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2011/12/31

■今年はいろいろありすぎました

今年はいろんなことが見えてきた年でした。
見たくはなかったことが少なくありませんが。

しかし、人は、見たくないものは見ようとしません。
いや見たくない人には見えないのかもしれません。
私が見ている世界と、多くの人が見ている世界は、明らかに違います。
私の不幸は、見たくなかったものまで見てしまうことです。
ことさら見えてくるわけではありませんが、私の場合、常識の呪縛が少ないのです。
自分には常識がないと思うことは少なくありませんが、その反面、常識がさえぎっていたものが垣間見えてしまうこともあるのです。
それが時には未来だったりすることもあるのです。
私が昔書いた小論は、たぶん今でならもう少し理解者が多かったはずです。
私の時間感覚は、いささかずれているのかもしれません。

このブログを書き出した頃は、まだ予感が予感のままでした。
しかし今は多くの予感が現実になってきたような気がします。
現実になってしまえば、時評などは繰言でしかありません。
最近のこのブログは、繰言でしかなくなっているような気がします。
繰言に付き合ってくださった皆様にはお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

しかしこれから世界はどうなっていくのでしょうか。
流れは、反転するのか、加速するのか。
10年前なら、自分の考えに確信が持てましたが、最近は迷うばかりです。
言い換えれば、以前のようには、先が見えなくなってしまってきたのです。
常識に呪縛されたのか、知識によって無能化されたのか、気が萎えたのか。

確信を持てるのは、きれいな言葉の流行とは裏腹な現実が、世界を覆いだすだろうということです。
私にとっては、ますます生きにくい時代がやってくるような気がします。
その生きにくさをやわらげるために、来年も繰言にしかならない時評を続けるつもりです。
ますます退屈な記事になりそうですが、気が向いたらお読みください。
そして気が向いたら、湯島に話に来てください。
私は、本当は書くよりも話すことが好きなのです。
それに湯島には、時に美味しいコーヒーがありますし。

みなさまにとって、新しい年が、悪い年ではありませんように。

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