■節子への挽歌1561:家族みんなで汗をかくこと
節子
今日は娘たちが2人とも時間があったので、3人でリビングとキチンのフロアのワックスがけをしました。
ソファや食卓を移動しての、それなりの大仕事です。
わが家の文化は、できることはできるだけ家族でするということでした。
ほとんどのことは、みんなで一緒にやりました。
それが、住まわせてもらっている家に対する住人の責務だと思っているからです。
そうしたことを仕切っていたのは、いつも節子でした。
そういう時の節子は。いつも張り切っていました。
家族みんなで汗をかくのは快いものです。
終わったところで、お菓子が出てくるのですが、今日は昨日、鈴木さんからお土産でもらった、くるみ入りのクグロフをみんなで食べました。
そこで娘がこんな話をしました。
娘の知人家族が娘の伴侶がやっているエヴィーバに食事に来てくれたそうです。
ところがどうも短時間で食事を終えて帰ったのだそうです。
用事があるらしくて急いで帰ったようね、と後日、娘がその知人に訊いたそうです。
そうしたら、その人が、旦那と息子と食事をしても話すこともないから食べるだけで帰ったのよ、という答が帰ってきたそうです。
まあ言葉通りではないとしても、節子がいた頃のわが家の文化では考えられないことです。
わが家の家族は、いつもよく話しました。
とりわけ私たち夫婦は、話が途絶えたことはありません。
節子がいなくなってからは、私の会話量は半減とは言いませんが、かなり減ったことは間違いありません。
会話の多さは、共体験の多さにつながっているのかもしれません。
いろんなことを一緒にやるのが家族だというのが、私たち夫婦の考えでした。
娘たちはかなり反発したこともありますが、その文化は今も残っています。
わが家の食卓は円形です。
これも節子の選択でした。
その円卓を囲んで、みんなが汗をかいた後のおやつの時間は、とてもあったかな時間でした。
もうそんなあったかさに、2度と浸れないのかと思うとちょっとさみしいです。
それに、節子がいない円卓のおやつタイムは私にはどうも何かが欠けているような気がして、どこか落ち着きません。
おやつを食べた後、みんなでスーパーマリオをしてしまいました。
節子の話題もたくさんでました。
姿は見えませんが、やはり節子は私たちと一緒にいるのかもしれません。
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