、わが家だけの正月になりましたが、それでも節子が中心だった時は、さまざまな料理が用意され、賑やかな食卓でした。

そんな記憶から、一人ではとても持ちきれないほどの買物なのだろうと思って、娘に付き合ったわけです。
ところが、娘の買ったものといえば、なんと買い物かごひとつ分だけなのです。
しかも、メインディッシュになるようなものもありません。
おせちも簡素化され、いつも残ってしまう黒豆などは買わないことになりました。
数の子にしても、娘が吟味していたので、何を吟味しているかと思ったら高すぎるので、というのです。
いやはや予想以上に節約家です。

そういえば、節子がいなくなってから、わが家の正月の食卓は、ハレの食卓というよりも、普段より質素な食卓になってきたような気もします。
いつもと違うのは、おなますくらいでしょうか。
おなますとお煮しめは、私が食べるので、娘がつくってくれます。
こうして伝統文化は失われていくのでしょうね。
節子は伝統を楽しむタイプでしたが、娘にはあんまりその気はないのです。
私も、食事に関しては、好きなものを食べ、無駄はしないというタイプです。
どんなご馳走よりも、美味しいご飯にお味噌汁とお漬物と、少し欲をいえば、新鮮な果物があれば、もう満足なのです。
着飾ったお正月料理は、あまり好きではありません。

それに、節子がいなくなってからの食卓は、どんなに豪華な料理が並んでも、実は決してハレの場にはならないのです。
食事は、料理と一緒に楽しむメンバーによって決まってきます。
私にとっても、たぶん娘にとっても、もはや正月の食卓は、ハレの食卓ではなくなってしまったのです。
わが家の正月の食卓を楽しいものにしていたのは、料理ではなく節子の演出であり、節子の存在そのものだったのです。
娘と買い物に行って、そのことを思い知らされました。

節子と一緒に食材の買い物に行っていた頃が思い出されます。
その時の節子は、とても楽しそうでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/28

■民主党から離党者が出てホッとしています

やっと民主党から9人の離党者が出ました。
これだけマニフェストが無視されたら、心ある民主党員はみんな離党すべきだと思いますし、そういう動きがあれば、政府も変わらざるを得ないはずです。
前々回の選挙で私は民主党に投票しましたが、正確には「民主党」ではなく、「民主党のマニフェスト」に投票したのです。
ですから今の民主党は、私が投票した民主党ではありません。
まあ民主党を名乗る偽者でしかありません。
ですから心ある民主党員はなぜ離党しないのか、不思議でなりませんでした。
みんな本気でマニフェストを語っていたわけではないのでしょうか。
そう思っていましたから、9人の離党者が出たのでホッとしました。

しかし離党者に対するテレビの扱いはかなり意地悪なものです。
私が知ったのは今日のお昼のテレビの「ひるおび」でしたが、そこに出演していた中後淳議員への司会者やコメンテーター的な人たちの姿勢はかなり冷ややかでした。
与党を離党して、あなたたちに何ができるのですか、無責任でないですか、と言わんばかりです(そう言っていた人もいました)。
組織に隷属している人たちばかりだから仕方ないのでしょうが、もう少しあったかい目線で、その主張に謙虚に耳を傾け、なぜ離党せざるを得なかったのかをわかりやすく可視化してほしかったです。
特に司会者の態度は不快でした。

政治評論家の田崎さんは、マニフェスト政治は終わったと言っていましたが、では何が始まるのかが問題です。
代議制民主主義の場合、選び方は2つあります。
人を選ぶか、公約(マニフェスト)を選ぶか、です。
昨今の選挙制度は明らかに、人ではなく公約を選ぶ仕組みになっています。
二大政党制というのはそういうことです。
その公約が裏切られるのであれば、それは普通の世界では「詐欺」といえます。
にもかかわらず野田首相は詐欺師とは言われません。
その理由が私にはわかりません。

前にも書きましたが、私の数少ない信条のひとつは「嘘をつかない」です。
嘘も方便の嘘はともかく、マニフェストを変えるのであれば、やはり民意を問うべきでしょう。
そう思います。
私の感覚では、離党したほうにこそ、民主党の名前を冠したいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■耳のないどじょう

日本の危機管理関係の人事が話題になっていますが、それに関して、金正日の急死を予想される北朝鮮の放送があった後、野田首相も街頭演説をしていたという話をテレビで知りました。
今もって街頭演説などしているのでしょうか。
私の聞き違いかもしれませんが、首相になったのですから、もう売名行為でしかない街頭演説はやめてほしいものです。
野田さんが首相になった時に、毎日、近くの駅で演説をしていたことが好意的に報道されていましたが、私には呆れた話でした。
街頭演説で民意がわかるという人もいますが、わかるはずはありません。
民意を開きたいならもっとしっかりと聴く場や仕組みをつくるべきです。
それに政治家に成り立てであればともかく、少なくとも政治家を4年以上やったのであれば、話すよりも聴く姿勢に変えるべきではないかと思います。
もっとも駅立ちなどの街頭演説は「話す」にもあたらず、単に売名行為です。
そもそも見る人はいても、きちんと聴く人などいないのです。
通りがけに耳に入ったとしても、意味ある話しが伝わるわけではありません。
私は駅立ちで演説する政治家には、そんな暇があったら少しは勉強しろといいたいです。
自治体の選挙に少しだけ関わった経験からも、確信を持って、そういえます。
そもそも「危機管理」や「問題解決」は、事実や実態に素直に直面し、当事者や関係者の思いに素直に耳を傾けることからはじまります。
それがおろそかになっていることが、今回のことで露呈されたわけです。

どじょうには耳がないから、仕方がないといっている人もいるようですが、野田さんはそうしたことを含意して、自らをどじょうと称したのかもしれません。
真実はそういうところに出るものです。

どじょう鍋にして、どなたか食べてもらいたいと思っていますが、なぜか日本の政治は動きがないです。
マスコミも、いろんなことをはやし立てますが、みんな腰砕けです。
わけのわからないままに、政治が動いている、そんな感じがしてなりません。
政治とどう付き合えばいいのか、最近はどうもわからなくなっています。
付き合い方がわからないと、時評も書けません。
困ったものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1578:「よい一日」

先日、小池龍之介さんの本を数冊読んだのですが、その勢いでスマナサーラさんの「悩みと縁のない生き方」という「日々是好日」経の本を読みました。
いずれもどうも馴染めない人なのですが、私の読み違えかもしれないと思い、読むことにしたのです。
節子もよく知っている通り、私は思い込みが強いですので。

書き出しはこうでした。 

「『今日はよい一日でした』と言えるように、毎日、過ごすことはできますか?」まず、私はネなさんに、そうお尋ねしたいと思います。
これは自分が「仏教の勧める生き方」をしているか杏かを知ることのできる、基本均な質問(自問)です。
まさに節子の生き方でした。
もしかしたら波長が合うかもしれないと思い、一気に読みました。
しかしやはり違っていました。
スマナサーラさんは、過去も未来もない、あるのはただ「今」だけだというのです。
過去や未来への煩悩でいまこの瞬間が見えなくなっているというわけです。
たしかにそうかもしれません。
小池さんの著書と同じく、頭では理解できますが、やはりどこかに違和感が残ります。
あえていえば、大切なことを忘れているような気がするのです。
いまこの瞬間を通して、実は過去も未来もつながっているのだということを。

節子は毎晩、寝る前にお祈りをしながら、今日もよい一日だったと感謝していました。
そして、明日もまたよい一日になりますようにと祈っていました。
いつの間にか、私もまたそう思うようになりました。
節子は、瞬間瞬間を大事に生きるようになりました。
しかし、だからと言って、過去や未来への思いを捨てたわけではありません。
煩悩と言ってしまえばそれまでですが、節子にとって、過去もまた現在、未来もまた現在だったのです。
真剣に祈るならば、時間はほとんど意識しなくなります。
そして、過去も未来も含めて、すべてをいい瞬間にしたいと、節子は思っていたような気がします。
今がよければ、未来もよくなるし、過去がよければ今もいいのです。
人やいのちのつながりと同じように、時のつながりに気づけば、今も過去も未来も、同じものだと気づくでしょう。

節子は、間違いなく、自分がいなくなった後の私を見ていました。
そしてそれも含めて、毎日をよい一日にしようとしていたのです。
一方、私は過去も未来も見えなくなり、いま目の前で闘病している節子しか見えなくなっていたように思います。
だからたぶん「大きな過ち」を犯したのです。
「いま」という時を理解できていなかったのです。
節子ほどには、真剣に生きていなかったのです。
節子と私のこの時間意識の違いを、節子は多分感じていたでしょう。
なんとなくそう思います。
時を越えてしまえば、もしかしたらそんな違いは瑣末なことかもしれません。
節子は、ある時から、すべてをゆるしていたのです。
ずっと近くにいて、そう確信しています。
だから節子は一言たりとも繰言は言いませんでした。

「よい一日」
その深い意味に、まだ私は届いていませんが、節子のおかげで少しだけ垣間見えるような気がしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/27

■健全な老化は健康の証拠

フェイスブックに次のようなことを書きました。

昨夜は小学校時代の悪がきたちと忘年会でしたが、相変わらずまた病気の話になりそうでした。そこで、最近私が気にいっている「健全な老化」論を持ち出しました。それに従えば、高齢者に伴う心身の問題は、ほとんどが「健全な老化」現象で、つまりは「病気」ではなく「健康の証拠」なのです。その言葉のおかげで、病気論を健康論に変える事ができました。これからどんな「健全な老化」が展開されるか楽しみです。
この書き込みにいろんな反応がありました。
なんと半日のうちに、30人近い人が「いいね」マークを押し、コメントも10件を超えました。
それで気をよくして、このブログにも書くことにしました。
最近、あまり「ブログねた」がないものですから。

イリイチは脱病院化社会を書き、現代の病気の本質を暴きだしましたが、「病原病」のウィルスはますます猛威をふるっています。
いまやほとんどの人は、病院に行きさえすれば、何らかの「病気」と診断されるでしょう。
様々な機関や人が、健康の定義をしていますが、「健康」ほど恣意的なものはありません。
家畜の健康ならいざ知らず、主体的に生きている人間の健康などというのは、本来、定義されるべきものでも、定義できるものでもありません。
健康を定義しようと、もし本気で考えている人がいたら、人間と言うものが全くわかっていない、異常なほどに不健全な病人でしょう。

健康の定義は、見事なほどに「産業」や「経済」とつながっています。
メタボ検診などという、余計なお世話が横行していますが、基準をちょっと変えるだけで、健康と非健康の差は変えられます。
そんなものに一喜一憂する、家畜のような存在にはなりたくありません。

加齢と共に、心身の機能的な衰えが起こるのは当然です。
それこそが、人間の価値です。
その速度や変化の仕方は、人によって違います。
標準などはあろうはずもないのです.
加齢による老化は、まさに健全な現象なのです。
と考えれば、健全な老化とは「健康の証拠」とさえいえるわけです。
そう考えれば、病気観は一変します。

