■小賢しさへの気づき
わが家の農園がずっと放置されていました。
ねぎやトマトなどいろいろと植えていたのですが、放射線汚染もあって、手入れに行かなくなってしまっていました。
ねぎやトマトなどは大きく育っていましたが、それ以上に雑草が茂ってしまいました。
ちゃんとした農園ではなく、空いている宅地で数年前から家庭菜園をしているのです。
宅地になる前は竹やぶだったようで、ちょっと油断していると笹が生い茂るのです。
もうやめようかと思うこともありますが、ここには亡き妻の思いがこもっていることもあり、続けています。
今日、思い立って、娘たちに声をかけて、雑草刈りをしました。
何しろ道具がないので大変でした。
農作業もそうですが、雑草刈りも、普段やっていない者にとってはかなりの重労働です。
私は2回ほど、立ちくらみで倒れそうになりました。
しかし、4人でやったおかげで、半分くらいは土が見えてきました。
それほど雑草が覆い茂っていたわけです。
ねぎは大きくなっていましたが、我孫子は残念ながら放射線汚染のホットスポットなのです。
先日、一応、放射線量の測定はしてもらい、まあ大丈夫とは言われているのですが、食べる気にはなりません。
この農園は、女房が、安全な野菜は自分たちでできるだけつくるのがいいとはじめたのです。
50坪もあるので大変なのですが、道路沿いの半分は道を散歩する人のためにと花壇にしていたので、野菜はそのうちの半分くらいです。
それでもわが家だけでは食べきれないほどの野菜ができて、時にはお隣さんなどへお裾分けができるほどです。
自然の恵みは本当にすごいです。
ところが放射線汚染で、家庭農園の野菜はいまや逆に安全ではなくなってしまったのです。
なんと皮肉なことか、と思いますが、そもそも自分たちだけ安全な野菜を食べようなどと思ったのが間違いだったことに気づきました。
そのことをフェイスブックに書いたら、同じように思っていた人がいることを知りました。
今の時代、自分(たち)だけ良い思いをしようなどというのは、できない話なのです。
ある意味では、平等の時代が来たと言うべきでしょうか。
やはり世界で起こっていることは、みんなで背負わなければいけません。
「自分だけはいいめをしたい」と思う人が少なくなれば、世界の資源も食糧もエネルギーも、決して不足はしていないのでしょうね。
それに気づいて、自分の勝手な思いを再考することにしました。
私にとって、これは実は大問題なのです。
さてさて困ったものです。
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