■節子への挽歌1569:挽歌が書ける生き方
節子
また挽歌のナンバーと節子がいなくなってからの日数がずれてきています。
今はまだ一つだけのずれですが、最近、ずれることが少なくありません。
挽歌が書けていない日は、必ず入浴時に何を書こうかと思うのですが、思いつかないことがあるのです。
なぜ思いつかないのか。
もしかしたら「忙しい生き方」になっているからかもしれません。
いうまでもなく、「忙しい」とは「心を亡くすこと」ですから、挽歌など書けるはずもありません。
こういう生き方は、私が一番恥としている生き方です。
忙しいうちが花、などと言う人もいますが、そんな生き方は私には恥ずかしい生き方です。
実は「暇」な時にも挽歌は書けません。
なにか意味のある活動をしていると、必ず書くことが自然と浮かんできます。
忙しいことと暇なことは、私にとっては同じことなのです。
挽歌が自然に書けるかどうか。
これが最近の私の一つの生き方の基準になっています。
最近の毎日の過ごし方は本意ではありません。
どこに間違いがあるのでしょうか。
もしかしたら、生き方が粗雑になっているのかもしれません。
だから忙しかったり暇だったりするのでしょう。
今年の年末年始は予定をほとんどいれないことにしました。
まもなく生活も正常化するでしょう。
挽歌もきっとまた無理なく書けるようになると思っています。
節子
もう少し待っていてください。
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