老化だけではありません。
もし生命現象の多様性を素直に受け容れれば、風邪さえもが健康の証拠とも受け止められるのです。
人生観も変わってきます。

私は今、認知症予防の問題にささやかに関わっていますが、仲間たちにはいつもこう話しています。
「認知症は予防ではなく、健全な老化の一種ではないか」と。
認知症だって恐れることなどないのです。
問題は、認知症にしろ風邪にしろ、ちょっと心身に機能障害が発生すると、みんなが病気だと思うことです。
ほんとうに住みにくい社会になったものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1577:中掃除

昨日は湯島の小掃除でしたが、今日はわが家の寝室の大掃除でした。
寝室は節子の部屋でもありました。
節子の物がたくさんあるのです。
ですからあんまり片付けはしておらず、節子がいた頃のままのものがかなりあるのです。
それをかなり思い切って捨てることにしました。

実にいろんなものが出てきました。
節子はコーラスグループに入っていましたので、楽譜や録音されたテープ、DVDもたくさん出てきました。
発表会にはほぼ毎回私も聴きに行きましたので、楽譜にも懐かしさがあります。
そのなかからいくつかの譜面とテープとDVDを残して、あとは処分することにしました。
新聞や雑誌の切り抜きもいろいろと出てきました。
何でこんなものを残していたのだろうかと言うのもありましたが、節子らしいものもありました。
遺されたものを見ると、その人の世界が良く見えるものです。

捨てられなかったのは手紙類です。
闘病中の節子を元気づける手紙や訃報を聞いての手紙がたくさん出てきました。
箱や引き出しに私が詰め込んでおいたものも多いのですが、やはりそれはそう簡単には捨てられません。
残しておいても、私以外の人が読むことはないのはよくわかっているのですが、まだ捨てる気にはなれないのです。

そうした手紙に混じって、節子の指導で私がエプロンをして車海老を揚げている写真が出てきました。
節子が病気になった後、私に生活力をつけるために料理を教えてくれている時の写真です。
しかし節子のその企ては残念ながら成功しませんでした。
私は今も生活力があまりないのです。

さらに、家族みんなで書いた「節子復活カード」なるものが出てきました。
わが家は、家族の誰かにいろんな「御守カード」を送る習慣があるのですが、こんなカードを作ったことはすっかり忘れていました。
節子はどこかの御守と一緒に、それを大事にしまっていたのです。

生前、節子が愛用していた携帯用ルーペも出てきました。
これは私が譲り受けることにしました。

というわけで、大掃除のつもりが、やはりあまり捨てられずに、中掃除になってしまいました。
それにいろんな節子に出会ってしまったので、掃除をする気分は消えてしまいました。
こうやってわが家の掃除はなかなか進まないのです。
困ったものです。
節子に手伝いに来てほしいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/26

■節子への挽歌1576:小掃除

節子
今日は湯島のオフィスの大掃除をしようと思って出かけてきました。
考えてみると、節子が湯島に来なくなって以来の掃除のような気がします。
5年ぶりでしょうか。
まあ時々は小掃除をしてはいるのですが、せっかく節子が最後にきれいにしてくれた床のカーペットもだいぶ汚れてしまいました。
きれいに改装されたカーペットは節子は見ることはありませんでしたが。
節子が元気だあったら、壁紙も張り替え、ペンキも塗る予定でした。
ペンキの缶が残っていましたが、私一人でやる気もでないので廃棄しました。
しかし掃除をすると、節子の思い出の品が出てくるので、なかなか進みません。

まずは一番目立つガラス拭きからすることにしました。
一人でやっているとなんだか虚しいものです。
寒いのでまあほどほどにしました。
室内に掃除機を駆け出しましたが、古い掃除機のせいかパワーダウンしています。
うまく行かないのでやめました。

まあ大きな物だけ片付けて終わることにしました。
なにしろいまは先日のフォーラムで使った認知所予防ゲームの道具が大きなダンボールなどにつまって片付け場もなく置いてあるのです。
それを運ぶ台車まであります。
それに最近はこのオフィスを使いたいという人がスクリーンまで持ち込んでいます。
だんだん私の居場所がまたなくなりかねません。
困ったものです。

幸いに、大掃除が遅れたので、来客が来る時間になってしまいました。
これ幸いに、今年もまた小掃除で終わることにしました。
正月休みにでも、節子がやってきて片付けてくれているといいのですが。
それにしても、節子がいなくなったおかげで、どれだけ節子のおかげで私が快適な生活をしていたかがよくわかります。
改めて感謝することの多い毎日です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/25

■節子への挽歌1575:嘆き悲しむことで、穏やかな気持ちになれる

節子
鈴木さんに勧められて、小池龍之介さんの「考えない練習」を読みました。
面白かったのですが、やはり心に響きません。
体験の違いかもしれないと最近思えるようになりました。

たとえばこんな文章があります。
ちょっと長いですが、引用させてもらいます。

親族が亡くなった時に、いつまでも嘆き悲しんでいるのは、亡くなった方を思うゆえと思われるかもしれません。けれど、いつまでも泣き続けることは、相手に起因する苦痛をいつまでも感じ続けているということであって、その「負」の波動をずっと発散し続けているわけですから、自分にとっても良くありません。
また、相手のことを思っているつもりで実際は相手ゆえに自分がネガティブになっているわけですから、亡くなった方のためにもなっていません。
 (中略)
亡くなってしまった方の供養に際して大切なことは、嘆くことではなく、慈しみの心を持つことです。
相手のことを本当に思うなら、慈悲の瞑想で「亡くなった方が穏やかであるように」と念じることのほうが有益なのです。
亡くなった方が安らかでありますように、とひたすら念じ続けていると、穏やかな気持ちになってきます。ところが悲しいという感情に心が侵されていると、心が怒っているので苦が生じ、身体も蝕まれていきます。
反論があるわけではありません。
むしろ理解はできるのです。
しかし、どうもぴんときません。
少なくとも私の感覚とは全く違うのです。

どこが違うのか。
「泣き続ける」とか「嘆き悲しむ」というのは、決してネガティブな感じではないのです。
そして、それらの行為と「穏やかな気持ち」とは矛盾もしません。
つまり、「泣き続ける」「嘆き悲しむ」「穏やかな気持ち」、そして「慈しみの心を持つ」ことは、少なくとも私の場合は重なっています。
泣き続け、嘆き悲しむことで、慈しみの心も育まれ、穏やかな気持ちになることもあるのです。
これは愛するものをなくしたからこそ、確信できることでもあります。

「悲しいという感情に心が侵されていると、心が怒っているので苦が生じ、身体も蝕まれていきます」というのも、以前ならそうだろうなと思ったことでしょう。
ただいまは違います。
「悲しいという感情に心が侵されている」のではなく、「悲しいという感情に心が満たされている」と捉えると全く別の受け止め方ができます。
他者の悲しみも素直に受け容れられて、心身が素直に反応するようになるのです。

本当に人を愛し、その人との別れを体験すれば、たぶんわかることでしょう。
たぶん小池さんは、自分ではその体験をしていないような気がします。
もし体験していたら、こんな「乾いた」物言いはしないでしょう。
しかし、だから小池さんが間違っているとはまったく思いません。
ただ今の私にはぴんとこないだけで、時と状況が違えばきっとぴんと来ることでしょう。

悲しみや愛を、軽々に一般論で語るべきではないのではないかと、私は思います。
それは一人ひとりが直接出会って、乗り越えていくべきことのように思うのです。
そして、一人ひとり、それぞれに違った表情を持っているのです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011/12/24

■節子への挽歌1574:節子への手紙

節子
岡山の友澤さんから手紙とケーキが届きました。
友澤さんはお元気そうでした。
先日、福岡の松尾さんとお会いになったそうで、お2人で撮った写真が同封されていました。
松尾さんもお元気そうでした。

友澤さんも松尾さんも、節子と一緒にヨーロッパに旅行した仲間ですね。
松尾さんとはその時の写真を見ながら話しが弾んだようです。
私も何回かお会いしていますが、みんな節子のことが大好きでした。
わが家にまで足を運んでくださいました。

ヨーロッパに一緒に旅行に行ったもう一人の仲間が先日、この挽歌でも書いたNさんです。
名前を書いてもいいでしょう。
野路さんです。
4人は仲の良い仲間で、国内の旅行も一緒に何回か行っています
その4人も、それぞれにいろんな事情を抱える歳になっています。
友澤さんが、そう書いているのです。

節子宛の手紙も入っていました。

節子さま
ご無沙汰してごめんなさい。
此岸では、いろいろ大変です。
野路さまのこと、守ってあげて下さい。
節子
私のように毎日、拝んでいますか。
まさか、私に拝まれているだけではないでしょうね。
彼岸は平和でしょうが、此岸ではいろんなことが起こります。
彼岸の平安をぜひ祈ってください。

最近の社会はかなり壊れてきているようで、私もそれなりに疲れを感じます。
私も早く彼岸に行って、節子と一緒に平安な世界を楽しみたいものです。

今夜はクリスマスイブ。
娘がケーキを買ってきてくれました。
クリスマスプレゼントはありませんでしたが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1573:節子の遺品

トイレ掃除に続いて、キチンの掃除も手伝いました。
掃除ついでに食器の整理もしました
いかにもという食器なども出てきます。

食器ではないのですが、立派な木製のローラー棒が出てきました。
一度も使った形跡がありませんが、これには見覚えがあります。
夫婦でイランに旅行した時に、たしかイマーム市場の出口のお店で節子が購入したのです。
なぜ覚えているかといえば、バスの集合時間だったので急いでバスに向かう途中のお店に展示されていた何かが気になっていたようで、一度、通り過ぎてから節子が未練ありそうに振り返ったのです。
それで迷ったら買ったらいいと言ったのですが、その言葉で節子が戻って買ってきたのが、なんと木の棒だったのです。
何に使うのかわかりませんでしたが、節子はこんなのが欲しかったのよと話していました。
なんとかバスには間に合いましたが、あわただしい買物だったのではっきりと覚えているのです。
そういえば、その後、その棒にお目にかかったことはありませんでした。
食器の奥深くに、使われることなく保管されていたというわけです。
節子はいつか使うつもりだったのでしょうか。

実は、そういうものが少なからずあるのです。
不思議なものを買うのが好きだったのです。

萩焼の立派な湯飲み茶碗も夫婦セットで出てきました。
まあ私の趣味ではないので(私は食器はシンプルなものが好きなのです)、節子は使わなかったのでしょうか、処分したくてもいささかしにくいので、また保管されていた場所に戻ってしまいました。

節子は陶器が好きでした。
そういえば、昔はよく付き合わされたものです。
そのくせ、毎日の食器はスーパーで買える安いものを使っていました。
私も同じで、いまもスーパーで買ったシンプルな食器を使っています。
しかし気にいるものを見つけるまでに半年はかかりましたが。
私と節子の価値観は、とても似ていたなあと改めて思います。
おかしなところに、おかしなこだわりがあったのです。
私は、節子のそんなところがとても好きでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1572:トイレ掃除

