■節子への挽歌1594:節子の心配事
節子
2年ほど、音信不通だった、節子もよく知っているTさんから電話がありました。
私にはあんまり意識がないのですが、私の言葉にムッとして暫く来なかったのだそうです。
どうやら私に失礼な発言があったのだそうですが、私にはその認識が皆無なのです。
ということはそういうことがほかにもきっとあるのでしょうね。
私はあまり考えることなく思ったことをすぐに発言してしまうところがあるからです。
節子はそれで時々はらはらしていたはずです。
節子とまだ結婚する前ですが、髪の毛をいつも面白く結っている若い女性がいました。
私はその人とすれ違うと、なぜかその髪の毛に触りたくなってしまうのです。
そのことを節子に話したら、修さんなら「触っていい?」といいそうね、と笑いました。
幸か不幸か、その人とは知り合う機会がなかったので、髪には触れませんでしたが、面と向かって話す機会があれば、「触っていい?」と言ったかもしれません。
困ったものです。
子どもは、思ったことをそのまま口に出します。
こんなことを言ったら失礼ではないかとか、誰かにおかしく思われるのではないか、などとは思いません。
そういう意識が出てくるのは、大人になってからです。
子どもは実に素直で、生命現象をそのまま生きています。
実は、私はどこかで成長しきれていないため、思ったことを話すのを思いとどまる「理性」がかなり弱いのです。
最近はだいぶよくなったと思いますが、ついつい思ったことが口から出てしまうのです。
脳と口が近すぎるのかもしれません。
我ながら困ることもあります。
Tさんのことも、たぶんそうした結果でしょう。
Tさんは、私のことをよく知っている人ですから、まあ電話一本で関係は回復ですが。
話はそれましたが、私は思ったことをストレートに言うので、節子はいつも心配していました。
湯島にまだ節子が来ていた頃、お客様が帰った後に、あんな表現は失礼じゃないの、といわれたことも少なくありません。
たとえば、久しぶりにやってきた人に、話している途中で、「ところで今日は何しに来たの」などと言ってしまうのです。
私には悪気はないのですが、人によってはムッとすることもあるのだそうです。
この癖は今も直っていません。
つい発言してしまった後、あ! 節子にまた注意されるなと思うのですが、直りません。
節子が心配していたことは、なかなか直っていませんが、まあなんとかやっています。
Tさんにお詫びにお寿司でもご馳走してよと言ったら、謝るのはそっちでしょうと、言われてしまいました。
ムッとさせたほうが悪いのか、ムッとしたほうが悪いのか、是も節子と私の見解の相違点の一つでした。
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