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2011/12/24

■働くということの多義性

高齢社会の中では、高齢者にも働いてもらわないと年金制度も維持できないという発想から、高齢者にどう働いてもらうかが、議論されだしています。
その発想に私は違和感がありますが、それはそれとして、先日、シニアの活性化をテーマにしたある研究会で、いろんな人の報告を聞いていて、思ったことです。

働きたいと思っている個人がいる。
働かせたいと思っている会社がある。
そして高齢者も働く社会にしないといけないという社会がある。
この3つがあるわけですが、実はそのそれぞれが考えている「働き」の意味や目的が違っているのです。

まず働きたいと思っている個人。
その目的は金銭的報酬でしょうか、生きがいでしょうか。
もちろん人によって違いはあると思いますが、後者の意味のほうが大きいように思います。
簡単に言えば、「稼ぐ仕事」ではなく「社会とのつながりを実感できる傍(はた)を楽(らく)にする仕事」です。
そのことを示唆しているのが、現在の東北被災地での状況のように思います。
そこで大切なのは、仕事の内容であって、対価ではありません。

働かせたい会社はどうでしょうか。
技能継承という面もあるでしょうが、コスト的には若い労働力が有利でしょうし、高齢者の労働は安全面でも問題が増えてきます。
従業員の福利厚生面的な意味もあります。
定年が長くなれば安心してモティベーションも高まります。
しかしその一方で、安直なリストラや非正規従業員比率を増やしている実態がありますから、基本的にはかつての日本的経営のような安心感や一体感は生まないでしょう。
それに次世代を担う若者たちが、きちんとした働きの場を体験していかないと、これまで蓄積されてきた「労働文化」が維持できなくなるでしょう。
それは日本の企業にとっても産業にとっても致命的なダメッジを与えかねません。
従業員のモティベーションのためであれば、その働かせ方はそれまでの働かせ方とは変える必要がありますし、その変え様似によっては新しい企業の発展が生まれるかもしれません。

社会はどうでしょうか。
そもそも高齢者を若者が支えるなどという発想がおかしいと思います。
相互に支えあっているのが社会です。
にもかかわらず、そう考えるのは、社会はすべてお金で成り立っていると考えるからです。
お金を稼ぐ壮年層を中心にした社会観を変える必要があります。
お金がなければ生きていけない社会になったのは、ほんのこの50年くらいでしょう。
消費市場から自由になれば、お金などなくてもいくらでも生きていける仕組みはつくることができます。
そのことも、今回の東北大震災の被災者の言葉に示唆されているように思います。

これまでも何回も書いてきていますが、働くこと、つまり仕事と、稼ぐこと、つまりお金とを切り離して考える必要を感じます。

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