節子
大掃除が始まりました。
今日の私の担当はトイレでした。
それで思い出しましたが、10年ほど前に、わが家のトイレ掃除は私が担当すると宣言しました。
当時、トイレ掃除で有名な鍵山秀三郎と交流があり、その少し前に鍵山さんと一緒に仲間で箱根湯本の公衆トイレの掃除をやったことがありました。
私は感化されやすいタイプなので、その影響を受けて、トイレ掃除担当宣言をしたわけです。
節子は、「はい」ではなく、「はいはい」と聞いていました。
宣言は家庭内だけではなく、オープンサロンでもみんなの前で公言しましたが、参加していた鍵山さんのそうじ塾にも参加していた三浦さんが、続けないとダメですよと、釘をさしたのを覚えています。
三浦さんに見透かされていたように、私のトイレ掃除は、毎週という宣言が毎月になり、そのうちに、気が向いた時になり、結局、いつのまにかやらなくなってしまいました。
まあ節子もそれに関しては、一言も何も言いませんでしたので、最初から壮なる事はわかっていたのでしょう。
節子がいなくなってから、改めて掃除宣言をしましたが、やはり持続できずに、むすめたちに迷惑をかけています。

そんなわけで久しぶりのトイレ掃除でした。
まあほどほどに満足できるところまでやりましたが、鍵山さんにチェックしてもらったら、いろいろと指摘されそうです。
しかしまあ節子の文化の家ですから、この程度で十分でしょう。
実は節子も掃除があまり得手ではなかったのです。
その証拠に、いまもたくさんの不要なものが残っています。
困ったものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■働くということの多義性

高齢社会の中では、高齢者にも働いてもらわないと年金制度も維持できないという発想から、高齢者にどう働いてもらうかが、議論されだしています。
その発想に私は違和感がありますが、それはそれとして、先日、シニアの活性化をテーマにしたある研究会で、いろんな人の報告を聞いていて、思ったことです。

働きたいと思っている個人がいる。
働かせたいと思っている会社がある。
そして高齢者も働く社会にしないといけないという社会がある。
この3つがあるわけですが、実はそのそれぞれが考えている「働き」の意味や目的が違っているのです。

まず働きたいと思っている個人。
その目的は金銭的報酬でしょうか、生きがいでしょうか。
もちろん人によって違いはあると思いますが、後者の意味のほうが大きいように思います。
簡単に言えば、「稼ぐ仕事」ではなく「社会とのつながりを実感できる傍(はた)を楽(らく)にする仕事」です。
そのことを示唆しているのが、現在の東北被災地での状況のように思います。
そこで大切なのは、仕事の内容であって、対価ではありません。

働かせたい会社はどうでしょうか。
技能継承という面もあるでしょうが、コスト的には若い労働力が有利でしょうし、高齢者の労働は安全面でも問題が増えてきます。
従業員の福利厚生面的な意味もあります。
定年が長くなれば安心してモティベーションも高まります。
しかしその一方で、安直なリストラや非正規従業員比率を増やしている実態がありますから、基本的にはかつての日本的経営のような安心感や一体感は生まないでしょう。
それに次世代を担う若者たちが、きちんとした働きの場を体験していかないと、これまで蓄積されてきた「労働文化」が維持できなくなるでしょう。
それは日本の企業にとっても産業にとっても致命的なダメッジを与えかねません。
従業員のモティベーションのためであれば、その働かせ方はそれまでの働かせ方とは変える必要がありますし、その変え様似によっては新しい企業の発展が生まれるかもしれません。

社会はどうでしょうか。
そもそも高齢者を若者が支えるなどという発想がおかしいと思います。
相互に支えあっているのが社会です。
にもかかわらず、そう考えるのは、社会はすべてお金で成り立っていると考えるからです。
お金を稼ぐ壮年層を中心にした社会観を変える必要があります。
お金がなければ生きていけない社会になったのは、ほんのこの50年くらいでしょう。
消費市場から自由になれば、お金などなくてもいくらでも生きていける仕組みはつくることができます。
そのことも、今回の東北大震災の被災者の言葉に示唆されているように思います。

これまでも何回も書いてきていますが、働くこと、つまり仕事と、稼ぐこと、つまりお金とを切り離して考える必要を感じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/23

■自らを律することから出発したい

東京電力が電気料金の値上げに向かっています。
私自身は現在の電気料金は安いと思っていますから、値上げには賛成です。
しかし、ある人から、値上げもいいがその前に東電が従業員にボーナスを出すことには納得できないといわれました。
会社の利益がなければ中小企業ではボーナスなどは出せないよ、と言うのです。
全くその通りです。
電気料金を値上げするのであれば、まずはボーナスをゼロにし、かつ給料もそれ相当のカットはすべきだと私も思います。
少なくとも役員報酬はゼロにすべきです。
資金提供してもいいくらいでしょう。
私は自分の会社が赤字で経営を持続できなくなりそうだった時には、個人のお金を会社に提供しました。
まあ個人企業ですから当然といえば当然ですが。
会社の経営が立ち行かないから料金を上げると言っていますが、立ち行かなくした自らの責任を棚上げしていて、負担を顧客に押し付けるのは、私の常識では理解できません。
東電の従業員には責任はないという人もいますが、責任はないかもしれませんが、これは責任の問題ではありません。
まずは自らを律してから他者に負担を提案すべきです。
それをきちんとした上であれば、電気料金を現在の倍にしても私は賛成します。

政府の最近の消費税増税も、同じことです。
自らの無駄を削減せずに、消費税増税を主張するのは、これも本末転倒です。
自分だけは負担せずに、他者に負担を押し付ける人があまりにも多すぎますが、それを後押しする「専門家」なる種族が私には理解できません。
無駄のない行政で、しかし消費税増税をしなければならない理由が納得できれば、20%にしてもらっても、私は賛成です。

これはほんの一例ですが、ともかく自分に甘く他者に厳しい風潮が広がっているのが残念です。
他者に負担を強いる時には、まずは自らを律しなければいけません。
それができないのであれば、責任ある立場には留まるべきではありません。
それが私の生き方です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■八ッ場ダム建設再開

野田政権は八ッ場ダムの建設再開を決めました。
基本がどんどん崩れていく。
そんな感じです。

私は日常生活の99%にはあまりこだわりを持ちません。
かなり融通の利くほうだと自任しています。
状況によって価値基準は変わりますし、多様な意見があることもいいことです。
変化しなくなった社会は息苦しいでしょう。

しかし物事の基本は大事にしなければいけません。
その根幹に関わることはどんなことがあっても守らなければいけないというのが私の信条です。
守らなければいけないことは、私の場合、3つ程度しかありませんが、その一つが「嘘をつかない」です。
ですから、マニフェストを勝手に変えてしまう最近の民主党のやり方には怒りを感じます。
約束は守らなければいけません。
それこそが、私にとっての「嘘をつかないこと」です。

民主党には、それまで政権与党を体験してこなかった若い世代の政治家が多くて、そこに期待をしましたが、彼らは旧体質の政治家よりも嘘をつくように思います。
八ッ場ダムに関しては、政権交代直後の前原さんの言動は見事でしたが、それもまた日和見の馬淵さんなどによって壊されました。
そしてついに建設再開になってしまいました。

それにしても、最近、私がその政策において受け容れ難い人たちの言動のほうに、私は共感できることが多いです。
前原さんもそうですが、小沢さんもそうです。
石原都知事も橋下市長も、みんなその価値観は私とほぼ正反対ですが、嘘をつかないところに好感が持てます。
小沢さんが嘘をつかないのかと怒られそうですが、私には小沢さんも嘘つきには見えません。
嘘をついているのはマスコミと検察です。

先日、ある会で、ある人からこんなに次々と首相が変わっていいと思うのかと質問されました。
私は逆にその人に、「なぜいけないのか」と質問しました。
そのひとはいつも、「なぜか」を問うことが大切だと言っている人だからです。
その人は答えられませんでした。
私は首相が毎年変わるのは良いことだとは思いませんが、悪いことだとも思いません。
要するに、日本の首相はそういう存在になったのです。
いいかえれば首相など、どじょうでもやれるのです。
にもかかわらず、みんな首相に期待します。
その期待を止めて、みずからがしっかりと生きることからやり直さないといけないと私は思っています。
そして、新しい政治の仕組みを作り出す必要がります。
橋下さんや河村さんが、それを始めるのであれば、ぜひとも応援したいと思います。

八ッ場ダム建設再開は、実に象徴的な決断です。
来春に新たに生まれるであろう新政権は、どうするでしょうか。
さすがにもう辞められないとしたら、国土はますます壊れていくような気がします。
国を滅ぼすのは、まさに政治家なのだと思いました。
創るのも政治家ですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/22

■節子への挽歌1571:チャレンジャー

節子
今日、節子宛に「運転免許証更新のお知らせ」が届きました。
来年が更新年なのです。

わが家で最初に自動車免許を取得したのは節子でした。
エコロジストを自称し、自家用車にはどちらかといえば否定的だった私は免許も持っていなければ、免許をとろうという意志は若い頃から皆無でした。
それを知っていた節子は、私には内緒で教習所に通っていました。
そしてある日、突然に、自動車免許を取ったと家族に発表したのです。
わが家に自動車文化が持ち込まれました。

最初はあまり乗り気ではなかった私も、ついつい節子に送り迎えをしてもらうようになって、宗旨替えしてしまいました。
会社を辞めてから、私自身が免許を取得してしまったのです。
わが家で免許を取るのが一番遅かったのは私です。

娘が、「節子はチャレンジャーだったね」と言いました。
わが家に新しい文化を持ち込むのは、いつも節子でした。
節子のいいところは、口だけでなく、実行することでした。
たしかに「チャレンジャー」というイメージがあります。
しかし、改まって、何を持ち込んだかと考えてみると思いつきません。
でも、節子には何となく「チャレンジャー」のイメージがあります。
なぜでしょうか。

節子のチャレンジは、思い出せないほどにたいしたことではないのかもしれません。
しかし、時々、新しいことを始めて、家族を驚かせたり、私を喜ばせたりした記憶があります。
節子はともかく、家族を喜ばせることが好きだったのです。
それに比べて、私は節子をどれほど喜ばせてやれたでしょうか。

しかし、節子にとっては、私が喜ぶことが一番の喜びだったのかもしれません。
私もまた、喜ぶ節子を見るのが一番の喜びでしたから。
愛するものたちにとっての喜びは、結局は一つなのです。

今はどうでしょうか。
節子と喜びを共にできないことが、私が心から喜びを感じられない理由かもしれません。

ところで、節子。
免許証の更新はどうしましょうか。
娘が節子の位牌の前にはがきを置いていましたが、まさか現世に戻ってきて、チャレンジすることはないでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/21

■節子への挽歌1570:花かご会カレンダー

節子
花かご会の山田さんが、恒例の「花かご会カレンダー」を持ってきてくれました。
花かご会が、駅前の花壇を材料に手づくりカレンダーを作成しているのです。
メンバーである武藤さんのお宅で採れた柚子もどっさりともらいました。
私は外出していたので、あいさつはできませんでしたが、今年も節子が見えるように位牌壇のところに掲げています。
また年明けにでもお礼の差し入れをしておきましょう。

