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2011/12/29

■節子への挽歌1579:わが家の一番の料理は節子

節子
今日は、夜になって娘が正月料理の買出しに行くというので付き合いました。

私の両親と一緒だった頃の正月は家族みんなで準備をしたものです。
お客様のためもあって、量も多かったので、私も買出しによく付き合わされました。
大晦日は、除夜の鐘がなるころまで、母も節子も料理に取り組んでいました。
正月の食卓は、まさにハレの場でした。
両親が亡くなってからは、わが家だけの正月になりましたが、それでも節子が中心だった時は、さまざまな料理が用意され、賑やかな食卓でした。

そんな記憶から、一人ではとても持ちきれないほどの買物なのだろうと思って、娘に付き合ったわけです。
ところが、娘の買ったものといえば、なんと買い物かごひとつ分だけなのです。
しかも、メインディッシュになるようなものもありません。
おせちも簡素化され、いつも残ってしまう黒豆などは買わないことになりました。
数の子にしても、娘が吟味していたので、何を吟味しているかと思ったら高すぎるので、というのです。
いやはや予想以上に節約家です。

そういえば、節子がいなくなってから、わが家の正月の食卓は、ハレの食卓というよりも、普段より質素な食卓になってきたような気もします。
いつもと違うのは、おなますくらいでしょうか。
おなますとお煮しめは、私が食べるので、娘がつくってくれます。
こうして伝統文化は失われていくのでしょうね。
節子は伝統を楽しむタイプでしたが、娘にはあんまりその気はないのです。
私も、食事に関しては、好きなものを食べ、無駄はしないというタイプです。
どんなご馳走よりも、美味しいご飯にお味噌汁とお漬物と、少し欲をいえば、新鮮な果物があれば、もう満足なのです。
着飾ったお正月料理は、あまり好きではありません。

それに、節子がいなくなってからの食卓は、どんなに豪華な料理が並んでも、実は決してハレの場にはならないのです。
食事は、料理と一緒に楽しむメンバーによって決まってきます。
私にとっても、たぶん娘にとっても、もはや正月の食卓は、ハレの食卓ではなくなってしまったのです。
わが家の正月の食卓を楽しいものにしていたのは、料理ではなく節子の演出であり、節子の存在そのものだったのです。
娘と買い物に行って、そのことを思い知らされました。

節子と一緒に食材の買い物に行っていた頃が思い出されます。
その時の節子は、とても楽しそうでした。

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