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2012/01/23

■節子への挽歌1604:怒りの呪縛、悲しみの呪縛

節子
私のブログを読んだ、見知らぬ人からメールが来ました。
その人は、家庭内暴力(DV)で訴えられ、裁判で親権を奪われたそうです。
その人から数年前、自分は冤罪であるということを書いた分厚い資料がわが家のポストに投函されていたのです。
その時は名前も何も書いていなかったので、なんとなく嫌な気分で、そのことをブログに書きました。
私は、匿名で人を批判する人が好きではないので、批判的に書いたかもしれません。

もうすっかり忘れていましたが、その人から突然メールが届きました。
ネットで検索していて、私のブログ記事を見つけたようです。
長いメールでした。しかし、今回は実名でした。
同じ我孫子市内に住んでいる人だともわかりました。
会うことにしました。その旨、メールしました。
昨夜、メールが届きました。

そこに、こう書かれていました。

わたしのしている事は、保健所だか、役所だかに愛犬を殺され?て、役人だかを殺した小泉なんとかと変らないのではないかと、思ってはいます。
(中略)
異常な怒りが止められないのです。
この人は、裁判でDVと判定されたのでしょう。
その裁判の時に、裁判官に向かってペットボトルを投げつけて、新聞で報道されたこともあるようです。
その新聞記事も教えてもらいました。

その方も、もしかしたらまたこのブログを読んでいるかもしれませんが、そのメールを読んで、ますます会わなければと思いました。

家族を不条理に壊されたら、異常な怒りが生まれることはよくわかります。
「不条理」かどうかは、人によって受け取り方は違います。
裁判は決して、双方にとっての正義をもたらしません。
私の感じでは、強いものに加担するのが、多くの裁判です。
司法制度を管理しているのが、権力ですから、それは仕方がありません。
あれ、何やら時評的になってしまいました。

その人と会った後で、また時評編にも書こうと思います。
しかし、今日、書きたかったのは「怒りの呪縛」ということです。
もしかしたら、「悲しみの呪縛」と言うものもあると思ったのです。
もしそうならば、私もこの人と同じところにいたかもしれません。
「悲しみの呪縛」についてはまた書きたいと思います。

ところで、この人の「異常な怒りの呪縛」を解かなければいけません。
小泉某のようになってほしくありません。

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