節子が大好きだった花かご会のみなさんは、いまも節子を思い出してくれて、命日には毎年、お墓にまで行ってくれています。
うれしい話です。

花かご会は、我孫子駅前の花壇の整備をしようという人たちでつくったグループです。
もし節子が元気だったら、私もメンバーに巻き込まれた可能性もありますが、いまとなってはなかなか参加もできません。
節子がいたら、間違いなく私の世界は広がっていたでしょう。
それがちょっぴり残念ではあります。

節子がいなくなってからは、年末行事もほとんどないので、「年末感」がほとんどなくなっています。
節子がいたころは、いろいろと恒例の年末行事があったのです。
そしてそれなりに私も巻き込まれていたような気がします。
節子がいなくなってから、私はどうも季節感を失ってしまっています。
花かご会のカレンダーが届いて、改めて今年もあと10日なのだと気づきました。
今年は、いろいろとあったようで、しかしあまり行動をしない1年だったようにも思います。

今年の花かご会カレンダーは例年と違って横型でした。
年を重ねるごとに完成度は高くなっているように思います。
節子はきっと喜んでいることでしょう。

節子は本当にいい仲間に恵まれていました。
そう思うととても気持ちがあたたかくなります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/20

■節子への挽歌1569:挽歌が書ける生き方

節子
また挽歌のナンバーと節子がいなくなってからの日数がずれてきています。
今はまだ一つだけのずれですが、最近、ずれることが少なくありません。
挽歌が書けていない日は、必ず入浴時に何を書こうかと思うのですが、思いつかないことがあるのです。

なぜ思いつかないのか。
もしかしたら「忙しい生き方」になっているからかもしれません。
いうまでもなく、「忙しい」とは「心を亡くすこと」ですから、挽歌など書けるはずもありません。
こういう生き方は、私が一番恥としている生き方です。
忙しいうちが花、などと言う人もいますが、そんな生き方は私には恥ずかしい生き方です。

実は「暇」な時にも挽歌は書けません。
なにか意味のある活動をしていると、必ず書くことが自然と浮かんできます。
忙しいことと暇なことは、私にとっては同じことなのです。

挽歌が自然に書けるかどうか。
これが最近の私の一つの生き方の基準になっています。
最近の毎日の過ごし方は本意ではありません。
どこに間違いがあるのでしょうか。
もしかしたら、生き方が粗雑になっているのかもしれません。
だから忙しかったり暇だったりするのでしょう。

今年の年末年始は予定をほとんどいれないことにしました。
まもなく生活も正常化するでしょう。
挽歌もきっとまた無理なく書けるようになると思っています。

節子
もう少し待っていてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■「平和の碑」の少女像

旧日本軍の元従軍慰安婦の支援団体が、ソウルの日本大使館前に慰安婦問題を象徴する少女像を設置したというニュースが1週間ほど前に流れました。
この像は「平和の碑」と名付けられていますが、この建立に対しては、日本政府は「国際的な儀礼に反する」として、支援団体が建立を思いとどまるように韓国政府に働きかけてきていました。
それが実現したのです。

韓国にいる佐々木さんが、その写真を送ってきてくれました。
ホームページ(CWSコモンズ)のほうには記事と合わせて掲載しましたが、ここにも再録しておきます。

Korea3

写真と一緒に佐々木さんはこう書いてきました。

今朝は零下10度。肌を刺し、身を切る寒さでした。
朝のミホの散歩に、曹渓寺への参拝と多分日本でも問題になっているだろう日本大使館前の平和の碑を見てきました。
少女の優しい表情です。大使館の道路を挟んだ歩道に建てられました。
寒いからでしょう、毛糸のひざ掛けやマフラーはカーデガンが着せ掛けてありました。
(中略)
この少女の像を見て、胸が痛むから除去してほしいというなら、まだ良心が残っているとも思えますが、そのようなことで要求しているとも思えません。
せめて寒いからとマフラーをかけるのが大使の外交官としての仕事で、食糧費を使って呑み喰い接待ばかりするのが仕事とは思えませんが。

佐々木さんが、またメールを送ってきました。佐々木さんは、こう書いてきました。
少女像は、新聞を読まれ、どの程度の大きさで、どんな場所に建てられていると感じられますか。
ノーダ首相自らその撤去を要請したようですが、そのようなものではないように思いますが、いくつかの社説や記事を読みましたが、実際に見てもいないのに書いているように思えます。駐在員がいるのに、彼らも見に行ってもいないのかもしれません。
行っているとしたら、彼らが意見を述べる前に、想像だけで書いてしまうのでしょうか?
むろん記者クラブで、行政職員の発表だけを元に書いていた癖は治らないのでしょうが。
ノーダさんも、像を想像さえしないで行政職員の振り付け通りに行っているのではないかと思えます。
韓国でも、像など建てて刺激をしない方がいいという意見もあります。
でも我々自身が忘れないためにも、あった方がいいと、私は主張しています。
少し集中的に読んで、気落ちしてしまいました。
日本の新聞記事は佐々木さんを落胆させてしまったようです。
佐々木さんは、「せめて寒いからとマフラーをかけるのが大使の外交官としての仕事」ではないかとも書いてきました。
同感です。
人の哀しさや思いに耳を傾けない為政者には人々はついていかないでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/19

■細野原発担当相の発言に象徴されていること

福島原発事故の収束宣言をめぐって、現場と政府の感覚の違いが取りざたされています。
それは仕方がないことでしょう。
私も宣言には大きな違和感がありますが、細野原発担当相の行動や発言には、誠実さを感じます。
一番いいのは「わかりやすいこと」です。

しかし時々、気になる発現があります。
たとえば、昨日の報道ステーションSUNDAY での発言で気になったのはこんな言葉です。
テレビ取材のビデオに、現場作業員の人が思いを語っていましたが、それに対しNPOT細野さんは「もし今の人が本当の作業員なら」と話しました。
この言葉には象徴的です。
「現場作業員」を称した「にせもの」がマスコミを通して語っているという、細野さんの体験と思いが含意されているからです。
報道に対する不信感が感じられます。

その一方で、私も「現場の人とも名刺交換」したので、現場のことはよく知っていると話しました。
細野さんの誠実さと行動力には、私は何の疑いも持ちませんが、この言葉は実に象徴的です。
本当の現場で汗している人は、名刺など持っていません。
原発の現場に限りませんが、名刺を持っている人のほとんどは「現場」の人ではない、というのが私の長年の体験知です。
つまり、細野さんの「現場」と私の考えている「現場」は、明らかに違います。
社会一般での「現場」感覚は、たぶん私と同じでしょう。

この2つの言葉が示唆している事は極めて大きなことだろうと、私は思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/18

■節子への挽歌1568:喜怒哀楽の二面性

江戸時代の儒学者 貝原益軒は、大声で笑ったり泣いたり、あるいは怒ったりすると、気が漏れてしまい、心身にとって良くないことだと戒めています。
気は、自身の内にしっかりと固めておかなければならないというわけです。
「男は黙ってサッポロビール」ではないですが、軽口の男は信頼できない風潮が、少し前まではあったように思います。
その視点からいえば、この挽歌を書いている私などは、男の風下にも置けない存在かもしれません。

しかし江戸時代も300年という長さの中で、世相はいろいろと変わりました。
文化・文政期になると、「気をいふ物、よく廻れば形すくやかになる、滞ほる時は病生ず」と書いている国学者もいます。
喜怒哀楽こそが心に鬱屈した気を解放し、元気になるというわけです。

喜怒哀楽は、薬にもなれば毒にもなるわけですが、私はもちろん後者の論に共感しています。
だからこそ、節子を見送っても、なお元気でいられるわけです。

節子と私は、お互いの喜怒哀楽を素直にぶつけ合っていました。
だから夫婦喧嘩も絶えませんでしたし、心底から愛し合う夫婦でもあったのです。
喜怒哀楽を共有することの効用は計り知れないほどに大きいように思います。
挽歌を書くことで、私は心身のなかにある喜怒哀楽を解き放っているのです。
ですから、哀しさに沈むこともありますが、鬱積した気が病に転ずることはありません。
挽歌の文面よりも、心身は軽いのです。

この挽歌を読んで下さっている方もいます。
時々、コメントなどももらうのですが、少し気になることもあります。
心のうちに溜め込んでいる喜怒哀楽に、この挽歌が悪さをしないか。
それがいつも気になっています。
喜怒哀楽のブラックホールにはまってしまうと、人は身軽にはなれません。
この挽歌が、読者の喜怒哀楽を外に向けて解放する役割を少しでも果たせたら、うれしいのですが。

喜怒哀楽を心身で表現するのはいいとして、こんなかたちで文字に書いてしまうことがいいのかどうか、書いていて時々迷うこともあるのです。
節子だったら、たぶんですが、あんまり賛成しないでしょうし。
節子は、もうそろそろやめたら、と言っているかもしれません。
病にならないために、私はまだ書き続けますが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/17

■検察の本性

昨日行われた小沢裁判の公判の証人尋問での、前田元大阪地検特捜部検事の発言は驚くべきものです。
国の根幹に関わるものだと思いますが、マスコミの取り上げ方は必ずしも大きくありません。
彼らも小沢潰しに加担したからでしょうが、検察のあり方は、国家の形の根幹に関わっています。
それにしても、醜い話であり、恐ろしい話です。
いつ自分の身に降ってくるかもしれませんが、それゆえに、みんなひっそりと目を合わせないようにしているのかもしれません。

毎日新聞の記事によれば、「検察は検察審査会に、石川議員の取り調べを巡る弁護人からの抗議に関する書類を提供していない。審査員が見れば(石川議員の)調書の信用性は減殺される。私が思っているだけだが、隠された証拠だと思う」と証言し、石川議員の調書を根拠とした強制起訴の議決に疑問を呈した」と発言したそうです。
これが事実なら、当該の検察官は明らかに犯罪者です。
国家転覆罪とまではいいませんが、暴力機構を私物化した犯罪者であり、極刑に値すると私は思います。
司法の根幹が壊れているとしか思えませんが、しかし、それこそが「検察の本質」であり、「司法の本質」かもしれません。

橋下前大阪知事は、日本は国の形を変えないといけないと盛んに言っています。
どう変えていくかは大きな問題ですが、その主張には共感します。
橋下さんが抹殺されなければいいのですが。
すでに魔手は動いているでしょうが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1567:おかしいほど元気なんです

福岡に転居してしまって、悠々自適な生き方を楽しんでいる蔵田さんがサツマイモをどっさり送ってきてくれました。
電子レンジにかけると焼き芋になるサツマイモです。
お礼の電話をかけたら、奥様が出ました。
お元気ですかと訊かれたので、蔵田さんほどではないですが、ほどほどに元気ですと応えたら、笑いながら、うちの人はおかしいほど元気ですよね、と答が返ってきました。
「おかしいほど元気」
蔵田さんにはぴったりの表現だと思いました。

