■節子への挽歌1559:「早目にやる」か「できるだけ遅らせる」か
節子
最近はなかなか挽歌が追いつきません。
AS日数(節子後の日数)と挽歌のナンバーに3つほどのズレができています。
漸く追いついたかと思って油断するとまた離れてしまいます。
節子の信条は「早目にやる」でしたが、私の信条は「できるだけ遅らせる」でした。
なにかの時間も、ぎりぎり間に合うように出発するのが私で、余裕を見て出かけるのが節子でした。
飛行機は2回、新幹線も1回ほど乗り遅れたことがありますが、まあそれでもあんまり不都合はありませんでした。
私のその生き方が、節子も巻き込んで迷惑をかけたことは1度だけでしょうか。
友人の結婚式の仲人を頼まれた時ですが、私が時間を間違えて、しかもぎりぎりに出たので、大変なことになったことがあります。
幸いに式の時間にはぎりぎり間に合いましたが、新郎新婦の親御さんにはすっかり信頼を失ったことだと思います。
さすがにそれ以来、私も少しだけ余裕をみて出かけるようになりました。
逆に節子は、私と暮らしているうちに、私に近づいてきました。
それでまあ、終盤(おかしな表現ですが)はお互い、ちょうどよいところに収まっていたように思います。
夫婦とはそんなものかもしれません。
だんだんと近づいてきて、気がつくと逆転していることもあるのです。
しかしそれはどうも表面的なもので、本当は変わらなかったのかもしれません。
彼岸への旅立ちに関しては、相変わらず節子は早々と出かけてしまいました。
私はもしかしたらぎりぎりまで出かけないのかもしれません。
結婚して変わるところもあれば、変わらないところもあるものです。
しかし、まあだからこそ夫婦はかけがえのない存在になっていくのでしょう。
番号あわせのためにつまらないことを書いてしまいました。
今日はとても疲れているのです。
困ったものです。
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