■節子への挽歌1557:夫婦言葉
節子
読者の方からこんなメールをもらいました。
家族しか分かり合えない 暗号のような言葉ありますよねたしかに、たしかに。
大体が お互い顔を見合わせながら思わず 笑ってしまう
言葉やジェスチャー 夫婦しか分かり合えない言葉もあります
特に子供たちの幼い頃の
訳のわからないオノマトピアや かわいいしぐさが 基になっていて
ふとしたきっかけで突然 思い出して
ああ もう黙っていても 分かり合える人は居ないんだと思うと
冷え冷えとした部屋に 一人取り残されたと 感じます
まさにそうなのです。
家庭には、それぞれのオノマトペがあり、それぞれの仕草があります。
それは無意識の中で生まれ育った家族共有のシニフィアンシステムをつくりだしています。そして、そこには豊かな表情を持った言霊がこもっている。
その世界は、いまから考えると、実にあったかな心和む世界でした。
私のエネルギーの素だったかもしれません。
それぞれの家庭には、その家庭でしか通じない言葉があります。
同じように、夫婦だけでしか通じない言葉もある。
なんでもないよく使われる言葉なのに、一般的な意味を超えて、夫婦だけに広がる広い世界に通ずる「夫婦言葉」のようなものです。
そんなことを考えたことはありませんでしたが、この方からのメールを読んで、気づきました。
そうか、最近は夫婦言葉がないので、どこかおかしかったのだ、と。
最近、娘たちによく、「節子だったらなあ」というのですが、そういうとすかさず娘から「私は節子じゃありません」と言われてしまいます。
節子だったらどうなのか、実は私自身あまりわからないのですが、でもどこかちょっと違うのです。
この方が言うように、「黙っていても 分かり合える人」がいないことからくる「違和感」でしょうか。
娘たちは本当によくしてくれるのですが、どこかやはり違うのです。
節子と一緒に育て上げてきた「夫婦言葉」は、もう死語になってしまったのですね。
それがとてもさびしいです。
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