蔵田さんに代わってもらったら、屈託の全くないいつもの元気な声で、
最近は九州のJRの特急列車に乗りまわっているんです、と話されました。
これまたまさに「蔵田さん」的です。
冬は自慢の農仕事がないですものね、というと、冬も関さばを釣りに行ったり、いろいろ忙しいのだそうです。
その合間に特急の一人旅で、その土地々々で行きずりの人との交流を楽しまれているようです。
蔵田さんらしい、いくつかのエピソードを聞かせてもらいました。

蔵田さんには仕事の面でもいろいろとお世話になりましたが、蔵田さんは退職して故郷に戻った後も私たちを気遣ってくれました。
節子の訃報を知って、九州からわざわざわが家にまで花を持って来てくださいました。

節子の病気が一時期回復した時に、節子と一緒に蔵田夫妻に料理用のエプロンを贈ろうということになりました。
いつも立派な手づくり野菜を送ってくださるのですが、蔵田さんはご自分でも料理をすると聞いたからです。
いつもなら節子だけで買いに行くのですが、なぜか2人で百貨店に買いに行った記憶があります。
節子の病気が回復したら、夫婦ぐるみでのお付き合いが始まっただろうと思いますが、蔵田さんの奥様には私たちはお会いできないままになりました。
しかし、そのエプロンのおかげで、蔵田さんの奥様ともなんとなく親しみを感じています。
「おかしなほど元気」な蔵田さんと話していると、その元気のお裾分けが私にもまわってくるような気がします。

それにしても、いろんな人とのつながりの中に、節子がなぜか関わっているのが不思議です。
節子のおかげで、そういう人とのつながりが切れずにいるのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/16

■「家に帰れればお金がなくても暮らしていける」

原発事故の収束宣言が出されました。
とても違和感がありますが、テレビで被災者の方の発言が紹介されていました。
収束宣言が出されても、自分の家には帰れない、仕事もできないという怒りの声が多かったですが、そのお一人の言葉が心に残りました。
「家に帰れれば、米も野菜もつくれて、お金などなくても暮らしていける」

お金などなくても暮らしていけることを私たちは忘れすぎています。
慰謝料や損害補償のお金などいくらもらおうと、お金がなくても生きていける状況はもう壊れてしまったのです。
いまや東北のみなさんも、私のような都会人と同じように、お金がなければいけていけない「惨めな」存在になってしまったと言えるかもしれません。
お米を食べる存在ではなく、お金を食べる存在になってしまったのです。
そこからの先は、想像するに難くありません。
不謹慎かもしれませんが、東北は地震や原発事故で壊れるのではなく、義捐金や保証金などのお金で壊れるのかもしれないと思いました。

昔、4万円もあれば豊かな暮らしができると東北のある人からお聞きしましたが、もはやそういう理想郷はなくなろうとしているのかもしれません。
復興という名の破壊は、これから始まるのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1566:「I'm sorry 」「Thank you」「I love you」

pattiさんがコメントしてくださいました

今日は録画しておいたNHKアーカイブスの五木寛之の仏教への旅を見ていました。
その中のアメリカの禅寺の住職の言葉ー
仏教をシンプルに伝えるとしたらとの質問に答えたのは
 「I'm sorry 」「Thank you」「I love you」であると。
なんと、私が泣いても泣いていなくても毎日毎日彼に伝えていることではないか!と絶句しました。
この明瞭な言葉にあらゆる思いが内包されています。
ああ、そうなのだとまた泣きました。
pattiさんは数か月前に伴侶を亡くされました。
以前にもコメントを書いてくださいました。
今回も、この文の前にこう書かれています。
彼が旅立ってから5ヶ月近く、初めて一人で迎えるこの季節、そして彼の不在を実感する生活を重ねてきことで、
不安定な気持ちに陥ってしまったようです。
今になって声を上げて泣いてしまうことが多くなりました。
「やっぱり、あなたがいないこの世はさみしい!」と。
でも、この状態が私の日常になったのだとやっと受け入れました。
今回のコメントもとても長く、私も繰り返し読ませてもらいました。

「仏教への旅」のテレビは、黒岩比佐子さんも関わっていたので、私も観ました。
しかし、「I'm sorry 」「Thank you」「I love you」のことは記憶に残っていませんでした。
pattiさんと同じように、節子への思いのすべてが、そこに包まれていると気づきました。
pattiさんのコメントを読んだ時には、しかし、そこまででした。

そして今朝、いつものように節子の位牌に向かってロウソクの火をつけながら、節子に話しかけていて、気づいたのです。
私の口から出ていたのは、まさにこの3つの言葉だったのです。
pattiさんと一緒ではないか!
改めてpattiさんのコメントを読み直しました。
DVDで「仏教の旅」も見直そうと思います。

他者や事物に対する私の姿勢も、この3つです。
慈しみと愛。
これは私の本業でもある「経営コンサルティング」の基本に置いている経営観でもあります。
そうした生き方を、節子が一番よく理解してくれていました。
最近でこそ理解者はいますが、以前はよく笑われたものです。
しかし理解者がいると、人は安心して、ぶれなくても生きられます。
節子はいつも私をエンパワーしてくれていたのです。
節子のおかげで、私も仏教の真髄に少し近づけているのかもしれません。

改めて、
節子、ありがとう。ずっと一緒にいられなくてごめんね、ずっと愛しているよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/15

■節子への挽歌1565:地と図

節子
湯島には実にさまざまな人がやってきます。
そうした人たちに会っている時には、たぶん節子がいた頃の私とそう違わないかもしれません。
しかし、お客様が帰って、次の来客までの間、時間があくとなにやら無性に疲れが出てきます。
節子がいた頃は、お茶など出してもらって、節子といろんな話ができましたが、一人だとそういうわけにもいきません。
来客に出した珈琲メーカーに水を足して、もう1杯、珈琲を飲むことくらいしかできないのです。
私は、「沈黙」や「静寂」があまり得手ではありません。
特に今のように外が暗くなってくるとなにやら考え込んでしまいがちです。
節子がいた頃には、なかった時間です。

地と図というのがあります。
人の生活の「地」とはどういう状況でしょうか。
たぶん一人でいることでしょう。
そして誰かと一緒の時が「図」といってもいいでしょう。
私の場合、以前は節子がいる時が「地」だったのではないかと、ふと思いました。
もちろん独りになることはありましたが、むしろ節子と一緒にいた時間が、私にとっての「地」、つまり日常だったように思います。
独りの時は、むしろ「図」だったのかもしれません。

「地」が変わると、そこに描かれる「図」も変わってきます。
それはなんとなく感じていたのですが、最近、同じような「図」にいても、以前とは違うような気がしていました。
たぶんそれは、「地」が変わってしまっていたからです。

「地」が変わる。
それはもしかしたら、人生が変わることかもしれません。
だとしたら、以前と同じように来客と会っていても、たぶん雰囲気は全く違うのだろうなと思います。
節子がいた時といなくなってからと、変わったかどうか、こんど昔からの友人知人に訊いてみようと思います。

間違いなく変わったのは、訪問客が帰った後の時間です。
呆けたように、疲れてぼんやりしています。
なぜこんなに疲れるのか、理由がわからないのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1564:自省

節子
鈴木さんが小池龍之介さんの本を送ってきてくれました。
小池さんの主張には私が否定的なのを鈴木さんはよく知っているので、「ピンとこないようでしたらポイしてください」というメモが入っていました。
先週、スマナサーラさんの活動を支援している知人から、次のメールを書き添えて、初期仏教セミナーの案内が届きました。

佐藤様が長老は無礼な人だとお怒りでいらっしゃると仄聞致しましたので、まだそのお気持ちが続いているのでしたらこのメールは破棄をお願いします。
お2人からの言葉を読んで、無礼なのは私のほうだと反省しました。
私はほとんどすべての人が好きなのですが、人を導く立場や人を統治する立場、あるいはみんなで創りあげている組織をマネジメントする立場の人には好き嫌いをいささか過剰に表明することが多いのです。
このブログでもそうしたことが少なくないと思います。
もちろん理由をあげてですが。

スマナサーラさんや小池さんは、現代の若者たちに大きな影響を与える立場にあります。
ですからついつい評価が厳しくなります。
しかし、他者を非難することはどういう理由があろうとほめられることではありません。
節子がいたらきっとたしなめてくれるでしょうが、そのタガがなくなったので、表現が時にきつくなりすぎるのです。
困ったものです。

そんな反省から、スマナサーラさんや小池さんの本を改めて読んでみることにしました。
実は時々そう思うのですが、実際にはなかなか読めずにいました。
勢いがついた時に読まねばいけません。
そこで先ず読んだのが、鈴木さんから送られてきた小池さんの「心の守り方」です。
本の帯にこう書かれています。
 私たちの苦痛は、本当に現実がもたらすものか?
私たちが幸福だと思いこんできたものは本当の幸福だったのか?
この言葉には何の違和感もありません。
しかし本文を読み出すと、やはり違和感が生まれてくるのです。
でもまあ、せっかく読み出したのですから、もう何冊かを読むことにします。
節子が読んだらどう思うか、それが訊けないのが残念です。
たぶん私と同じ感想だとは思ってはいるのですが、節子は私よりもバランス感覚は少しだけたかったので、もしかしたら違うかもしれません。

それにしても、どうしてスマナサーラさんや小池さんがそんなに話題になるのか。
社会が病んでいるのでしょうか。
それとも私が病んでいるのか。
自らを相対化できないことは、それなりに辛いものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/14

■65歳再雇用と若者の働き場

厚生労働省は65歳まで希望者全員を再雇用するよう企業に義務づける方針を固めたそうです。
年金の支給開始年齢引き上げが絡んでいるようですが、どうも違和感があります。

この数年、若者たちの働く場がないことが大きな問題になっています。
その理由は明らかです。
生産性の向上などで「仕事」そのものが少なくなってきているからです。
縮小する「仕事」を老若でとりあっているのが現状です。
若者にとっては、60歳を過ぎたら、もういい加減、会社や「仕事」から出て行って欲しいと思っているでしょう。
働かない高齢者は、若者が面倒を見なくてはいけなくなるので、高齢者は自分で働いて年金のお世話にならないようにしるというのが、大義かもしれませんが、それは本末転倒しています。
仕事は、お金だけのためにあるのではありません。
若い時代にきちんとした「働き場」を体験できない人が増えていけばどうなるのか、そのことを考えれば、安直な再雇用でいいはずがありません。

私の体験で言えば、60歳を過ぎたら基本的に生活費は減りだします。
私の場合、年収200万円あれば十分です。
実際には残念ながら200万円に達していませんが、何の不都合もありません。
自宅が持ち家だからかもしれませんが、食材もいろんな人たちが送ってきてくれますし、なにか活動をしようとすれば、必要なお金を寄付してくれる人もいますので、自殺予防や認知症予防の活動などもやれています。
そういう生き方ができるために20年かかりましたが、私自身は恵まれてはいたものの、決して特殊な例ではないでしょう。
要は、生き方の問題です。
たとえば、今回の大震災で無駄な生活に気づいた人は少なくないでしょう。
見直す余地は少なくありません。

