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2012/01/20

■節子への挽歌1601:「愛がすべての基本」

痛みを知ってこそ他者の痛みに共感できると、この挽歌では何回も書いてきました。
それが私の実感だったからです。

数日前に、Kさんがコメントを書いてくれました。

私は佐藤さんに一種の「愛」を感じました。
変な意味にとらないでください。^^;人類愛、とでもいうのでしょうか。
だから、佐藤さんはそういう愛をお持ちの方なので、きっと多くの人を惹きつけるのだと思います。
ここでの「愛」は、なんとなくわかります。
自分のことなのでいささか恥ずかしいのですが、15日に湯島で新年会サロンと言うのをやりました。
このブログにも直前に案内を書きましたが、まあ思いつきでした。
ところが、40人近い人が立ち寄ってくれました。
テーマもなく、会費まで取られて、しかも誰が集まるかわからない、全くの無駄な会です。
いろんな人が集まったのですが、ある人がポツンと「佐藤さんの人徳だよ」と口にしてくれました。
その言葉はこそばゆい感じがしましたが、私は同時に、その場に「愛」を感じていました。
そう発言してくれた人も、たぶん私を愛してくれているのです。
Kさんのいう「一種の愛」です。

米国の心理学者ハインツ・コフートは、愛がすべての基本であると言っています。
愛のなかで育った自己愛に満ちた人は、強く、そして楽しく生きられるというのです。
お金や権力などとは無縁に、愛を基準に生きていれば、人生は楽しくなるはずです。
私は、かなりそういう風に生きているつもりですが、まさにそれを実感しています。
たくさんの人に支えられて生きていることも実感していますが、「支えられる」とは「愛される」ということだと気づきました。
「支える」とは「愛する」と同義語だからです。

愛は、どこから生まれてくるのか。
イルカさん(歌手のイルカさんではないようです)という方はご自分のブログで、祖父母の愛は無条件だったと書いています
そのブログがずっと心のどこかに残っています。
まだお会いしたことはありませんが、イルカさんの周りにもきっと愛があふれているはずです。

さて私のことです。
私の周りに「愛」が集まりだしたのは、節子への愛のおかげだったような気がします。
節子を愛することで、人を愛することができるようになった気がします。
また「消化不足」のわけのわからない文章になってしまいましたが、いつかもう少しきちんと書けると思っています。
ハインツ・コフートの本を、一度、きちんと読んでみようと思います。

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妻への挽歌09」カテゴリの記事

コメント

佐藤様

pattiです。
また、コメントさせていただきました。
本当に寒い日々が続いていますね。
冬の寒さや雪はとても好きなのですが、今年の冬は応えます。
「寒い、寒い」と言いながら夫と歩いていた場面が切なく思い出されます。

皆さんが佐藤さんの「愛」についてコメントされているのを拝読し、
その通りです!と心の中で叫びました。
こうして節子さんへの「愛」を語る佐藤さんのブログに皆、惹きつけられ
訪れているのはそこに「愛」を感じているからです。
私がコメントしていること自体、佐藤さんの「愛」を頼りに甘えているのです。

佐藤さんのこの言葉にはならないこの「愛」はどこからくるのか・・・。
もちろん佐藤さん自身の天性の心もちではあるのでしょうが、
節子さんと育んだ暖かな、信頼し合った愛あふれる生活の賜物だと思います。
節子さんが佐藤さんに与えた愛が、佐藤さんの愛と一体となってこのブログに結晶となって引き継がれている・・・。
すみません。生意気に当たり前のことを書いてしまいました。

でも、皆さんが同じように感じていることがとてもうれしくて。

私も新年会、お邪魔したかったのですが、日曜出勤で果たせませんでした。
実は彼が闘病中、病院が湯島に近いこともあって、病院に行くとよく、
ああ、佐藤さんのオフィスに歩いていけるんだなあと思っていたのものです。

佐藤様、お風邪など召しませんようご自愛ください。

Patti


投稿: patti | 2012/01/21 03:54

Pattiさん
ありがとうございます。

実はこの日の挽歌は、下記ながら頭が混乱してきて、うまく書けませんでした。
途中で消去しようと思ったほどですが、まあ支離滅裂でも良いかと思い、アップしてしまいました。
ですから冷や汗ものだったのですが、勇気付けられるコメントいただき正直うれしかったです。
ありがとうございます。

こんなことを言うとがっかりするかもしれませんが、
最近は実は挽歌がうまく浮かんでこないのです。
以前はパソコンに向かうと自然に書くことが浮かんできたのですが。
娘からは種が尽きたんじゃないのとからかわれています。
しかし、決してそうではないのです。
その理由も私は少しわかるような気もしています。
いつかそのことも書こうと思いますが。

15日はそうだったのですか。
15日に限らず、湯島のオフィスは誰にも開かれています。
またお近くに来る機会があれば声をおかけください。

いろんなつまりもあります。
来月は家族をテーマにしたサロンもやろうと考えています。
それをやりたいという人が日曜しか時間がないと言うので、日曜になりそうですが。

今日も寒かったですね。
凍えていました。

返事が遅くなって申し訳ありません。
なぜか最近、周辺に事件が多いものですから。


投稿: 佐藤修 | 2012/01/22 21:22

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