■節子への挽歌1573:節子の遺品
トイレ掃除に続いて、キチンの掃除も手伝いました。
掃除ついでに食器の整理もしました
いかにもという食器なども出てきます。
食器ではないのですが、立派な木製のローラー棒が出てきました。
一度も使った形跡がありませんが、これには見覚えがあります。
夫婦でイランに旅行した時に、たしかイマーム市場の出口のお店で節子が購入したのです。
なぜ覚えているかといえば、バスの集合時間だったので急いでバスに向かう途中のお店に展示されていた何かが気になっていたようで、一度、通り過ぎてから節子が未練ありそうに振り返ったのです。
それで迷ったら買ったらいいと言ったのですが、その言葉で節子が戻って買ってきたのが、なんと木の棒だったのです。
何に使うのかわかりませんでしたが、節子はこんなのが欲しかったのよと話していました。
なんとかバスには間に合いましたが、あわただしい買物だったのではっきりと覚えているのです。
そういえば、その後、その棒にお目にかかったことはありませんでした。
食器の奥深くに、使われることなく保管されていたというわけです。
節子はいつか使うつもりだったのでしょうか。
実は、そういうものが少なからずあるのです。
不思議なものを買うのが好きだったのです。
萩焼の立派な湯飲み茶碗も夫婦セットで出てきました。
まあ私の趣味ではないので(私は食器はシンプルなものが好きなのです)、節子は使わなかったのでしょうか、処分したくてもいささかしにくいので、また保管されていた場所に戻ってしまいました。
節子は陶器が好きでした。
そういえば、昔はよく付き合わされたものです。
そのくせ、毎日の食器はスーパーで買える安いものを使っていました。
私も同じで、いまもスーパーで買ったシンプルな食器を使っています。
しかし気にいるものを見つけるまでに半年はかかりましたが。
私と節子の価値観は、とても似ていたなあと改めて思います。
おかしなところに、おかしなこだわりがあったのです。
私は、節子のそんなところがとても好きでした。
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