60歳をすぎての再雇用も否定はしませんが、お金基準の働き方はやめるのがいいでしょう
極端に言えば、働けるだけでも幸せなのですから、給料をもらうのではなくマイナス給料制度で授業料のように毎月給料を会社に払い込んでもいいくらいです。
事実、私は一時期、そうしていましたので、退職金はなくなってしまいました。
しかしそれは少し極端なので、にわかは受け容れられないでしょうが(将来はそうなると私は思っています)、少なくとも若い人たちの働き場を奪うことはやめるべきです。
具体的には、高齢者にはその知見とネットワークを活用して、企業と社会の橋渡し役になるとか、若者の働き場を増やし支援するとか、いろんな働き方があるはずです。
そろそろ「稼ぐ」から「働く」へと、意識を変えるのがいいでしょう
年金がもらえないから働いて、そのおかげで年金掛け金も払えない若者を増やしていくのはどう考えてもおかしいです。
少しは若者たちの働き場に目をやってほしいものです。
そうしないと、結局は社会がさらに壊れてしまい、再雇用されてもあんまり幸せにはなれないかもしれませんし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1563:愛の気

節子
最近、夢に節子がよく出てきます。
といっても、節子の姿形がでてくるというよりも、節子を感じさせる夢といったほうが正しいでしょう。
登場人物は娘たちだけなのに、節子の存在があきらかなことも多いです。
明らかに節子でない人なのに、そこに節子を感じることもあります。
いずれにしろ、目が覚めると節子がいた感じが残っているのです。
そしてなにかとても「あったかな雰囲気」が余韻として残っているのです。
目が覚めた後も、数時間はその「あったかさ」が残ります。
これがもしかしたら「愛」ではないのか、とふと思いました。

愛に包まれた人はいつも幸せでしょう。
愛する相手が五感では確認できなくとも、存在を確信できればどんなに心やすまることでしょう。
私にはキリスト教はまったく理解できませんが、「神と共にある」とはこういうことなのかもしれません。
それが実感できれば、磔にも歓びを感じられるかもしれないと気づきました。

西洋文化における3つの「愛」として、エロス、フィリア、アガペがよくあげられます。
極めて大雑把に言えば、自分のための愛のエロス、分かち合う仲間の愛のフィリア、個を超えた愛のアガペといっていいかもしれません。
キリスト教では、アガペの愛は「神より出ずる愛」とされています。
私自身は、この3つの愛を一体として捉えているのですが、この挽歌を書き出してから、そのことを改めて確信するようになってきました。
そこには、華厳経が説くような、ホロニックな構造があるのです。
神は、まさに自らの中にいるのです。

今日も寒い1日になりそうですが、節子からもらった「あったかな愛の気」のおかげで、あたたかな1日にできるかもしれません。
夢に出てくる節子の「愛」は、実にあったかく、私を幸せにしてくれます。
節子にいつも心から感謝しています。
できるならば、いま一度、五感で抱きしめたいのですが、それこそ適わぬ夢でしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/13

■節子への挽歌1562:「ときめき片付け法」

節子
「ときめき片付け法」というのをテレビで知りました。
そのものを実際に持った時に、心ときめかなかったら、処分するという方法です。
片づけがなかなか進まないので、早速、取り組んでみることにしました。

まずは私自身の衣服関係です。
長年着用していないものがかなりあります。
私は買物が好きではないので、たとえば気にいったズボンなどがあると、一挙に3~4着、色違いで節子に頼んで買ってもらっていました。
ところが気分が変わると、それをまったくはかなくなりました。
ですから同じようなものが何着もあるのです。

節子がいなくなってから、ほとんど買物に行かなくなりました。
そのため以前のものをまた着だしているのですが、あまりピンと来ないものもあるのです。
それを今回、捨てることにしました。

ところで、節子のクローゼットやタンスも娘たちがかなり整理してくれたのですが、途中で整理をやめてもらっていました。
なんだか節子がどんどんと遠くに行ってしまうような気がしたからです。
今回は、しかし私が直接、処分しようかと思ったわけです。
それで引き出しをあけて、節子の衣服にさわりだしました。
残念ながらときめいてしまうのです。
いや、「ときめき」ではないのかもしれませんが、何か感じてしまうわけです。
そういえば、ときめき片付け法を始めだした人は、ルールーの一つとして、「他の人のものには手をつけてはいけない」と話していました。
となると、節子のものはいつになっても片付きません。
とりあえずは後回しにしました。

私の物に関しては、少しずつ片付けは進みだしました。
書類や資料はなかなか捨て難いのですが、私にとっては価値があっても、私以外にはほとんど価値のないものでしょう。
書籍は図書館やブックオフでいくらでも読むことができる時代です。
娘は、もし思いの強い本があるのなら、宛先を書いて手紙もつけて香典返しにあげたらいいとアドバイスしてくれましたが、それもまたもらった人にとっては迷惑でしょう。
それに香典がもらえるとは限りません。

本来無一物になるのは、本当に難しいものです。
結局、私も物に埋もれて生を終わるのでしょう。
節子がたくさんの物を残したのは、私のためだったのですが、私が残しても娘たちは迷惑するだけでしょう。
やはりここはどんどんと物を処分していかねばいけません。
節子の物も、やはり私が処分しないといけないのでしょうね。
節子はいなくなってもなお、私に迷惑をかけています。
困ったものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■絆ブームへの違和感

「今年の漢字」は予想通り「絆」になりました。
最近、絆とかつながり、支え合いといった言葉が、あまりにも安直に使われるのが気になっています。
そのことを以前、あるメーリングリストに書いたら、早速、2人の人から、共感のメールをもらいました。
しかし、その後、ますます「絆」ばやりです。

と思っていたら、今朝の朝日新聞に「絆」という言葉の持つマイナス面がていねいに書かれていて、少し安堵しました。
読んだ方も多いと思いますが、お一人のコメント部分を紹介させてもらいます。

広辞苑第6版の編集にかかわった山口明穂・東京大名誉教授(国語学)によると、「絆」にはもともと、語源から来るマイナスのイメージが強く、自由を束縛する「ほだし」の意味があった。しかし、最近ではプラスの意味で使われるケースが増えているという。「本来、深い関係がある時に使うもので、軽く使う言葉ではない。ただ、震災後に多用され、今後はプラスの意味で使われることが増えるのではないか」。

「絆」の語源は、「馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱」です。
つまり、「手かせ、足かせ」「人の自由を束縛するもの」という意味もまた、「絆」に含意されていることなのです。
そうしたことが、どんな結果を引き起こしたかは明治から昭和初期の歴史を読めば、よくわかります。
そこから解放されようと、この60年、私たちは生きてきたわけです。

しかし、その行きすぎが、社会を壊しだしているのも事実です。
私も20年ほど前から、「つながり」や「支え合い」を基本に置いた生き方をしてきていますが、その難しさもまた実感しています。
ちなみに、10年前には「つながり」や「支え合い」が大切だとNPO活動をしている人たちに話しても、あまり共感を得られませんでした。

それが一挙に「絆」です。
どう考えても理解できません。
なにやら「嫌な空気」も感じます。
もっとゆるやかな支え合う生き方を、私はしたいものです。
絆などという言葉は、軽々に口に出すべきではないと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/12

■節子への挽歌1561:家族みんなで汗をかくこと

節子
今日は娘たちが2人とも時間があったので、3人でリビングとキチンのフロアのワックスがけをしました。
ソファや食卓を移動しての、それなりの大仕事です。

わが家の文化は、できることはできるだけ家族でするということでした。
ほとんどのことは、みんなで一緒にやりました。
それが、住まわせてもらっている家に対する住人の責務だと思っているからです。
そうしたことを仕切っていたのは、いつも節子でした。
そういう時の節子は。いつも張り切っていました。
家族みんなで汗をかくのは快いものです。
終わったところで、お菓子が出てくるのですが、今日は昨日、鈴木さんからお土産でもらった、くるみ入りのクグロフをみんなで食べました。

そこで娘がこんな話をしました。
娘の知人家族が娘の伴侶がやっているエヴィーバに食事に来てくれたそうです。
ところがどうも短時間で食事を終えて帰ったのだそうです。
用事があるらしくて急いで帰ったようね、と後日、娘がその知人に訊いたそうです。
そうしたら、その人が、旦那と息子と食事をしても話すこともないから食べるだけで帰ったのよ、という答が帰ってきたそうです。
まあ言葉通りではないとしても、節子がいた頃のわが家の文化では考えられないことです。
わが家の家族は、いつもよく話しました。
とりわけ私たち夫婦は、話が途絶えたことはありません。
節子がいなくなってからは、私の会話量は半減とは言いませんが、かなり減ったことは間違いありません。
会話の多さは、共体験の多さにつながっているのかもしれません。
いろんなことを一緒にやるのが家族だというのが、私たち夫婦の考えでした。
娘たちはかなり反発したこともありますが、その文化は今も残っています。

わが家の食卓は円形です。
これも節子の選択でした。
その円卓を囲んで、みんなが汗をかいた後のおやつの時間は、とてもあったかな時間でした。
もうそんなあったかさに、2度と浸れないのかと思うとちょっとさみしいです。
それに、節子がいない円卓のおやつタイムは私にはどうも何かが欠けているような気がして、どこか落ち着きません。

おやつを食べた後、みんなでスーパーマリオをしてしまいました。
節子の話題もたくさんでました。
姿は見えませんが、やはり節子は私たちと一緒にいるのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/11

■節子への挽歌1560:スーパーマリオ

節子
ユカがプレゼントをくれました。
何だと思いますか。
なんとスーパーマリオのゲームなのです。
10数年前に、スーパーファミコンが流行した頃、私がはまってしまったゲームの一つです。
それがWii-fit でできるようになったのです。
さてさて困ったものです。

実はこの2週間ほど「忙しくて」、いろんなことがたまっていました。
そのため、最近少しイライラしがちなのか、誰かに当たってしまうことがあるのです。
今日はいろんな宿題を片付けて、精神的に落ち着きたいと思っていたのです。
ところが、です。
Wiiのスーパーマリオのゲームが届いてしまったのです。
これはもうやらなければいけません。
懐かしい画面と音楽、うれしくなって始めました。
ところが思うように操作できないのです。
反射神経が大幅にダウンしています。
いくらやっても前に進まないのです。
1時間やっても、最初のゲームさえクリアできずに、同じ場面の繰り返しばかりです。

ユカが、節子がいたら「もういい加減にやめたら」というよ、からかいますが、なかなかやめられません。
あんまり力を入れてしまい、指が痛くなってしまいました。

節子は、この種のゲームは好きではありませんでした。
むしろ夜遅くまでやっている私を観て、どこが面白いのと呆れていました。
しかし娘たちが私をからかうと、逆に「修さんは頭を使う仕事なので、こういう息抜きが必要なのよ」とかばってくれました。
節子は普通の母親と違って、いつも娘よりも私のほうをかばってくれるタイプでした。
それでまあ私を甘やかしてしまった面はありますが。

