■節子への挽歌1593:「恋愛は脳からの魔法のプレゼント」
池谷裕二さんの本を引用したので、ついでに池谷さんの恋愛論を紹介します。
あんまり挽歌らしくはないのですが。
ちょっと長いのですが、『単純な脳、複雑な「私」』から引用させてもらいます(一部要約しています)。
高度な知性がある人間は、できる限り優秀な子孫を残したいと、あれこれ思いを巡らせる。そこから、より秀でたパートナーを見つけなきゃいけないという精神的な願望が生まれる。しかし、地球上には多くの人がいるので、最良のパートナーだと決めるのは不可能。そこで、次善の策として、身近の「まあまあよい人」を選んで妥協しないといけないわけです。まさに「恋は盲目」というわけです。
ただ、それだけだと、知的生物ヒトとしては、どこか納得できない気がする。そこで登場するのが恋愛感情です。「この人でいいんだ」と無理矢理に納得するために、脳に備わっているのが恋愛感情。
恋愛はテグメンタ(快感を生み出す脳の部位)を活性化しますから、心を盲目にしてくれる。すると目の前の恋人しか見えなくなる。ほかの人なんかもうどうでもいい、「私はこの人が好きなんだ」「この人こそが選ばれし人だ」なんていう奇妙な妄想が生まれるわけです。
ちょっと笑えますが、奇妙に説得力もあります。
さらに池谷さんはこう続けます。
もちろん、その人がベストの選択肢かどうかなんて、実際にはわかんないんですよ。というより、実際にはもっといい人はたくさん他にいるんでしょうね。それでも、脳が盲目になり、心の底からバカになることで、私たちは当面は納得して、子孫を残すことができるのではないでしょうか。さて挽歌気分に戻って、私たちの恋も愛も、盲目の産物なのでしょうか。
つまり、恋愛は脳からの魔法のプレゼントなんですよ。恋人たちにとっては、こんなに幸せなことはないですよね。
もちろんそうなのです。
元気だった頃、節子はよく言いました。
「たくさんの女性がいるのに、どうして私がいいの?」
それは節子にも向けられる質問なのですが、節子の答えは簡単明瞭でした。
「いまさら恋愛などは面倒だから、修でいいわ」
これは私にも当てはまります。
こうしてともかく自分たちは最高のカップルだと思い込むことで、私たちは幸せになったわけです。
池谷さんは、そうした真実を教えてくれます。
節子は、私の身近にいた「まあまあよい人」だったに過ぎないのです。
たいして美人でもないし、頭も良くないし、古代遺跡も好きでないし、頑固だし、私よりも花を大事にするし、夜更かしだし、朝寝坊だし、金銭感覚もないし、いい加減だし、・・・
にもかかわらず、私はやはり節子がいいですね。
また来世も節子を選びたいと心底思うのです。
しかし、これに関しても、池谷さんはこういうのです。
付き合う時間が長いとその人が好きだと思う働きが脳にはあると。
いやはや脳科学者はいやな人種ですね。
願わくば。いまの盲目状況から目覚めたくありませんが、そのためにはこの挽歌を書き続けなければいけません。
いやはや困ったものです。
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