■節子への挽歌1562:「ときめき片付け法」
節子
「ときめき片付け法」というのをテレビで知りました。
そのものを実際に持った時に、心ときめかなかったら、処分するという方法です。
片づけがなかなか進まないので、早速、取り組んでみることにしました。
まずは私自身の衣服関係です。
長年着用していないものがかなりあります。
私は買物が好きではないので、たとえば気にいったズボンなどがあると、一挙に3~4着、色違いで節子に頼んで買ってもらっていました。
ところが気分が変わると、それをまったくはかなくなりました。
ですから同じようなものが何着もあるのです。
節子がいなくなってから、ほとんど買物に行かなくなりました。
そのため以前のものをまた着だしているのですが、あまりピンと来ないものもあるのです。
それを今回、捨てることにしました。
ところで、節子のクローゼットやタンスも娘たちがかなり整理してくれたのですが、途中で整理をやめてもらっていました。
なんだか節子がどんどんと遠くに行ってしまうような気がしたからです。
今回は、しかし私が直接、処分しようかと思ったわけです。
それで引き出しをあけて、節子の衣服にさわりだしました。
残念ながらときめいてしまうのです。
いや、「ときめき」ではないのかもしれませんが、何か感じてしまうわけです。
そういえば、ときめき片付け法を始めだした人は、ルールーの一つとして、「他の人のものには手をつけてはいけない」と話していました。
となると、節子のものはいつになっても片付きません。
とりあえずは後回しにしました。
私の物に関しては、少しずつ片付けは進みだしました。
書類や資料はなかなか捨て難いのですが、私にとっては価値があっても、私以外にはほとんど価値のないものでしょう。
書籍は図書館やブックオフでいくらでも読むことができる時代です。
娘は、もし思いの強い本があるのなら、宛先を書いて手紙もつけて香典返しにあげたらいいとアドバイスしてくれましたが、それもまたもらった人にとっては迷惑でしょう。
それに香典がもらえるとは限りません。
本来無一物になるのは、本当に難しいものです。
結局、私も物に埋もれて生を終わるのでしょう。
節子がたくさんの物を残したのは、私のためだったのですが、私が残しても娘たちは迷惑するだけでしょう。
やはりここはどんどんと物を処分していかねばいけません。
節子の物も、やはり私が処分しないといけないのでしょうね。
節子はいなくなってもなお、私に迷惑をかけています。
困ったものです。
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