ファミコンのゲームに関連しての節子との思い出はいろいろとありますが、節子がゲームをやっていた記憶はありません。
身体を動かすのが好きだった節子には、室内で画面を見ながらやるようなゲームは性に合わなかったのでしょう。

しばらくはまたはまりそうです。
周りの友人知人には内緒にしておきましょう。
現在以上に信頼を落とすと生きにくくなりかねませんので。

しかしこのゲームは、なぜだかまったくわかりませんが、始めたら止められなくなります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1559:「早目にやる」か「できるだけ遅らせる」か

節子
最近はなかなか挽歌が追いつきません。
AS日数(節子後の日数)と挽歌のナンバーに3つほどのズレができています。
漸く追いついたかと思って油断するとまた離れてしまいます。

節子の信条は「早目にやる」でしたが、私の信条は「できるだけ遅らせる」でした。
なにかの時間も、ぎりぎり間に合うように出発するのが私で、余裕を見て出かけるのが節子でした。
飛行機は2回、新幹線も1回ほど乗り遅れたことがありますが、まあそれでもあんまり不都合はありませんでした。
私のその生き方が、節子も巻き込んで迷惑をかけたことは1度だけでしょうか。
友人の結婚式の仲人を頼まれた時ですが、私が時間を間違えて、しかもぎりぎりに出たので、大変なことになったことがあります。
幸いに式の時間にはぎりぎり間に合いましたが、新郎新婦の親御さんにはすっかり信頼を失ったことだと思います。
さすがにそれ以来、私も少しだけ余裕をみて出かけるようになりました。
逆に節子は、私と暮らしているうちに、私に近づいてきました。
それでまあ、終盤(おかしな表現ですが)はお互い、ちょうどよいところに収まっていたように思います。
夫婦とはそんなものかもしれません。
だんだんと近づいてきて、気がつくと逆転していることもあるのです。

しかしそれはどうも表面的なもので、本当は変わらなかったのかもしれません。
彼岸への旅立ちに関しては、相変わらず節子は早々と出かけてしまいました。
私はもしかしたらぎりぎりまで出かけないのかもしれません。

結婚して変わるところもあれば、変わらないところもあるものです。
しかし、まあだからこそ夫婦はかけがえのない存在になっていくのでしょう。
番号あわせのためにつまらないことを書いてしまいました。
今日はとても疲れているのです。
困ったものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/09

■節子への挽歌1558:夫婦の力

日本ドナー家族クラブの間澤さんから年賀欠礼のハガキが届きました。
ご主人が亡くなられたと書かれていました。
71歳、私とほぼ同年です。

間澤さんと知り合ったのは10年以上前にNPOへの資金助成プログラムのコムケア活動を始めた時です。
資金助成先を決める公開選考会に、間澤さんは参加してくれました。
その会で私はコムケア活動の趣旨などを話させてもらいましたが、そこで「楽しい福祉、明るい福祉」を考えていきたいと言いました。
休憩時間に間澤さんは私のところにやってきました。
少し怒っている感じでした。
日本ドナー家族クラブを立ち上げたが、ドナーの家族として、「楽しい福祉」などできませんと言われました。
間澤さんはアメリカに留学していた娘さんを交通事故で亡くされ、彼女の意志を受けて、ドナー提供したのです。
しかしドナー家族は世間の冷たい目にさらされる当時の風潮を実感し、それを変えていくために同じ立場の人たちに声をかけて、ご夫妻で日本ドナー家族クラブを立ち上げたのです。

間澤さんは、しかしその後もコムケアの集まりに参加してくれるようになりました。
そしてある日、5月17日を「生命・きずなの日」と決めて、自分たちだけではなく開かれた集まりをやりたいと言ってきました。
いつの間にか、間澤さんもコムケアの仲間になってくれ、私の意図に共感してくれるようになっていたのです。
私も一度、参加して。お話させてもらったこともあります。
活動は順調に広がり、間澤ご夫妻の心も癒えつつあるだろうと思っていましたが、節子の症状が悪化してからは接点がなくなっていました。
しかし間澤さんがコムケアで知り合った人たちと一緒に活動していることは耳に入ってきていました。
一度また声をかけてみようかと思っていたところでした。

間澤さんの手紙に、「日本ドナー家族クラブは収束させました。ありがとうございました。」と書かれていました。
そこに間澤ご夫妻のお気持ちを強く感じました。
やはり間澤さんも夫婦一緒だったからこそ、あれだけの活動を起こせたのだと改めて思いました。

このように、訃報と共に活動が終わるという連絡が入ることが多くなりました。
そのたびに、私の世界も少しずつ収束に向かっているのだと感じます。
この時期は寒いだけでなく、寂しい時期でもあります。
間澤さんのご冥福をお祈りします。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

■いばらき自然エネルギーネットワーク

テレビで「いばらき自然エネルギーネットワーク」の活動を知りました。
茨城大学地球変動適応科学研究機関が中心になって、茨城県における自然エネルギーの普及に取り組んでいる活動をつなげていくプラットフォームです。
http://www.icas.ibaraki.ac.jp/sustena/ren-i/
行政も積極的に関わっているようですが、まさにこうしたところに、これからの行政の新しい役割があるような気がしています。

茨城県では、県内それぞれの地域特性を活かした自然エネルギーの取り組みがさまざまに行われていますが、それを1枚のマップに落とし込み、そこから学びあいながら、様々な取り組みをしていこうと言う動きですが、これはまさに1970年代に日本でも起こったソフトエネルギーパスの活動です。
当時はかなり広がりを見せましたが、結局は原子力発電重視の行政に押されて主流にはなれませんでした。
あの時にもし、ソフトエネルギーパスを選択していたら、日本は大きく変わっていたでしょう。

熊谷に住む時田さんからも、大震災後の取り組みの一つとして、こうした構想をお聞きしていましたが、各地でこのような動きが出てくれば、自然エネルギーの意味が見えてくるでしょう。
自然エネルギーはコストが高いなどとよく言われますが、それはコスト計算の枠組みが工業発想だからであって、少し視野を広げれば、自然エネルギーのコストが安いことは当然わかるはずです。
自然にあるものを活かすことと自然にないものをむりやり創りだすことと、どちらがコストが安いかは、私には考えるまでもないことです。
コスト計算の基準の問題でしかありません。

いばらき自然エネルギーネットワークは、エネルギーの地域自立につながっていきますが、これは地産地消やCAS(地域が支える農業)などにもつながる発想です。
しかし、それ以上に、地域の文化を豊かにしていくことにつながっていくはずです。
そろそろグローバル経済の幻想から脱却しなければいけません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/08

■節子への挽歌1557:夫婦言葉

節子
読者の方からこんなメールをもらいました。

家族しか分かり合えない 暗号のような言葉ありますよね
大体が お互い顔を見合わせながら思わず 笑ってしまう 
言葉やジェスチャー 夫婦しか分かり合えない言葉もあります 
特に子供たちの幼い頃の 
訳のわからないオノマトピアや かわいいしぐさが 基になっていて 
ふとしたきっかけで突然 思い出して 
ああ もう黙っていても 分かり合える人は居ないんだと思うと 
冷え冷えとした部屋に 一人取り残されたと 感じます
たしかに、たしかに。
まさにそうなのです。

家庭には、それぞれのオノマトペがあり、それぞれの仕草があります。
それは無意識の中で生まれ育った家族共有のシニフィアンシステムをつくりだしています。そして、そこには豊かな表情を持った言霊がこもっている。
その世界は、いまから考えると、実にあったかな心和む世界でした。
私のエネルギーの素だったかもしれません。

それぞれの家庭には、その家庭でしか通じない言葉があります。
同じように、夫婦だけでしか通じない言葉もある。
なんでもないよく使われる言葉なのに、一般的な意味を超えて、夫婦だけに広がる広い世界に通ずる「夫婦言葉」のようなものです。
そんなことを考えたことはありませんでしたが、この方からのメールを読んで、気づきました。
そうか、最近は夫婦言葉がないので、どこかおかしかったのだ、と。

最近、娘たちによく、「節子だったらなあ」というのですが、そういうとすかさず娘から「私は節子じゃありません」と言われてしまいます。
節子だったらどうなのか、実は私自身あまりわからないのですが、でもどこかちょっと違うのです。
この方が言うように、「黙っていても 分かり合える人」がいないことからくる「違和感」でしょうか。
娘たちは本当によくしてくれるのですが、どこかやはり違うのです。

節子と一緒に育て上げてきた「夫婦言葉」は、もう死語になってしまったのですね。
それがとてもさびしいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/07

■節子への挽歌1556:節電でイルミネーションはやめだそうです

節子
今年は節電のため、娘たちは庭のイルミネーションはやめるそうです。
節子がいたら、こういう時こそ時代の気分を明るくするためにやらないとダメなのよ、といいそうですが、わが家の娘たちは親と違って「良識派」なのです。

そういえば、我孫子駅前のイルミネーションが今年も点灯されました。
3日の日に点灯式がありましたが、今年は例年よりもきれいになりました。
節子はこのイルミネーションがお気に入りではありませんでした。
中途半端なのが気になっていたようです。
まあ今年は節子もあんまり不満を言わないような出来具合になっています。

節子は、生活を明るくするような、ちょっとした工夫が好きでした。
何気ない一輪挿し、手づくりの小さな置物など、時々、あれこんなところにとこんなものがと気づいて、気持ちがあたたかくなることも少なくありませんでした。
そうした意外性が、私にとってはとてもうれしいことでした。
そうした喜びは、今はもう体験できなくなりました。

庭の木をイルミネーションで飾るのも節子は好きでした。
エコロジストを自称する私には、最初少し抵抗がありましたが、いつの間にか季節の風物詩になってしまいました。
そのイルミネーションが、今年はないのだそうです。
まあ娘たちの決定なので仕方がありません。

年末のあわただしさが、私は好きでした。
しかし節子がいなくなってから、年末らしいことはあまりしなくなりました。
なぜでしょうか。
主役が娘たちに代わったからでしょうか。
理由はよくわかりませんが、節子がいなくなってから「季節感」が変わってしまい、年末年始もさほどの盛り上がりがないのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■COP17と一方的先導措置

時間破産に陥ってしまい、時評を書く時間がありませんでした。
少し時間ができたので、書くことにします。

南アフリカでCOP17(開会中の国連気候変動枠組み条約締約国会議)が開催されていますが、2012年末で温室効果ガス削減の義務づけ期間が終わる京都議定書について、次の約束期間をつくる「延長」には加わらないことを日本政府は決めたようです。
その大きな理由は、温室効果ガスを一番たくさん排出しているアメリカと中国が京都議定書に参加していないからだとされています。

たしかに米中が参加しない限り、この議定書の効果は発揮されないかもしれません。
しかし、米中が参加しないから離脱するという、その発想は私には馴染めません。
多くの途上国やNGOが主張しているように、むしろ米中に参加を働きかえる姿勢こそ似信念やビジョンが感じられるからです。
小賢しい現実対応の姿勢は、私はどうも好きにはなれません。
これは沖縄の普天間基地問題やTPPに関してもいえることですが。

