■細野原発担当相の発言に象徴されていること
福島原発事故の収束宣言をめぐって、現場と政府の感覚の違いが取りざたされています。
それは仕方がないことでしょう。
私も宣言には大きな違和感がありますが、細野原発担当相の行動や発言には、誠実さを感じます。
一番いいのは「わかりやすいこと」です。
しかし時々、気になる発現があります。
たとえば、昨日の報道ステーションSUNDAY での発言で気になったのはこんな言葉です。
テレビ取材のビデオに、現場作業員の人が思いを語っていましたが、それに対しNPOT細野さんは「もし今の人が本当の作業員なら」と話しました。
この言葉には象徴的です。
「現場作業員」を称した「にせもの」がマスコミを通して語っているという、細野さんの体験と思いが含意されているからです。
報道に対する不信感が感じられます。
その一方で、私も「現場の人とも名刺交換」したので、現場のことはよく知っていると話しました。
細野さんの誠実さと行動力には、私は何の疑いも持ちませんが、この言葉は実に象徴的です。
本当の現場で汗している人は、名刺など持っていません。
原発の現場に限りませんが、名刺を持っている人のほとんどは「現場」の人ではない、というのが私の長年の体験知です。
つまり、細野さんの「現場」と私の考えている「現場」は、明らかに違います。
社会一般での「現場」感覚は、たぶん私と同じでしょう。
この2つの言葉が示唆している事は極めて大きなことだろうと、私は思います。
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