■節子への挽歌1571:チャレンジャー
節子
今日、節子宛に「運転免許証更新のお知らせ」が届きました。
来年が更新年なのです。
わが家で最初に自動車免許を取得したのは節子でした。
エコロジストを自称し、自家用車にはどちらかといえば否定的だった私は免許も持っていなければ、免許をとろうという意志は若い頃から皆無でした。
それを知っていた節子は、私には内緒で教習所に通っていました。
そしてある日、突然に、自動車免許を取ったと家族に発表したのです。
わが家に自動車文化が持ち込まれました。
最初はあまり乗り気ではなかった私も、ついつい節子に送り迎えをしてもらうようになって、宗旨替えしてしまいました。
会社を辞めてから、私自身が免許を取得してしまったのです。
わが家で免許を取るのが一番遅かったのは私です。
娘が、「節子はチャレンジャーだったね」と言いました。
わが家に新しい文化を持ち込むのは、いつも節子でした。
節子のいいところは、口だけでなく、実行することでした。
たしかに「チャレンジャー」というイメージがあります。
しかし、改まって、何を持ち込んだかと考えてみると思いつきません。
でも、節子には何となく「チャレンジャー」のイメージがあります。
なぜでしょうか。
節子のチャレンジは、思い出せないほどにたいしたことではないのかもしれません。
しかし、時々、新しいことを始めて、家族を驚かせたり、私を喜ばせたりした記憶があります。
節子はともかく、家族を喜ばせることが好きだったのです。
それに比べて、私は節子をどれほど喜ばせてやれたでしょうか。
しかし、節子にとっては、私が喜ぶことが一番の喜びだったのかもしれません。
私もまた、喜ぶ節子を見るのが一番の喜びでしたから。
愛するものたちにとっての喜びは、結局は一つなのです。
今はどうでしょうか。
節子と喜びを共にできないことが、私が心から喜びを感じられない理由かもしれません。
ところで、節子。
免許証の更新はどうしましょうか。
娘が節子の位牌の前にはがきを置いていましたが、まさか現世に戻ってきて、チャレンジすることはないでしょうね。
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