冷戦構造化の時代のことですが、各抑止力に関して、エスカレーション理論とデスカレーション理論がありました。
世間の多くは、各抑止力を高めあうことで戦争を回避できるという発想でした。
その発想はどんどんと核兵器保有量を増加することになります。
際限のない戦略、つまり資本主義的経済に馴染みやすい発想です。

デスカレーション理論(そんな言葉はありませんでしたが)は、アメリカの心理学者 チャールズ・オスグッドが主張したもので、一方的削減による軍縮戦略です。「一方的先導措置」とも言われますが、まずは相手を信頼して、自らの抑止力を削減するわけです。そしてエスカレーションとは逆のスパイラルを生み出していくわけです。
http://homepage2.nifty.com/CWS/communication1.htm#es

COP17に関する報道を読んでいて、このことを思い出しました。
多くの人が、無理なことには賛成しません。
なぜなら「負け馬」に乗ることになりかねないからです。
それが「勝つか負けるか」が行動の基準になっている哀しい現実です。
オスグッドの発想はあまり賛成は得られませんでしたが、しかし大きな流れから見れば、彼が考えたように歴史は動き、世界は破滅しないですんだのです。

米中が参加しないからCOP17から離脱と言うのは、どうも違和感があります。
米中が参加しなくても、やるべきことをやればいい。
ただそれだけのことではないのか、と思うわけです。

書いてきて、あんまりつながりがないかなという気もしますが、私にはやはりつながって感じられます。
米中が参加しないからこそ、COP17の枠組みを大切にすべきではないかと素朴に思います。
権力のあるところが反対していることには、多くの場合、正義がありますし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1555:「家族のためにがんばってくれています」

先日、挽歌で書いたNさんの娘さんから電話がありました。
先日、記憶を失いがちなNさんを元気にしようと娘につくってもらったスペインタイルの「祈りの天使」を送りました。
娘たちもみんなNさんともお会いしているので、それぞれにエールの言葉も書き添えておきました。

Angel_3

そのお礼の電話だったのですが、娘さんからお聞きして、思っていた以上にNさんの状況は大変なことがわかりました。
娘さんが言いました。
死ぬほどの怪我だったのですが、家族のためにがんばっていてくれるのです、と。

よくわかります。
人は、自らのために生きようとするのではないのです。
愛する人のために、愛する家族のために、みんなのために、がんばっているのです。
体験した人ならきっとわかるでしょうが、人は自らのために生きようとするのではないのです。
そして、命が尽きても、人は、愛する人のために、愛する家族のために、みんなのために生きつづけているのです。

父も看病で大変なので、私の家に来てもらったのですが、やはり父のいる自分の家がいいというので、今はまた実家に戻りました。
私もできるだけ実家に行くようにしています、と娘さんは言いました。
今回、ご主人からではなく、娘さんからの電話だったので、少し気になったのですが、ご主人が倒れなければいいがとちょっと思いました。
伴侶の心身は親子よりもつながっていると、私は思っています。
前にも書きましたが、愛する伴侶の死は自らの死とほぼ同じです。
同じように、愛する伴侶の健康状況もまた心身に深くつながっています。
愛するわが子への母親の思いと同じかもしれません。
愛するということは、そういうことです。

しかし、看護は、それはそれは大変です。
私も、もし一人だったらとても対応できなかったでしょう。
幸いに娘たちが一緒になって看病してくれました。

肝心のことを書き残しました。
娘さんはNさんにタイルを見せながら節子のことを話してくれたそうです。
記憶をなくしていたNさんが、そのうちに「亡くなったのよね」とつぶやいたそうです。
節子がいたら、とんでいっただろうにと、また思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/06

■節子への挽歌1554:いのちの強さとはかなさ

新聞で知人の死を知りました。
驚いて共通の知人に電話したら彼もまだ知りませんでした。
その人に最後に会ったのは1年ほど前です。
湯島に訪ねてきてくれました。
夏に弟さんから兄の体調がちょっとよくないと聞いていましたが、まさかそんなに悪いとは思ってもいませんでした。
まだ50代の半ばです。

思い出したのは、20年近く前の友人のことでした。
病気で入院したと聞いたのでお見舞いに行こうと思ったら、今はまだ手術後で話せないのでもう少し落ち着いてから来てほしいといわれました。
のどの手術だったのです。
それもそうだなと納得してお見舞いに行きませんでした。
しばらくしてそろそろ行こうと思い出だした矢先に訃報が届きました。
とても後悔しました。
彼も50代半ばでした。
その人は会社時代の先輩でしたが、湯島にもよく来て、節子のお気に入りの一人でした。
節子が娘たちと香港旅行に行くと言ったら、メモまで作ってきてくれて、節子にガイダンスしていたのを覚えています。
私はそこには入れませんでしたが。

お見舞いは早く行かなければいけません。
また前と同じ過ちを重ねてしまいました。
それにしても、突然の訃報は人の命のはかなさを教えてくれます。

訃報は突然に届きますが、その後には「生きよう」「生きていてほしい」という物語が繰り広げられているのです。
その長くて重い物語を一緒にやってきた者として、それがよくわかるのです。
その人はどんな物語を繰り広げていたのでしょうか。
いろんなことが思い浮かびます。
当人も、周辺の人も、大変な思いを重ねてきたはずです。

そうしたことを体験すると、命の強さも感じられるようになります。
「生きよう」「生きていてほしい」という思いが、どれほど命を強くすることか。
しかし、だからこそまた、命のはかなさもしみじみとわかるのです。
強さとはかなさ。
いずれも、私にはとても哀しく、とても辛い思い出しかないのですが。

Mさんのご冥福を心からお祈りします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1553:ラフターヨガ

節子
この数日、いろんなことが重なってしまい、時間破産してしまいました。
自己管理していればこんなことにはならないのですが、節子がいなくなってからなかなか自己管理しようという気になれなくなってきています。
それで時間破産と無為の日々が隣り合わせているようなことがよく起こります。
困ったものです。
そんなわけでこの数日、挽歌も書けていません。
少しまとめて挽歌を書いてしまいましょう。

3日と4日、認知所予防ゲームや人を笑顔でつなげてくためのファシリテーションのフォーラムを開催しました。
定員を超すほどの参加者がありました。
なかには遠く広島から参加してくださった人もいます。
2日間にわたって、笑いの絶えない実に楽しいフォーラムになりました。
私が主催するフォーラムは、基本的には、たとえ「自殺」がテーマでも明るく楽しいものにするようにしていますが、今回はゲームをやってくださる高林さんと講座を担当した吉本さんのおかげで、実に楽しい2日間になりました。
参加者も大喜びで、終了後の懇親会も盛り上がりました。

その懇親会に、今回のフォーラムに参加した、ラフターヨガをやっている方が2人参加してくれました。
お2人は面識がありませんでしたが、それぞれ全く別々にフォーラムに申し込み、しかもなんと偶然に関を隣り合わせたのです。

ラフターヨガは、笑い(ラフター)とヨガの呼吸法を組み合わせたものです。
笑うことで多くの酸素を自然に体に取り入れ、心身共にすっきりし元気になることができるのだそうです。
「ただ笑うだけ」ですので、だれでもできます。
やり方も自分で開発してもいいのだそうです。

懇親会に参加してくださった2人の方が、みんなに少しだけ手ほどきをしてくれました。
と言っても、ただ笑うだけです。
一人の方はライオンの笑いを教えてくれました。
これはただ目を大きく開き、舌を出して、手を頭の両側で開いて、誰かと向き合って大笑いするのです。
ただそれだけのことなのです。

その方はお母さんが認知症で顔の表情がなくなりました。
それである時、思い立って、お母さんに向き合って、このライオン笑いをしたのだそうです。
そうしたら表情のなかったお母さんが笑ったのだそうです。
笑いにはそれだけの効用があるのです。

節子は笑いが免疫を高めるといって、笑いを大事にしていました。
もし節子がいたら、どんなに喜ぶことでしょう。
そんな思いもあって、節子の分まで私も笑いました。
笑った後に、少し涙が出ました。
だれも気づかなかったでしょうが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/02

■節子への挽歌1552:意外な読者

節子
大宰府の加野さんから電話がかかってきました。
突然、挽歌を読みましたというのです。
エッとつまってしまいました。
まさかあのご高齢の加野さんの目にはとまらないだろうと無断で何回かお名前を出してしまっているのです。
最近は一応少しは気をつけていますが、以前は実名で書いていることが多いのです。
加野さんに関してはまさかパソコンはやらないだろうと気を許してしまっていました。
冷や汗が出ました。

お聞きしたところ、従業員の方が見つけて、加野さんにお見せしたのだそうです。
よく見つけたものです。
まさに情報は飛び回るのです。

そういえば先日も、これはフェイスブックですが、これまた思ってもいない人から記事へのコメントをもらい冷や汗をかいたところです。
ブログにしろホームページにしろ、あるいはフェイスブックにしろ、読まれることを前提に書いているわけですが、書いているうちに読者のことなど忘れてしまうのです。
その結果、余計なことを書いてしまい、冷や汗をかく羽目になるわけです。
困ったものです。
しかし、まあそれが私の生き方ですから直しようもありません。

最近、娘からあんまり節子やわが家の恥になることは書かないようにと釘を刺されています。
まあそれくらいわが家には「恥になる」ことがあるのかもしれませんが、事実を公開することは嘘をつくより、恥にはならないはずです。
しかし節子もけっこう見栄っ張りのところがありましたから、娘と同じように思っているかもしれません。
まあ私も娘たちからいわせれば、いい格好したがるといわれていた時期もあります。
いまはもうしたくても「いい格好」はできませんので、言われなくなりましたが。

それにしても意外な読者の出現に驚きました。
自重して書かなくてはいけません。
まあしかしそんなことは無理でしょう。
失礼があったら、ただただお詫びするだけです。

加野さん
無断でお名前を書いてしまい、申し訳ありませんでした。
今日は寒い1日でしたが、さらにさらに寒くなりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/01

■節子への挽歌1551:「妻せつ子」

節子
今年もとうとう12月になってしまいました。
その途端に寒さが厳しくなりました。
軽井沢より東京のほうが寒いのではないかと思いながら夜遅く帰宅したら、テーブルに「妻せつ子」が待っていました。
といっても残念ながら、私の妻の節子ではなく、トマトです。

Tomato

娘が、お店で見つけたので買ってきたというのです。
ふくろに「トマト妻せつ子」と書かれています。
熊本産のトマトです。

ネットで調べてみました。
いろんな人が話題にしていました。
その名前の面白さで買った人も少なくないようです。
それらの情報によると、どうも生産者の奥さんが「せつ子」さんのようです。
ちなみに娘さんは「ミーちゃん」で、ミニトマトミーちゃんというのもあるそうです。
なんだかいいですね。
今日は位牌の節子の前に置き、明日は食べてしまおうと思っています。

ちょっと疲れが取れました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »